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東京高等裁判所 平成5年(ネ)824号 判決 1999年2月24日

目  次

【当事者の表示】<略>

【主文】

【事実】

第一 当事者の求めた裁判

一 控訴人ら

二 被控訴人

第二 本件の経緯と事案の概要

第三 当事者の主張

(控訴人らの主張関係)

(被控訴人の主張関係)

【理由】

第一 当事者の地位

第二 本件紛争発生前の横浜税関の状況について

第三 本件係争期間中の昇任、昇格及び昇給についての根拠規定

第四 昇任、昇格及び昇給についての税関長の裁量権と不法行為の成否について

一 昇任等に関する税関長の裁量権

二 昇任等に関する年功序列的運用の有無

三 昇任等に関する税関長の裁量権の濫用と不法行為の成否

第五 昇任、昇格、昇給等の全体的、集団的趨勢について

一 格差の認定資料

二 入関者の全体的、集団的な昇任、昇格及び昇給の状況

1 昭和二三年旧中卒採用入関者(別紙入関年度別職員比較表(1))

2 昭和二四年旧中卒及び高卒採用入関者(同比較表(2))

3 昭和二五年五級職及び旧専門卒採用入関者(同比較表(3))

4 昭和二五年高卒採用入関者(同比較表(4))

5の1 昭和二六年四級職及び高卒採用入関者(同比較表(5)の1)

5の2 昭和二六年中級職及び旧専門卒採用入関者(同比較表(5)の2)

6 昭和二七年四級職及び高卒採用入関者(同比較表(6))

7 昭和二八年四級職及び高卒採用入関者(同比較表(7))

8 昭和二九年高卒採用入関者(同比較表(8))

9 昭和三〇年四級職及び高卒採用入関者(同比較表(9))

10の1 昭和三二年四級職及び高卒採用入関者(同比較表(10)の1)

10の2 昭和三三年初級職及び高卒採用入関者(同比較表(10)の2)

11 昭和三四年初級職及び高卒採用入関者(同比較表(11))

12 昭和三五年初級職及び高卒採用入関者(同比較表(12))

13 昭和三六年初級職及び高卒採用入関者(同比較表(13))

14 昭和三七年大卒採用入関者(同比較表(14))

15 昭和三七年初級職及び高卒採用入関者(同比較表(15))

16 昭和三八年初級職及び高卒採用入関者(同比較表(16))

17 昭和三九年初級職、中級職及び高卒採用入関者(同比較表(17))

18 昭和四〇年初級職及び高卒採用入関者(同比較表(18))

三 まとめ

第六 いわゆるマル秘文書について

一 東京税関文書について

1 文書の成立

2 文書の内容

3 まとめ

二 関税局文書について

1 文書の成立

2 文書の内容

3 まとめ

三 横浜税関文書について

1 横浜税関人事課長文書

2 横浜税関予算要求文書

3 いわゆる宍戸メモについて

第七 被控訴人の差別的取扱いの有無について(昇任、昇格、昇給の点を除く。)

一 控訴人らの主張する差別行為

二 個別の検討

1 「武藤税関長の就任と弾圧の開始」の主張について

2 「労使慣行の破棄と既得権剥奪」の主張について

(一) 本関婦人室及び図書室の管理の剥奪の主張について

(二) 勤務時間中の執行委員会等への出席否認の主張について

(三) 福利厚生活動からの排除の主張について

(四) 海務課乗船官吏控室の利用の排除の主張について

(五) 組合掲示板の移動、利用制限の主張について

(六) 配転に関する合意の無視、税関施設の使用の拒否の主張について

3 「控訴人組合員に対する組合脱退工作」の主張について

4 「刷新同志会の結成と控訴人組合に対するデマ宣伝」の主張について

5 「本件第二組合に対する援助」の主張について

6 「新入職員の控訴人組合への加入妨害」の主張について

7 「本件組合分裂後の職制等を使嗾した反控訴人組合のデマ宣伝等」の主張について

8 「庁舎管理規則の濫用等による組合活動妨害」の主張について

9 「団体交渉制限等その他の組合活動妨害」の主張

(一) 勤務時間中の組合活動の規制

(二) 団体交渉の回数の減少について

(三) ビラ撒き妨害の主張及び組合掲示板の撤去、塗り潰しの主張について

10 「処分の濫発、デッチ上げ」の主張について

11 「現認制度等による監視密告体制の強化」の主張について

12 「不当配転」の主張について

13 「非組合職員との隔離」の主張について

(一) 職場の配置について

(二) サークル活動からの排除について

14 「研修及び表彰差別」の主張について

(一) 研修について

(二) 表彰について

15 「職員宿舎の入居差別」の主張について

(一) 独身寮について

(二) 家族宿舎について

16 「職場外での差別」の主張について

(一) レクリエーションからの排除の主張について

(二) 葬式、結婚披露宴への不参加

三 まとめ

第八 個人控訴人の昇任、昇格、昇給等の格差と不法行為の成否について

(総論)

一 全体的、集団的にみた昇任等格差の存在と税関当局の差別意思の存在について

二 個人控訴人らごとの格差と勤務成績等に関する資料について

三 非違行為、出勤状況等の勤務成績に及ぼす影響について

1 非違行為の成立(現認書の証拠評価を含む。)と違法性について

2 非違行為の勤務成績に及ぼす影響について

3 出勤状況と勤務成績との関係について

第九 個人控訴人ごとの状況(各論)<略>

一 控訴人辻和也(控訴人番号1)<略>

二八 控訴人熊沢雄志(控訴人番号28)<略>

(以上第一分冊)

二九 控訴人坂元安雄(控訴人番号29)<略>

一〇三 控訴人仲川勇(控訴人番号103)<略>

第一〇 個人控訴人の昇任等の格差と不法行為の成否についてのまとめ

第一一 控訴人組合の損害

一 慰謝料額

二 弁護士費用

三 時効の主張について

第一二 結論

当事者目録<略>

標準対象者一覧表<略>

入関年度別職員比較表<略>

(以上第二分冊)

控訴人 辻和也 ほか一〇三名

被控訴人 国

代理人 大森勇一 浜秀樹 川口泰司 田中芳樹 廣戸芳彦 小田切敏夫 ほか五名

略語表

略語 意義

1 本件係争期間 昭和三九年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間

2 控訴人組合  控訴人全国税関労働組合横浜支部(昭和二二年結成)

3 控訴人組合員 控訴人全国税関労働組合横浜支部に所属する組合員(原告とならなかった者、第一審原告中控訴をしなかった者及び控訴を取り下げた者を含む。)

4 全税関    全国税関労働組合

5 本件第二組合 昭和三九年結成にかかる横浜税関労働組合

6 非組合員   控訴人組合に所属していない職員

7 本件比較期間 昭和三八年七月一日から昭和五〇年七月一日までの間

8 本件基準日  昭和三八年七月一日

(参考)控訴人の主張する「標準対象者」

原判決書II二〇三頁、原判決書II四六四頁から四八五頁、

原判決書I一五二頁、本判決第一分冊一三〇頁各参照。

主文

一  原判決中、控訴人全国税関労働組合横浜支部と被控訴人に係る部分を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人全国税関労働組合横浜支部に対し、金二五〇万円及び内金二〇〇万円に対する昭和四九年六月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  控訴人全国税関労働組合横浜支部のその余の請求を棄却する。

四  控訴人全国税関労働組合横浜支部を除くその余の控訴人らの本件控訴をいずれも棄却する。

五  控訴人全国税関労働組合横浜支部と被控訴人に係る訴訟費用は、第一、二審を通じて五分し、その三を控訴人全国税関労働組合横浜支部の、その余を被控訴人の負担とし、その余の控訴人らに係る控訴費用は同控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決中控訴人らに関する部分を取り消す。

2  被控訴人は、

(一) 控訴人全国税関労働組合横浜支部に対し、金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和四九年六月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) その余の個人控訴人らに対し、それぞれ原判決書I別紙請求債権目録の請求金額欄記載の各金員並びにその内弁護士費用欄記載の金員を除く各金員に対する別紙当事者目録記載の控訴人番号1ないし60及び62ないし97の各控訴人につき昭和四九年六月一六日から、控訴人番号99ないし103の各控訴人につき昭和五〇年二月九日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

二  被控訴人

本件控訴を棄却する。

第二本件の経緯と事案の概要

本件は、各個人控訴人が自己(訴訟承継した各控訴人についてはその被承継人)が横浜税関の職員であった昭和三九年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間(以下この期間を「本件係争期間」という。)に、その任命権者である横浜税関長から、控訴人全国税関労働組合横浜支部(以下「控訴人組合」という。)の組合員であることを理由として、昇任、昇格、昇給について不当な差別的取扱いを受け、これにより経済的、精神的損害を被ったとして、国家賠償法一条一項に基づき、本件係争期間中に生じた右損害の賠償を求め、また、控訴人組合は、その組合員(原告とならなかった者、第一審原告中控訴をしなかった者及び控訴を取り下げた者も含む。以下「控訴人組合員」という。)が右のような差別的取扱いを受けたほか、横浜税関当局の違法な支配介入等により団結権を侵害され、これにより無形の(非財産的)損害を被ったとして、国家賠償法一条一項に基づき、右損害の賠償を求めた事案である。

控訴人組合は、全国税関労働組合(以下「全税関」という。)の支部組合として横浜税関内に昭和二二年に結成されたものであり、もともと横浜税関内には控訴人組合の他には職員組合はなかった。ところが、昭和三八年秋ころから、控訴人組合を脱退する者が大量に出るようになり、昭和三九年五月に脱退者が中心となって横浜税関労働組合(通称「横浜労組」、以下「本件第二組合」又は単に「第二組合」という。)が結成され、控訴人組合は分裂した(全税関の各税関ごとの支部組合の中では、まず神戸税関において昭和三八年三月に第二組合が結成され、その後横浜税関が続き、昭和四〇年二月には長崎、東京、名古屋、大阪の各税関に、三月には函館税関に、五月には門司税関に、全税関の支部組合から脱退した組合員を中心とする第二組合が相次いで結成された。)。

控訴人組合は、控訴人組合から脱退、分裂と本件第二組合の結成は、当局が全税関や控訴人組合の弱体化を狙い、職制らをして行わせたものであると非難するとともに、組合分裂前は、昇任、昇格、特別昇給等はほぼ職員平等に横並び的に運用されてきたのに、分裂後は、当局が本件第二組合員のみを優遇し、控訴人組合員の昇任、昇格等を不当に遅らせ、控訴人組合員に対しては特別昇給をほとんど発令しない(一方、控訴人組合を脱退し本件第二組合に加入した者に対しては特別昇給を少なくとも一回、場合によっては多数回発令する。)等の不当な差別的取扱いをしているとして差別撤廃闘争を行うようになった。この問題は、昭和四五年から数回国会で取り上げられ、控訴人らは昭和四七年三月及び翌四八年五月の二回、横浜税関長らに対し、差別理由の開示と是正を求める旨の通告書を出した(これに対し、被控訴人は特段の応答をしなかった。)。また、昭和四七年一〇月、和久野亘久(控訴人番号7の和久野富子の被承継人)、控訴人松永(控訴人番号9)らは、国家公務員共闘会議を通じてILOに給与等の格差の実態を報告し、救済措置の勧告を求めるべく提訴した。

これに対し、被控訴人は、控訴人組合の分裂や本件第二組合の結成に被控訴人が関与したことは全くなく、昇任、昇給、特別昇給等の点はもちろん、これら以外の諸点に対しても、控訴人組合所属を理由として差別的取扱いをしたことは一切ないと一貫して控訴人らの主張を否定した。

こうした中で、控訴人らは、昭和四九年及び昭和五〇年に本訴を提起した。

第三当事者の主張

(以下、本判決においては、原判決書四分冊中の第一分冊を「原判決書I」と、同第二分冊を「原判決書II」と、同第三分冊の一を「原判決書III」と、同第三分冊の二を「原判決書IV」とそれぞれ略称する。)

当事者の主張は、次のとおり付加訂正するほかは、原判決書各別冊の控訴人らの主張(原判決書I二頁七行目から一一行目まで及び原判決書II一頁から三七三頁まで。なお、五八七頁から五九四頁<略>までは本判決別紙標準対象者一覧表のとおりに改める。)及び被控訴人の主張(原判決書I二頁一二行目から三頁二行目まで、原判決書II三七五頁から五八五頁まで、原判決書III及びIV<略>)のとおりである。

1  原判決書I二頁八行目の「別紙」を「別冊(原判決書II)」に、同九行目の「別紙」を「別冊(原判決書III及び原判決書IV)」に、同一三行目の「別紙」を「別冊(原判決書II、原判決書III及び原判決書IV)」にそれぞれ改める。

(控訴人らの主張関係)

2  原判決書II三頁九行目の「本件訴訟を承継し」の次に「、控訴人菅原は、平成六年九月一九日死亡し、控訴人菅原波江(妻)が相続により、控訴人菅原が有していた本件損害賠償請求権を承継して、本件訴訟を承継し」を加える。

3  原判決書II四頁一四、一五行目「横須賀支署(監視課、業務課、関税鑑査官、館山監所、銚子監所)」を「横須賀支署(監視課、業務課、関税鑑査官等)、千葉支署(館山監視署、銚子監視署を含む。)」に改める。

4  原判決書II七九頁九行目<略>の次に改行して次のとおり加える。

「9 庁舎管理規則の制定根拠が庁舎管理権に求められる以上、庁舎管理規則は経済的自由権である所有権の発現である。これに対し、控訴人らの行動は組合活動の一環としてされているものであり、労働基本権の発現である。労働基本権が憲法二五条の定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として保障されるものである以上(最大判昭和四一・一〇・二六)、経済的自由権による労働基本権の制約が適法なものであるか否かについては厳格な基準により具体的に判断される必要がある。すなわち、庁舎管理規則違反をいうためには、控訴人らの行為が庁舎における規律保持及び業務運営の適正に対する現存する差し迫った危険などを有している場合でなければならない。しかるに、右の各集会等は、いずれも、昼休み、庁舎外におけるもの、早朝出勤時前のもの、あるいは施設外における土曜日の午後の業務時間終了後に行われたもので、その態様も整然としており、なんら右の厳格な要件を充たすものではない。

被控訴人の援用する最高裁昭和五四年一〇月三〇日判決は、組合が使用者の許諾を得ることなくロッカーにビラ五〇〇枚余りを貼付した事案であり、本件のように、控訴人組合の組合活動の規制を目的にして庁舎管理規則が制定された場合とは事案を異にする。仮に右最判が本件に適用されるとしても、右のとおりの目的による本件庁舎管理規制則の制定とその形式的な適用をした被控訴人の行為は、右最判のいう「使用者が有する権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合」に当たることは明らかであり、したがって、被控訴人の右集会妨害行為が控訴人組合及び組合員に対する不法行為に当たることは明らかである。」

5  原判決書II一一六頁末行の「一〇二七名」を「一〇七二名」に改める。

6  原判決書II一八五頁四行目の次に改行して以下のとおり加え、同五行目、同一八七頁八行目、同一八八頁末行、同一八九頁一〇行目の各見出しの「2」から「4」までを順次1ずつ繰り下げて「3」から「5」に改める。

「1 上席官(課長を含む)への昇任差別

昭和六三年七月一日現在、昭和三五年入関組の課長及び上席官を含めた昇任率は二四パーセントであるのに対し、三六年組は四八パーセント、三九年組に至っては六一パーセント(大卒及び中級職等を除いても五一パーセント)となっている。ところで昭和六三年七月一日現在の三五年組における全税関組合員の占める割合は七三パーセント、三六年組は五二パーセント、三九年組は一七パーセントであり、全税関組合員が占める割合によって当該年度総体の上席官率が規定されているのである。

三五年入関組のうち、第二組合員は九名中八名(一名大卒)が上席官又は課長に昇任しているが、全税関組合員はゼロである。その穴を埋める如く三六年組の第二組合員は三三名中三一名が上席官以上になっている。これは本来三五年組の全税関組合員が昇任すべきところ、これを飛ばして後年度入関者の第二組合員を昇任させるという措置がとられた結果に他ならない。昭和六三年一一月一日現在、既に四一年入関組の中から五名(但し一名大卒)が上席官以上に昇任している。三五年入関の全税関組合員の全員が六年後輩にも追い越されている。その結果、当該年度毎に占める上席官の比較は極めて異常な形を示し、誰が見てもいびつな構成といえる。

右上席官への昇任の比較は、昭和六三年七月一日あるいは同年一一月一日と本件係争期間外であるが、訴訟提起後も引き続く控訴人組合嫌悪に基づく差別意思の表われであり、本件係争期間の差別意思の存在を裏付ける補強となるものである<証拠略>。」

7  原判決書II一九一頁一行目の次に改行して以下のとおり加え、同頁二行目、八行目、一三行目の各見出しの「1」から「3」までを順次1ずつ繰り下げて「2」から「4」に改める。

「1 上席官への昇任差別

昭和六三年四月一日時点で昭和三五年入関者の二四パーセント、三六年入関者の四八パーセント、三九年入関者の六一パーセントがそれぞれ上席官になっており、入関者の古い者が本来上席官に昇任するはずなのに逆転現象を生じている。これは三五年入関者三〇名のうち二二名、三六年入関者六四名のうち二三名が全税関組合員なのに対し、三九年組は三四名のうち九名しか全税関組合員がいないことの結果であり、全税関組合員を差別して上席官昇任を遅らせていることは明白である。全税関組合員以外だけで比べればほぼ入関年度順に多く、上席官に昇任しているのである<証拠略>。」

8  原判決書II一九二頁一四行目の次に改行して以下のとおり加える。

「5 五等級、四等級(新六級)への昇格差別

五等級(新四・五級)、四等級(新六・七級)への昭和三六年入関者の昇格実態は左のとおりであり、関税局謀議文書<証拠略>と一致している。

(一)  五等級

五等級昇格は、最初の昇格者のグループが昭和五〇年、最後の昇格者のグループが昭和五七年と八グループに分かれるが、第二組合員は昭和五〇年から五二年までの三年間で殆ど全部昇格している。これに対し、全税関組合員は昭和五二年から五七年までの六年間でやっと昇格し、最高七年の遅れを生じている。

(二)  四等級(新六級)

四等級(新六級)昇格は、最初のグループが昭和五六年、最後のグループが昭和六三年と八グループに分かれるが、昭和五六年から五九年までの昇格者は全て第二組合員が占めている。これに対し、全税関組合員はすべて昭和六〇年から六三年にやっと昇格しており、所属組合を理由とする差別は一層明白となっている<証拠略>。

6 典型的差別事例

<証拠略>に基づき控訴人大槻敏彦(番号63)と第二組合員○東○郎を比較すると、次のとおりとなる。

昭和三八年七月

四等級(新六級)昇格

五九年一〇月一日等級号俸

特昇回数

六三年一〇月現在

大槻

八等級四号

六二年

五等級一二号

一回

審査官(新六級)

○東

八等級四号

五六年

四等級一二号

四回

統括審査官(新八級)

右両名とも昭和三六年に初級職で入関し、組合分裂前は両名とも全税関の組合員をしており、分裂前の昭和三八年七月には両名とも同じ八等級四号であった。分裂後は、控訴人大槻は全税関に残ったが、○東は昭和四三年に脱退して第二組合に加入し、長く役員をしていた。昭和四八年から四九年頃は、両名とも組合中央の専従となって休職し、両名とも横浜税関における労働組合の責任者(全税関は支部長、第二組合は委員長)を経験している。ところが、昭和五九年一〇月一日時点で比較すると、○東は四等級一二号なのに控訴人大槻は五等級一二号に据え置かれている。更に四等級には、○東が昭和五六年に昇格しているのに控訴人大槻はそれより六年も遅れて昭和六二年に新六級(従前の四等級に相当)に昇格した。昭和六三年一〇月現在で○東は八級になり、課長職である統括審査官を務めているのに対し、控訴人大槻は六級のままで平の審査官にとどまっており、この間○東が四回特昇しているのに対し、控訴人大槻は一回しか特昇しておらず、差別はますます拡大している。

○東は、昭和四一年夏ころ免許取りたてで他人の車を運転中交差点で右方確認を怠ってバイクと衝突し相手を死亡させるという大きな人身事故を起こしている。しかし、右比較表を見ればわかるとおり、○東は同期のトップクラスを占めているのに対し、控訴人大槻は大きく差をつけられているのであり、その理由はまさに所属組合の差であるとしか考えられない<証拠略>。」

9  原判決書II一九四頁一三行目の次に改行して以下のとおり加える。

「(四等級昇格)

四等級(新六級)については、第二組合員は昭和五六年から昇格が始まり、六一年までに全員昇格したのに対し、全税関組合員は昭和六〇年から始まり、六三年七月現在いまだに二名が昇格していない。この昇格についていえば、同期で九選抜に分けられている。すなわち第二組合員の第五選抜に全税関組合員の第一選抜の一名が重なり、第二組合員の最終第六選抜に全税関組合員の第二選抜六名が重ねられている。以下、全税関組合員は三選抜に分けられ、全体としては九選抜に分けられて、差別は歴然としている(<証拠略>)。

(上席及び補佐への昇任差別)

第二組合員は昭和五八年から始まり、昭和六三年七月一日現在女性四人を含む八人が未昇任であるが、それ以外は全員が昇任している。そして、平成元年七月一日現在では右女性四人と病休中の一名の男子(○藤○行)を除いて全員が昇任した。それに対し、全税関組合員は一名も昇任していない。これまた差別は歴然としている(<証拠略>)。」

10  原判決書II一九六頁一三行目の次に改行して以下のとおり加える。

「(伊東温之)

伊東温之は、昭和三七年入関組で、もと第一審原告であった。しかし、当局の攻撃に屈し、昭和五五年控訴人組合を脱退し、本件の提訴を取り下げた。同人は、昭和三九年から控訴人組合の執行委員を七年、その後も昭和五〇年まで控訴人組合の保税分会及び山下分会会長を歴任し、この間一貫して控訴人組合の指導的地位にあった。現に、被控訴人提出の現認書にも名前を墨塗りしてあるものの、「非違行為」ありと指摘されている人物である。したがって、控訴人組合員らと同様に当局のいう「非違行為」を重ねてきたものである。ところが、脱退後の昇任、昇格をみると、昭和六〇年に六級に昇格し、六三年には上席に昇任している。同人は控訴人組合所属中は指導的地位にあったため、控訴人組合員の中でも遅い昇任、昇格の差別待遇を受けていたのに、前記のとおり、組合を脱けた結果、同人の差別は解消されたものである。」

11  原判決書II二〇一頁七行目の次に改行して以下のとおり加える。

「(六等級及び五等級昇格)

昭和四〇年入関者の控訴人菊池明(番号96)、同佐藤里子(番号97)は、昇格においても差別をされた。即ち、本件第二組合員は、三一名が昭和五一年一月に六等級に昇格しているが(残り一名も同年七月に昇格し、ほぼ時を同じくして特昇した。)、控訴人菊池明、同佐藤里子は、昭和五一年七月まで六等級への昇格を遅らされた。

さらに五等級への昇格においては、第二組合員は、三二名中、昭和五四年に一一名、昭和五五年に一三名と実に四分の三が昇格している。これに対し、控訴人菊池明は昭和五九年、同佐藤里子は昭和六〇年と、五等級への昇格についても約五、六年の差別をされているのである。」

12  原判決書II二〇四頁六行目の「昇格の推移について」を「昇格の推移が標準的な者、具体的には」に改める。

13  原判決書II二〇七頁末行の「憲法二八条の保障する団結権を侵害するものとして」を「右賃金差別とともに組合への不加入や組合からの脱退を約束させることは控訴人組合員個人の団結権を侵害することであるばかりでなく、控訴人組合の団結権をも侵害するものとして憲法二八条に照らし」に改める。

14  原判決書II二〇八頁三行目から九行目までを次のとおりに改める。

「一、不当労働行為性

被控訴人がした控訴人組合員らに対する昇任、昇格、特昇などにおける差別的取扱いは、不当労働行為であり、国公法一〇八条の七に違反する違法行為である。

1 不当労働行為意思―その1

(一)  被控訴人の不当労働行為意思、すなわち組合間賃金差別意思は、以下に述べるように、被控訴人自身の作成した内部文書等から誠に明白である。

被控訴人が全税関乗っ取りを策し、その第一弾として狙った全税関神戸支部の乗っ取りに失敗するや、この種労務政策の常套手段である組合分裂・第二組合作りに転換し、第二組合育成・第一組合弱体壊滅化に狂奔したことは、前記のとおりである。そして、第一組合である全税関労組の弱体化・壊滅化のためにとられたさまざまな手段のうち〔その詳細は前記第二編第二章(本冊三四頁九行目<略>から一三七頁七行目まで)、第三編第二章(本冊一五四頁末行から二〇七頁五行目まで)〕、組合間差別攻撃はその中心をなし、とりわけ賃金差別政策がその柱であったことも前記のとおりである。

その差別の仕方や実態は前記各入関年次ごとに詳述したとおりである(本冊一六〇頁以下)。この誰の目から見ても一見して明白な組合間差別の実態が、何よりも当局の組合間差別意思の表れであるが、本件の何よりの特徴は、被控訴人自身の作成した各種の文書から不当労働行為意思が明白となったことである。このような事例はまことに稀少であるが、後述の「東京税関謀議文書」及び「関税局謀議文書」はそこで述べるように、真正に成立した公文書であり、かつその内容も真実のものである。そこには全税関組合員に対する差別意思がまことにあからさまに語られているのである。

(二)  被控訴人作成の極秘文書に示されている不当労働行為意思

(1) 「東京税関謀議文書」(後記本冊二一二頁六行目<略>以下、二一七頁一〇行目以下)及び「関税局謀議文書」(後記本冊二一三頁四行目<略>以下、二四三頁一行目<略>以下)から明らかなとおり、全税関組合員の昇任・昇格・特昇は第二組合員や非組合員とは全く評価基準を異にしており、そもそも通常の勤務評定の対象になどなっておらず、全税関組合員であるということだけで既に他の職員よりも遅い昇任・昇格・特昇をさせられることが決められていたのである。今回明らかになった関税局謀議文書は、まさにそのことを直接立証する証拠である。たしかにこの関税局謀議文書は、訴訟が提起されて一二年半を経て発見されたものであり、昭和五八年から昭和六一年にかけての大蔵省本省での会議の内容を記載した文書等であるが、その中ですら全税関組合員は第二組合職員と全く別な基準で昇任・昇格の扱いがされ、その差別を前提にして対外的な説明上、全税関組合員をどのように処遇するかが議論されているのである。そうであれば、全税関に対する差別攻撃、全税関潰しの攻撃が最も激しく行われていた本件係争期間において、もっとすさまじい賃金差別攻撃が行われたとみるのが常識である。そして現に、本件係争期間中に作成された「東京税関謀議文書」の中にその一端が出てくるのである。

(2) しからば、横浜税関ではどうであったか。

東京税関で議論され、実行されたことと同様の組合間差別攻撃が横浜税関でも行われた(いわゆる宍戸メモ、横浜税関人事課長文書等につき後記本冊二一五頁一三行目<略>以下、二二九頁八行目<略>以下)。賃金差別についていえば、昭和四二年四月一一日に行われた部長会議における横浜税関長の発言として紹介された件、すなわち八等級から七等級への昇格延伸措置について実際どうであったかというと、右会議での横浜税関長の発言どおり昭和四一年の八等級から七等級への昇格につき、横浜では一八名もの大量の全税関組合員に対する延伸攻撃がかけられたのである。これは他の税関に比べても大量の延伸攻撃であった。このことからも、横浜税関当局の賃金差別意図は明白といわなければならない。

(3) そして、この延伸政策は、大蔵省関税局が採用したものであることを、当の大蔵省関税局総務課長補佐自身が、とくとくと建設省で開かれた労務研修会議で披露しているのである(<証拠略>)。

すなわち、「全税関、全国税、全建労は国公(国家公務員労働組合)の御三家である。税関においては昭和三八年五月から第二組合作りが始まった。(中略)われわれは残留旧労(第一組合)対策として徹底した差別待遇を行っている。ただし対外説明上やむを得ない場合は別である。訓告だから昇格延伸はできないという話があるが、税関では訓告を受けるような者は勤務成績不良とみなし延伸している。こういうことはできるのだ。一回の延伸は大体、本人や組合に対して、四〇万から五〇万の損害を与えることができ、きわめて効果的である。」と、右森本関税局総務課長補佐が、昭和四四年一〇月建設省で全建労対策として開かれた労務研修会議に大蔵省を代表して講演していることは被控訴人当局も認めるところである(<証拠略>)。なお、この森本課長補佐は東京税関で昭和四四年五月二八日に開かれた幹部会議にも出席して、労務問題で発言している(<証拠略>)。したがって、ここにおいても、被控訴人の組合間差別意思は明白である。

(4) このように、東京と横浜というように税関の場所こそ違うものの、東京税関謀議文書は、幹部クラスの会議の議事録、また後記の宍戸メモはその会議で決定された内容に基づいて下級職制に指示された中味をメモしたものであって、どちらも全税関弱体化、全税関差別のための謀議文書という点では全く変わりがないのである。

東京税関謀議文書は、本件係争期間中に行われた当局による全税関労働組合に対する徹底した差別攻撃の内容を余すところなく伝える第一級の資料であり、また、宍戸メモはその差別攻撃を実行するに当たって、現場の職制にどのような指示がなされたか、そしてそれに基づいて現場の職制がどのようにして全税関労働組合攻撃を行ったかを白日のもとにさらけ出すこれまた第一級の資料である。

2 不当労働行為意思―その2

被控訴人の不当労働行為意思は、以下に述べるように控訴人組合員らの昇任、昇格、特昇等の差別理由についての主張の経緯自体からも窺える。

すなわち、被控訴人は前述したように、当初、控訴人らと同期同学歴入関者との格差の存在について認否しようとしなかったが、これが余儀なく認めざるを得ない事態に追い込まれても、なお具体的事実をもって格差についての合理性の反論をなしたのは定昇延伸(第一審個人原告一一〇名のうちわずか一五名)についてのみであった。

それが、提訴後六年、人証の証拠調べに入ってから三年半も経過して後の昭和五五年七月二五日になって、突然それまでの主張立証の方法を一変させ、原告全員について格差の理由として「非違行為」なるものを主張してきた。しかし、これが格差の真の理由ではなく、後日、訴訟用にこじつけられたものであることは、後記のとおりである(後記本冊二五七頁一二行目以下、二七三頁七行目以下)。

3 被控訴人の控訴人組合に対する攻撃実態からくる不当労働行為性

前記のように、大蔵省・関税局・各税関は増大する業務量を処理していくために、人員増でなく「合理化」策で乗り切ろうとした。そして、この職員の労働条件の低下をもたらす「合理化」策に反対し抵抗する全税関は被控訴人にとっては取り除かるべき「害悪」であった(稲田関税局長の発言・<証拠略>)。そのため、まず最初に全税関最大の支部であった神戸が狙われ、「健全な組合」を育成するために(武藤関税局総務課長の発言、<証拠略>)、組合丸ごと乗っ取りが策された。

しかしながらこれが失敗するや、第二組合作りに労務政策を転換し、以後、猛烈な脱退工作と第二組合結成へと突き進んでいった。分裂・第二組合結成後は第二組合の保護育成・全税関壊滅弱体化のため、ありとあらゆる組合間差別と組合攻撃が加えられたことは前述したとおりである。そして、神戸支部の分裂、第二組合結成を関税局で指揮した前記武藤謙二郎が直接陣頭指揮をとるべく横浜税関に乗り込んできたのは昭和三八年六月であった。以降、それまでの労使慣行の破棄、控訴人組合の既得権の剥奪攻撃にはじまって、職制組合員の脱退工作、脱退職制を使っての一般組合員への脱退工作、そして彼らを中核とするインフォーマルグループ「刷新同志会」の結成、その「同志会」を使っての全税関に対するアカ攻撃やデマ宣伝攻撃、その後分裂・第二組合の結成へと進んでいったことは前記のとおりである。そして、本件第二組合結成後はその保護育成と、全税関の壊滅弱体化策が徹底して行われた。すなわち、本件第二組合の保護育成策としては、第二組合にさまざまな便宜供与をするとともにその執行部のメンバーに対しては仕事上や給与上で優遇したり、とりわけ新人職員を第二組合に加入させるために新人研修の機会などを使って、全税関への誹謗中傷をしながら、第二組合加入に特別の便宜を図ったりした。それに対し、全税関攻撃はまことに徹底したものであった。〔前記第二編第二章(本冊三四頁九行目<略>から一三七頁七行目まで)〕。これらさまざまな差別攻撃の中で、中心は何といっても昇任、昇格、特昇、定昇における差別的取扱いであった。この賃金差別こそは、全税関労組に残る限り、生涯、賃金上の差別を受けるのだということを全税関組合員に身をもって知らしめると同時に第二組合員に対しては見せしめ的効果を狙って実施されたものである。

このように大蔵省、関税局、各税関総ぐるみで全税関壊滅弱体化を企図して、ありとあらゆる攻撃をかける中で、組合間差別攻撃の最大の柱として控訴人組合員らに対し昇任、昇格、特昇、昇給における差別を行ったことは明らかであり、その不当労働行為性は明々白々である。

4 控訴人組合員らの賃金差別実態からくる不当労働行為性

前記〔第三編第二章第二(本冊一六〇頁一一行目以下)〕のとおり、控訴人組合員に対する昇任、昇格、特昇等の差別は歴然としたものであり、かつ被控訴人主張の「非違行為」なるものと、控訴人組合員らの昇任、昇格、特昇等の遅れ(同期同経歴の本件第二組合員の平均者と比較して)とは因果関係がないことは後記(本冊二八一頁六行目以下)のとおりである。

したがって、本件賃金差別はその歴然たる差別実態及び被控訴人主張の差別理由が通用しないものであることから、所属組合を理由とした差別としかいいようがない。この点からも控訴人らに対する昇任、昇格、特昇等の差別的取扱いは国公法一〇八条の七に違反する違法行為であり、不当労働行為である。

二 昇任等差別と裁量権行使

1 はじめに

一般的に、税関に働く職員に対する昇任、昇格、昇給について、任命権者である税関長に一定の裁量権が存することは否定し得ないところである。

しかしながら、本件において問題となっているのは、単に個々の職員に対する昇任、昇格、特昇等の無限定的な裁量行為の有無、限界等ではなく、集団的、系統的かつ継続的になされた差別意思の表われとしての昇任、昇格、特昇等における客観的な格差に対する評価の問題である。すなわち、控訴人組合員その他の税関職員に対する個別の昇任等の行為の一般的な裁量性が解明さるべき中心的問題ではなく(それ自体の限界については後述する。)、むしろ昇任、昇格、特昇等における差別が、控訴人らに対するさまざまな差別のうち最も有効な手段として使われ、その結果著しい格差として顕在化していることの意味が究明されるべきであって、本件はあくまで組合間差別の問題であり、大量的類型的観察における彼我の比較対照の問題であって、このことの認識が本件の出発点であり基礎である。

2 いわゆる作為義務論について

被控訴人は、昇任、昇格、昇給制度の趣旨、内容に照らして、任命権者である税関長が控訴人ら個別職員に対し特定の時期において昇任、昇格、昇給をさせる職務上の具体的な作為義務を負うことはあり得ないとし、作為義務のないところに不作為の違法性を問題とする余地はないと主張する。

しかしながら、被控訴人の主張は、要するに、昇任、昇格等については任命権者に広範な裁量権があり、これらの行為を行うことも行わないことも裁量権者の自由であるから、作為義務も不作為義務も発生する余地がないといっているに過ぎず、昇任、昇格等に関する自由裁量論を言葉を変えて主張しているに過ぎないものである。

一般に、公務員の不作為が国家賠償法上違法と評価されるためには、作為義務の存在が前提とされることは当然であり、かつ本件で問題となっている昇任、昇格、昇給については、任命権者に一定の裁量権が認められることも否定し難いところであるが、これらの権限の不行使が裁量権の逸脱ないし濫用と認められれば、その不作為が違法と評価されることは当然であって、ことさら作為義務や裁量権収縮の理論を云々する必要はない。

しかも、本件訴訟は、昇任、昇格等の確認を求めるいわゆる格付け訴訟ではなく、集団的系統的になされた差別的取扱いを理由とする損害賠償請求訴訟である。控訴人らは任命権者である税関長による昇任、昇格等の措置がなくても当然これらがあったと同様の法的効果が発生したものとしてその地位の確認を主張しているものではなく、任命権者が平等取扱いの原則や不利益取扱い禁止等の諸原則によって規制されているところの裁量権を逸脱して控訴人ら全税関組合員をことさら差別して取り扱った行為の違法性を主張しているものであって、その原因たる任命権者の行為が作為であるか不作為であるかによって違法性の評価にいささかの消長を及ぼすものではない。むしろ、ここで問題とすべきは、作為、不作為の義務ではなく、控訴人らに対する平等取扱いの義務であり不利益に扱ってはならない義務である。そして、控訴人らに対するこれらの義務違反すなわち差別が、昇任、昇格、特昇において集団的類型的に行われたのであって、控訴人ら以外の第二組合員その他の職員に対する昇任、昇格、特昇という作為と控訴人組合員らに対するこれらの行為を行わないという不作為の総体が違法行為を構成するのである。

また、本来差別の概念は相対的なものであり、一方における優遇と他方における冷遇という双方に対する各行為の相関関係の中で差別が生じるのであって、その各行為自体を見れば、前者に対する不作為と後者に対する作為によってこれが生じる場合もあれば、またその逆の場合もある。被差別者に対する作為のみを取り上げてこれをいくら分析してみても差別を認定することはできないのであって、かえって差別性の本質を見失うことになる。しかも差別は、行為者による偶然的な行為によって発生するものではなく、差別意思の具体化としての行為ないし態度によってもたらされるものであり、このような行為ないし態度の総体が違法性の評価の対象となるのである。

3 本件における裁量権の濫用

控訴人組合員ら全税関に所属する組合員らが、第二組合員らに比して給与及び任用において著しい格差を生じていること、その格差が任命権者である税関長による昇任、昇格、特昇における差別的取扱いによるものであることについてはこれまで繰り返し主張してきたところであり、証拠上も明らかである。そして、控訴人組合員らに対するこのような差別的取扱いが、控訴人らが全税関に所属しているというまさにそのことの故に、当局によってなされたものであり、控訴人組合を嫌悪し、その弱体化を企図してなされた不当労働行為であることも既に詳述したところである。

このように、横浜税関長の個人控訴人らに対する昇任等差別及び賃金差別は、個人控訴人らが控訴人組合に所属していることを唯一の理由としてなされたものであるから、憲法一四条(法の下の平等原則)、国公法二七条(平等取扱いの原則)、一〇八条の七(不利益取扱いの禁止)に違反し、社会観念上著しく妥当を欠くものであり、同税関長の昇任等に関する裁量権を濫用するものであって、違法である。」

15 原判決書II二二九頁七行目<略>の次に改行して以下のとおり加える。

「第三 東京税関における差別政策と大蔵省関税局の全国的な指示

前記のとおり明白になった東京税関における右差別政策は、全税関労働組合が分裂した後の昭和四二年から昭和四七年までのものであるが、まさに氷山の一角というべきものであり、その後も、右差別政策は、全税関の壊滅のために大蔵省関税局の指示に基づいて全国の税関で組織的に行われていたのである。大蔵省の一出先機関に過ぎない東京税関が、今回明らかになったような差別政策を到底独自に決定し遂行していたといえるものではない。このことは、右差別政策の内容が重大であって、一税関の権限外の事項であることからも当然のことであるが、大蔵省関税局の指示を仰いだり、仰ぐ必要性が述べられたり、会議に出席した本省幹部の発言が紹介されるなど、参加者の発言を書いたマル秘文書の具体的中味はもっと雄弁に物語っている。

第四横浜における同様の差別政策の実行

一  サークル活動、自主的活動への攻撃

ア  昭和四二年九月一四日の「職場レクリエーションについて」と題する東京税関会議(<証拠略>)の関連(その1)

当局は、右会議以前から一貫して全税関組合員が中心になっている自主的活動を敵視し、攻撃を加えてきた。

例えば、前記のように、横浜税関の図書室について当局が昭和三八年に行った鍵の付換えによる控訴人組合や控訴人組合員による管理の排除(<証拠略>)、昭和三九年の海務室の取上げとロッカー室への改造(<証拠略>)、昭和四一年の婦人室の取壊し(<証拠略>)などはその一例である。

イ  昭和四二年九月二七日の東京税関幹部会議におけるレク行事(<証拠略>)の関連

横浜税関でもそれまで毎年当局と組合の共催による「文化祭」の中で開催されていた文化サークル発表会を、昭和四〇年に当局が一方的に廃止してしまった。そのため、同年からは、やむなく各サークルが、実行委員会形式で開催せざるを得なくなった(<証拠略>)。

ウ  昭和四二年九月一四日の「職場レクリエーションについて」の東京税関会議(<証拠略>)の関連(その2)

横浜でも、全税関組合員が中心となって活動していたコーラス部とは別に、当局が指導し、人事係長等が先頭に立って「ドレミの会」という合唱サークルを作り、しかも作られた後直ちに補助金を出して育成を図るということを行った。東京での右の会議の内容と全く同じである(<証拠略>)。

エ  昭和四二年九月二七日の東京税関幹部会議におけるサークル活動問題(<証拠略>)の関連

当局は官製サークルは直ちにサークルとして認知して補助金を出したが、一方全税関組合員が中心となって活動しているサークル、全税関組合員の多いサークルに対しては補助金の不支給、打ち切りなど露骨な攻撃を加えてきた。

横浜でも、当局が全税関組合員の影響が強いと判断した演劇、落語、映画サークルに対しては、度重なる要求にもかかわらず昭和四二年、四三年とも全くサークル費を支給しなかった(<証拠略>)。

オ  昭和四二年九月二七日の東京税関幹部会議におけるレクリーダー問題(<証拠略>)の関連

<1> 横浜税関でも、ほぼ同じ時期である昭和四二年二月一日の「庁内ニュースで、厚生課厚生係長がレクリーダーの必要性、レクリーダーの養成について右確認とほぼ同様の発言をしている(<証拠略>)。このことからも、これらレクリーダーについての東京税関幹部会議が単に東京税関のみの判断に基づいてなされたものではないこと、換言すれば本省の指示のもとになされたものであることが明白である。

<2> また、このことと関連して、東京税関の昭和四三年度の予算要求では、レクリーダー養成経費、若年層対策経費、レクリエーション学苑参加経費が「志気高揚対策経費」として要求されている(<証拠略>)が、横浜税関で作成された「昭和四八年度税関予算の実行に関する要望事項について」と題する文書(<証拠略>)にも、従来レク行事補助、サークル育成経費、労務対策経費として「志気高揚対策経費」が支出されてきたことが記されている。この点からも、レクリーダーの養成のための経費支出が本省の指示のもとに、「志気高揚対策経費」という用語に統一されてなされたきたことが明らかである。

<3> 当局は、レクリエーション行事からも全税関を排除しようと画策し、レクリーダーにその役割を負わせるため東京税関の昭和四二年八月一六日の幹部会議でレクリーダーの選任の仕方について議論し(<証拠略>)、同じく昭和四二年九月二七日の幹部会議でなるべく多くの新労職員がレクリーダーの経験をもちうるようにすることを確認し(<証拠略>)、レクリーダーの任命はこのとおりに行われたが、横浜でも同様であった。これは正式なレクリーダーについてではないが、昭和四三年、当局は横浜税関山手プールの監視員を、職場にも内緒で一方的に決定して任命し、しかも、この監視員からは全税関組合員を排除するということを行ったのである(<証拠略>)。まさに、レクリーダーを任命制にし、かつなるべく多くの新労職員がレクリーダーとしての経験をもちうるよう措置するという当局の方針と符合する。

二  新入職員対策

当局は、新入職員の中から全税関に入る者が出ることを防ぎ、全税関を弱体化させるために、ありとあらゆる手段を講じてきた。その主なものは、<1>新人研修による洗脳、<2>全税関組合員と新人職員との隔離、<3>新入職員の横浜税関労組加入への便宜供与、そして<4>独身寮対策であった。そして、これは本省の統一的指示に基づくものであったので、東京税関の各会議で議論されている中身と横浜税関で実行された内容とが驚くほどよく符合しているのである。

ア  新人研修による洗脳

当局は、新人研修を、税関職員として働いていく能力を身につけるための基礎研修というよりは、労務政策、全税関対策として位置付けた。

それは昭和四二年九月一一日の東京税関幹部会議において紹介された「新職員の基礎研修は良い。<共>組合を追いつめて行くのに効果があるので毎年新職員を採用し研修を実施してほしい。」という全国税関長会議における横浜税関長の発言からも明らかである(<証拠略>)。

そして、この<共>組合を追いつめるのに効果のある基礎研修とは、新入職員に考える暇を全く与えない程の、人権侵害にも亘るようなハードスケジュールのもとで、徹底した反共、反全税関思想を叩きこむことであった。しかも、新職員の基礎研修を全税関を追いつめるためのものとして発言したのが横浜税関長であることに注目すべきである。事実、横浜では、この会議よりも前から反動的な新人職員研修が行われており、かつ、そのあまりのひどさに、やがて新職員の中から内部告発をされるに至るのである。

横浜税関では既に昭和三九年の新人研修を自衛隊で行い、全税関から追及と抗議を受けている(<証拠略>)。

その後も、横浜では、昭和四二年九月一一日の東京税関幹部会議において横浜税関長の発言として紹介されているように、新人職員の人権を無視した、専ら労務対策のための新人研修を強行してきた。しかし、これに対する全税関の批判活動とともに、そのあまりのひどさに新入職員の中からも批判の声が昂まり、ついに、昭和四七年にはマスコミも一せいに取り上げるなど、大きな反対の世論が盛り上がってきた(<証拠略>)。

そのため、当局も、この新人研修のあり方を再検討せざるを得なくなり、昭和四七年一一月四日、当局は基礎科研修寄宿舎規則を一部改正する案を提示し、全税関、新入職員等の右要求に一定程度応えざるを得なかったのである。(<証拠略>)。

イ  全税関組合員と新入職員との隔離

当局は、前記のとおり、新入職員が全税関に加入することを防ぐため、全税関組合員が新入職員と接触することを極力妨害し、かつ、全税関による組合加入の勧誘を妨害してきた(<証拠略>)。これは、全税関の影響を新入職員の中に広げさせないという方針に基づく発言であるが、右方針に基づく対応は、横浜でも全く同様に行われていた。

すなわち、当局は、研修期間中に全税関を中傷、誹謗するとともに、全税関組合員が新入職員に組合加入訴えのための文書を配布することを妨害し(<証拠略>)、あるいは新入職員の寮生に全税関組合員が会うことすら認めないという攻撃を行ってきたのである(<証拠略>)。

職場配置、仕事の面でも、新入職員と全税関組合員とが接触しないよう慎重に検討を重ねた。東京税関の昭和四二年五月一日部長会議では、新入職員の職場配置に関して「一部新職員については旧労職員の影響等考慮して配置する方針である。」との議論がされている(<証拠略>)が、横浜でも同様に、当局は、新入職員と全税関組合員とが同じ職場で仕事をしないよう画策した。そのため、極めて不自然な事態すら生じている。即ち、昭和四六年入関の高野広志は、基礎科研修が終了した昭和四六年一二月直後に全税関に加入したのであるが、当局は、「新入職員を全税関組合員と一緒に仕事をさせない」という方針に基づき、右高野が基礎科研修を終えて配属され宿直をするとき、三一回の宿直中ただの一度も同期の新入職員と組ませなかったのである。

他の四六年入関の職員は、いずれも三一回の宿直の中で十回以上同期の者と宿直していることからも、高野に対する措置の異常性がわかる(<証拠略>)。

ウ  新入職員の横浜税関労組への便宜供与

全税関組合員と新入職員を徹底的に隔離する政策を取っていた当局は、一方で、第二組合(当局のいう「新労」)を強化・育成することに力を注いだ(<証拠略>)。

横浜においても、この方針に基づき、新入職員を横浜税関労組に加入させるための、当局による横浜税関労組に対する露骨な協力がなされた。例えば、基礎科研修における横浜税関労組への加入勧誘、新入職員の一泊旅行における横浜税関労組への加入勧誘などである(<証拠略>)。

エ  独身寮対策

当局は、全税関が独身寮を組織拡大の目標としていると分析した上で(<証拠略>)、寮生を私生活の面まで寮管理規則で縛り上げ、全税関の影響を寮内から排除し、新入職員が寮で全税関に組織されることを防ごうとした(<証拠略>)。

横浜でも、まず昭和四〇年七月に「横浜税関寮管理規則」を作り、寮生を規則で縛り上げ(<証拠略>)、その上で、全税関組合員を戸塚寮に集中させて、他の寮に入っている寮生との接触を断つという攻撃を行った(<証拠略>)。しかも、他の寮(例えば久里浜寮)では、管理人制度を強化し、寮生の日常の私生活まで監視して、特に新入職員の寮生が全税関に加入することのないようにしたのである(<証拠略>)。

このような、本来の目的から外れた寮管理人制度の運用のため、管理人の質も悪く、昭和四六年には組合加入を寮生に訴えるため久里浜寮を訪れた全税関婦人組合員に対して、寮管理人が「男に会いに来たのならベッドを貸す」という、下劣極まりない暴言を吐くという事件も起きたのである(<証拠略>)。

そして、更に、前述したように、独身寮に入寮する者についても、全税関組合員と第二組合員とを明白に分け、寮生活の中で全税関組合員と第二組合員とが接触しないようにしたのである。

三  昇級・昇格差別

横浜税関における全税関組合員に対する昇級・昇格差別の実態については、既に十分立証し尽くされてきたところであるが、ここでは東京税関の謀議文書との関連で、横浜での昇格差別につき、一点だけ指摘しておくこととする。

昭和四二年四月一一日、東京税関において開催された総務部長会議において報告されているように(<証拠略>)、八級から七級への昇格における全税関差別について、横浜税関が最も強硬な姿勢を持っていた。

実際に、右会議で紹介された本省の会議における横浜税関総務部長の発言どおり昭和四一年の八級から七級への昇格につき、横浜では一八名もの大量の全税関組合員に対する延伸攻撃がかけられたのである。これは他の税関に比べても大量の延伸攻撃であった(<証拠略>)。

四  以上のとおり、東京税関の諸会議で議論されていたのと全く同じ攻撃が横浜でもなされてきたのであり、このことからも、各税関における差別政策が大蔵省関税局の全国的な指示に基づくものであることが明らかである。

第五他の税関における同様の差別政策の実行

例えば、大阪税関において行われた差別政策の例を二~三あげておこう。これを見ただけでも、全税関に対する差別政策が、大蔵省関税局の統一的な指示によって全国で行われたことが明らかである。

ア  昭和四二年四月一一日の東京税関部長会議において「本省は同盟の線で行くべきだとの意見であれば…」と第二組合(大阪税関労働組合)について本省が同盟参加を指示していることを示す発言が記載されている(<証拠略>)。実際に昭和四三年七月一三日の代議員大会において第二組合は同盟傘下の全官公に加盟決議している(<証拠略>)。そのために職制を通じて代議員大会の画策があった。昭和四三年当時関心がないまま第二組合の代議員をしていた遠山昭夫は総務課長より「当局としてはぜひそれを成立させてほしい」と、全官公加入の代議員大会へ出席して賛成してほしい旨の強い要請があったことを赤裸々に語っている(<証拠略>)。

イ  レクリエーション、サークルから全税関組合員を排除することは、東京税関の方針であったが、これは大阪でも同様であった。

例えば、虫明博子は卓球部で活動し、家事・育児と忙しい中で対外試合にも大阪税関卓球部として常に良い成績を残してきた。ところが組合分裂後「貴方は部員ではない」と突然言われるのである<証拠略>。

しかも大阪でも、昭和四六年に、東京税関におけると同様の全税関対策の会議が開催されたことが明らかとなっているのである(<証拠略>)。

ウ  さらに、例えば名古屋でも全税関の組合員が野球部から排除され、野球大会に出場できなかったなど、同様の攻撃がされている。この場合には、抗議をした全税関所属の野球部員に対し、総務課長が、「全税関は出場させないことにしている」などと暴言を吐いているのである(<証拠略>)。

以上のように他の税関の二~三の例を見ただけでも東京税関における謀議と同じ内容の攻撃が実行されている。このことからも、本件差別政策が大蔵省関税局の全国的な指示にもとづいていることがわかるのである。

16 原判決書II二五二頁一〇行目<略>の「同様の差別が行われていた。」の次に「すなわち、横浜税関では、遅くとも昭和五〇年度以降旧五等級(五級)格付けから右のような差別取扱いが行われていたことが、実態調査結果(<証拠略>)からも明らかになっている。」を加える。

17 原判決書II二七四頁一四、五行目の「従来、何ら問題とされなかったものであり、」の次に「リボン等の着用に至っては、被控訴人の主張によっても組合分裂後二年後の昭和四一年前半までは「非違行為」との主張がされていない(<証拠略>)。控訴人組合は、それ以前もリボン等の着用闘争を行っていたが、当局はこれに注意すらしていなかったのであり、」を加える。

18 原判決書II二七八頁一一行目の次に改行して次のとおり加える。

「三 個別の検討

控訴人辻(番号1)のケースをみると、処分歴としては、昭和三五年六月四日と二二日の職場集会に関して同年七月に戒告処分が一回、昭和四七年七月一二日のリボン・プレート着用について同年八月に厳重注意(口頭)が一回、昭和四九年三月二五日の職場集会に関する抗議について同年一二月に厳重注意(文書)が一回。

処分歴は、これだけである。本件係争期間(昭和三九年四月一日から昭和四九年三月三一日まで)より何年も以前の戒告一回が本訴請求のような著しい昇任、昇格、昇給差別に結びつくことは、人事の常識からあり得ないし、その後のリボン・プレート着用に対する処分も、懲戒処分にも至らない、いわゆる矯正措置の中でも訓告より更に軽い厳重注意が二回あっただけで、そのうちの一回は口頭で済まされている程度のもので、これらが本件のような甚だしい差別に結びつく理由はない。

その一方、控訴人辻に関する被控訴人主張の非違行為一覧表には、懲戒処分の対象にならず、単なる「注意」で済まされていた控訴人の組合活動、すなわちリボン、腕章着用等が合計四九件も列挙されている(リボン、プレート、腕章の着用が四七件。賃金要求を表示した円柱を机上に置いた行為が二件。)これらすべてについて、被控訴人は、本訴提起から六年も経過した後になって突如、「非違行為」であると全く新たな主張を始めた。当局自身、懲戒処分の対象にすることができず、単なる口頭の指示・注意にとどめていたリボン・プレート、腕章の着用等について、被控訴人は、「非違行為」というレッテルを貼り、その件数の多さを非違行為の反復のゆえに重大な服装規律違反であると主張するに至ったのである。

現に被控訴人申請の控訴審における小山芳雄証人自身、本訴提起後六年も経過した時点で被控訴人が主張するに至った非違行為とされる組合活動(庁舎ビラ貼り、無許可集会など)を、勤務評定するときマイナス要素として認識していたのか、との反対尋問に対し、そういう認識・考えはなかったと述べている。

非違行為とは、本訴提起後に被控訴人が名付けて創出した新基準にほかならない。このような一方的な新基準を遡及適用して、かくも甚だしい、到底説明のつかない本件差別を糊塗しようとしたのが、原審における被控訴人の訴訟行為であった。」

19 原判決書II二八五頁九行目<略>及び二八九頁二行目<略>の各「田中左千夫」をいずれも「田中左千男」に改める。

20 原判決書II三二五頁五行目<略>の「五月一六日」を「五月一三日」に、三二九頁六、七行目<略>の「二三日、二六日のリボン闘争」を「二三日ないし二六日のリボン闘争」に、三三〇頁一〇行目<略>の「六月一一日」を「六月一一日ないし一三日」にそれぞれ改め、三三二頁初行<略>の「一二日、一三日、」を削り、三三三頁四行目<略>の「一九日」を「一九日ないし二一日」に、三三六頁八行目<略>の「一八日、二三日」を「一八日ないし二三日」にそれぞれ改める。

(被控訴人の主張関係)

21 原判決書II三八一頁一三行目<略>の「別紙原告別非違行為一覧表」を「以下の非違行為一覧表」に改め、三八二頁二行目<略>の次に以下の表を加える。

非違行為一覧表

年月日

違反行為の種別

場所

証拠

三五・六・四

無許可集会

川崎税関支署玄関前

新港分関玄関前

本関各入口

<証拠略>

三五・六・二二

無許可集会

本関一号玄関前

<証拠略>

三九・一〇・三

横断幕掲出

本関正面玄関前

<証拠略>

三九・一〇・八

横断幕掲出

本関正面玄関前

<証拠略>

三九・一二・二三

横断幕掲出

本関正面玄関前

<証拠略>

四〇・一〇・二二

無許可集会

高島埠頭出張所事務室

<証拠略>

四一・四・四

無許可集会

山下埠頭出張所業者だまり

<証拠略>

四一・四・八

無許可集会

山下埠頭出張所検査場入口

<証拠略>

四一・四・一九

無許可集会

川崎税関支署公衆だまり

横須賀税関支署事務室

山下埠頭出張所正面玄関横

高島埠頭出張所事務室

<証拠略>

四一・五・二六

無許可集会

本関公衆だまり

<証拠略>

四一・六・九

無許可集会

本関警務一課前廊下

本関貨物課前廊下

本関徴収課前業者だまり

本関鑑査部事務室

川崎税関支署公衆だまり

横須賀税関支署食堂

山下埠頭出張所業者だまり

高島埠頭出張所事務室

鶴見出張所事務室

瑞穂出張所事務室

外郵出張所休憩室

<証拠略>

四一・六・二三

無許可集会

本関一階中廊下

分関事務室業者だまり

山下埠頭出張所屋上

高島埠頭出張所業者だまり

<証拠略>

四一・九・二〇

無許可集会

千葉税関支署事務室

<証拠略>

四一・一〇・二一

無許可集会

本関一階中央通路

千葉税関支署事務室

山下埠頭出張所業者だまり

鶴見出張所事務室

瑞穂出張所事務室

<証拠略>

四一・一二・九

無許可集会

山下埠頭出張所検査室横

<証拠略>

四一・一二・二〇

無許可集会

分関事務室

<証拠略>

四一・一二・二二

無許可集会

鶴見出張所事務室

<証拠略>

四一・一二・二七

無許可集会

山下埠頭出張所分室横

<証拠略>

四二・二・一四

無許可集会

高島埠頭出張所事務室

<証拠略>

四二・六・二七

無許可集会

山下埠頭出張所公衆だまり

<証拠略>

四三・三・二三

横断幕掲出

山下埠頭出張所通用門前

<証拠略>

四三・五・一五

ノボリ掲出

本関玄関前

<証拠略>

四三・六・七

無許可集会

本関屋上

<証拠略>

四三・九・三〇

横断幕掲出

山下埠頭出張所通用門入口

<証拠略>

四三・一〇・一

横断幕掲出

山下埠頭出張所通用門入口

<証拠略>

四三・一〇・二

横断幕掲出

山下埠頭出張所通用門入口

<証拠略>

四八・六・一三

座込み集会

本関正面玄関車寄せ

<証拠略>

四八・七・一九

無許可集会

本関正面玄関

<証拠略>

四九・三・二五

座込み集会

合庁玄関前

<証拠略>

四九・三・二九

ステッカー貼付

本牧埠頭出張所二、三階事務室

<証拠略>

22 原判決書II三九九頁六行目<略>の次に改行して次のとおり加える。

「4 控訴人らは、庁舎管理規則違反をいうためには、控訴人らの行為が庁舎における規律保持及び業務運営の適正に対する現在する差し迫った危険などを有している場合でなければならない旨主張する。

しかしながら、最高裁昭和五四年一〇月三〇日第三小法廷判決(民集三三巻六号六四七頁)は、労働組合が当然に当該企業の物的施設を利用する権利を保障されていると解すべき理由はなんら存しないから、労働組合又はその組合員であるからといって、使用者の許諾なしに右物的施設を利用する権限をもっているということはできず、企業内組合が右物的施設を利用する必要性が大きいことのゆえに、労働組合又はその組合員において企業の物的施設を組合活動のために利用し得る権限を取得し、また、使用者においてこれを受忍しなければならない義務を負うとすべき理由はない、というべきであるとした上、施設管理権と組合活動の調整原理について、労働組合又はその組合員が使用者の許諾を得ないで企業の物的施設を利用して組合活動を行うことは、これらの者に対しその利用を許さないことが当該物的施設につき使用者が有する権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合を除いては、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保し得るように当該物的施設を管理利用する使用者の権限を侵し、企業秩序を乱すものであって、正当な組合活動として許容されるところであるということはできない、と判示している。

この理は、国公法上の登録職員団体である控訴人組合及びその組合員である個人控訴人らにも及び得るものである。

したがって、例外的に庁舎管理権の濫用であると認められるような特段の事情がある場合にのみ組合活動のために庁舎管理権が制約を受けることがあるにすぎないのであって、控訴人らが主張するように現在する差し迫った危険がある場合にのみ庁舎管理権を行使できるというものではない。

控訴人らの庁舎管理規則に違反する行為は、いずれも庁舎管理権を侵害し、税関業務の正常な運営を阻害し、職場秩序を乱すものであって、正当な組合活動として許容できるものではないから、庁舎管理権の濫用に当たらないことは明らかである。」

23 原判決書II四〇三頁一〇行目<略>の次に改行して以下のとおり加える。

「また、全税関が安保闘争を契機として先鋭化したこと及び以後業務規制闘争を組んだことは控訴人ら自ら主張するところであり、<証拠略>(支部ニュース)からも明らかである。

したがって、講師が講義の際述べたことは、単に事実をありのまま話したものに過ぎず、控訴人らの主張するように反控訴人組合思想を徹底的に吹き込んだなどといえるものでないことは明らかであって、その旨の控訴人らの主張は失当である。」

24 原判決書II四〇五頁一二、一三行目<略>の「本件第二組合が研修生を対象に加入勧誘のために行ったもので、当局がこれに加担したことはない」を「本件第二組合がこれを実施する旨の広報を行っている事実がある(<証拠略>)から、横浜税関当局が、本件第二組合の行った研修生をバスに乗せて昼食会場へ運び本件第二組合に加入させた行為に加担したとまで判断し得る合理的根拠に乏しい」に改める。

25 原判決書II四一三頁二行目<略>の次に改行して次のとおり加え、三行目<略>の見出しの「4」を「5」に改める。

「4 控訴人組合脱退者の推移

(一) 控訴人組合は、先に述べた昭和三八年九月頃の検査場検査の問題に対して現在検査反対闘争を行い、同年一〇月頃からは組合員が集団で脱退しているところである。この脱退者の推移を当時の控訴人組合ニュース、同志会ニュース等からみると次のような推移を示している。

昭和三八年一〇月一二日 二六名(<証拠略>)

同月一八日 累計八〇名(<証拠略>)

昭和三九年一月初旬 累計二七四名(<証拠略>)

同年三月下旬 累計三六六名(<証拠略>)

同年四月中旬 累計五〇〇名近く(<証拠略>)

同年六月中旬 累計推定七三七名(<証拠略>)

なお、<証拠略>によれば、昭和三八年七月当時の控訴人組合の組合員数は約一三〇〇名であった。

(二) 控訴人組合は、前述のとおり、その内部に執行部の方針に対する種々の批判、反対を抱えながらも、当時の唯一の組合として組織を維持してきた。しかし、執行部が適切な対応をしなかったことから、組合員の賛同を得られなくなり、検査場検査反対闘争といった無理な活動を強いるに至って一挙にその不満が顕在化するに至ったものである。そして、検査場検査の問題を機にして既に脱退者を八〇名出し、同志会結成のころには二七四名の脱退者を出し、その後も脱退する者は激増し、横浜税関労組の結成後には七三七名にも達したのである。

このように、控訴人組合の組合員の大量脱退は、組合員から活動方針等についていろいろな批判があり、それに対して執行部が適切な対応をせず、次第に弱体化していったことにその原因があったといわざるを得ない。換言すれば、このような脱退者の推移は、控訴人らが主張する当局側の勧誘等によって説明できるものではないのであって、控訴人組合の他に選択可能な組合が組成された結果、それまで控訴人組合を消極的に支持せざるを得なかった者までが脱退に踏み切るに至った結果というべきである。

このような短期間における大量の脱退に伴う分裂の経緯からすれば、横浜税関当局が控訴人組合の弱体化を意図して支配介入し、分裂せしめたなどという控訴人らの主張は、執行部の責任を他に転嫁するための方便であって、誤りであることは明らかである。

(三) これに対し、控訴人らは、当局による昭和三八年六月以降の控訴人組合の分裂工作、本件第二組合の結成工作等及びその後の組合間差別を問題にしているのであるから、被控訴人が主張する控訴人組合分裂の経緯は関係のない事柄であると主張する(控訴人らの控訴審における準備書面(三)の第二、一)。

しかし、控訴人組合が分裂に至った経緯からすれば、控訴人組合は自らが有していた問題を解決できず、組合員の支持を受けられないまま瓦解して分裂したことは明らかであって、控訴人組合の主張は誤りである。

(四) 以上の次第であるから、横浜税関当局が差別意思に基づき、控訴人組合の分裂や少数派化を意図して支配介入した旨の控訴人らの主張は失当である。ましてや、当局の介入による管理職脱退、当局の介入による同志会結成とこれを介してのデマ宣伝、当局の介入による本件第二組合結成及びその育成保護及び当局の介入による税関労働組合協議会結成を控訴人組合に対する違法行為の一部とする控訴人らの主張は理由がない。」

26 原判決書II五三三頁七行目の次に改行して次のとおり加え、八行目の見出しの「四」を「五」に改める。

「四 裁量評価の関係での本件非違行為について

1 本件非違行為の位置付けに関していえば、基本的には、あくまでも、個々の職員につきその勤務成績や能力等の個別事情がどのようであり、これとの比較において税関長において特定の時期に昇任、昇格等を行わなかったことが明らかに前述のような裁量権を逸脱・濫用しているかにかかっているのである。

2 控訴人らは、非違行為のない時期に昇任等をせず、非違行為の多数ある時期に昇任等をしている者が存在することをもって、本件非違行為と昇任等との間に因果関係が存在しないことの一つの根拠であると主張する。

しかし、既に述べたとおり、非違行為は、経歴、学歴、知識、資格、能力、適性及び勤務成績等諸々の要素の一つとして、しかも適性や勤務成績等評価の一要素としてしん酌され、それ以上でもそれ以下でもないのであるし、昇任、昇格について適性(適格性)の評価対象期間は採用後の全期間であることも念頭に置けば、このことをもって個人控訴人らの昇任等が本件非違行為と無関係に行われていることの立証になるなどとは到底いえないのである。

この点について、個人控訴人らの中でみると、その可能性としては、非違行為の存在以外の点については比較相対的に、勤務態度、能力等のより優れた者とより劣った者がいるのは当然であり、また、時期的にみても、勤務態度等にそれなりの変化が生ずる者のあった可能性も否定することはできない(かかる細かい事実関係について記録化、証拠化が困難であることは先に指摘したとおりである。)。そして、仮に、控訴人らは、その非違行為や勤務態度等のために、昇任、昇格、昇給について劣位に処遇されてきたとしても、それでも、長年の勤務のなかで経験年数を増加させ、能力も向上させてきたものとも考えられるのであるから、特定の査定時期において、特定の地位、等級、特別昇給枠などについて見ると、個人控訴人らと、当該査定時期における査定対象者を比較した場合に控訴人らがその非違行為の存在にもかかわらず相対的に優位に評価されることも成績主義の原則からいえば十分にあり得ることであり、また、昇任等がされるか否かは当該期間における昇任等の人数枠の大小にも影響されざるを得ない。したがって、個人控訴人らについても、非違行為に比較的接着した時期に昇任、昇格等があり、逆に、非違行為がない時期に昇任、昇格等がなかったという事態も当然生じ得るところであり、そのような事態は、全体的な昇任、昇格、昇給に係る成績主義の原則とも何ら矛盾しないのである。

3 なお、控訴人組合を離脱した職員についての昇任、昇格等の問題については、これに該当する職員の個々的な資料を提出することはできないのであって、あくまでも控訴人らの主張を前提とした仮定的、一般的な指摘を行わざるを得ないのではあるが、一般論としては、控訴人組合を離脱した職員がその後比較相対的に昇任、昇格等を早めたとしても何ら不自然ではない。すなわち、そもそも、控訴人組合を離脱したということは、控訴人組合の当局に対する意見、幹部の指導、その活動方針に対して反対するという意見の表明であり、そうした職員がその後前記のような非違行為を推進容認する控訴人組合の方針に従った行動を取らず、さらに、税関業務の特殊性や職務上の義務を軽視する行動を改めたということであれば、それが勤務態度に反映され、その結果勤務成績が向上するということも一般的にもあり得ることである。

前記のとおり、この点について、控訴審における<証拠略>は、「現に私が知っております職員でも、脱退をしましてから人が変わったよう、まじめといいますか、一生懸命仕事をして、今ではりっぱなあれをやっている人が数人おります。」とも証言しており、「全税関のしがらみ」が誠実な勤務態度の障害となっていることを示唆しているともいえる。そして、かかる成績向上の可能性は従来当該職員に非違行為が存したかどうかを問わず考えられるところである。

また、右のように当該職員が意識を改める時期は、必ずしも組合離脱の時期と一致するわけではなく、場合によっては、組合離脱のかなり前の時期から組合活動に不満を抱くなどして意識の変化が生じ、これに伴い成績の向上も離脱の前から生じるということもあり得るところである。

したがって、組合離脱前後のどの時点でどのような昇任、昇格等があったとしても、いずれも右のような可能性から考えれば、個々の職員の成績の結果いかんに関する事柄として格別不自然とはいえず、ましてや、組合離脱後の昇任、昇格等の点をとらえて、組合所属の有無自体で昇任、昇格等が左右されることが立証されるなどとは到底いえないのである。」

27 原判決書II五三三頁一四、一五行目の「自覚を欠いたものということができるから」を「自覚を欠いたものでその内容や態様、反復性からしても違法性が格段高いものということができるから」に改める。

28 原判決書II五四七頁二行目の見出しの「勤務態度」を「本件非違行為にみられる個人控訴人らの勤務態度」に改め、同五四八頁三行目から九行目まで(「四」の項)を次のとおりに改める。

「四 控訴人らの一般的勤務態度

以上のとおり、個人控訴人らの非違行為の内容や態様、また、度重なる注意・命令にもかかわらずこれを拒否し、時として反抗する態度、さらにこれをあえて累行したことからすれば、非違行為自体及びそこに表われる勤務態度だけからしても、個人控訴人らにこのような人事上の差が生じても当然であるが、個人控訴人らの非違行為以外の勤務態度も以下に述べるとおり、到底良好といえるものではなかった。

1 日常の勤務態度について

控訴審において被控訴人が書証として提出した供述録取書の内容及び承人尋問の結果からみられる個人控訴人らの係争期間中の勤務態度は、一般的な傾向として次のようなことがいえる。

(一) 個人控訴人らは与えられた仕事は処理するが、上司に反抗的で協調性に欠け、法令及び上司の命令に従う義務に反する行動が多い。

(1) このような個人控訴人らの勤務態度の背景には、全税関が、昭和三六年七月に開催した全税関第二四回全国大会において、「合理化によるあらゆる労働条件の切下げに反対、時間短縮、社会保障拡充、行政の民主化等の諸要求を安保条約破棄の斗いと結合して斗う。」との運動方針を決定し、「とくに合理化による重労働、仕事の反動化に反対していくことが強く表明された。」と大会結果を教宣したことなどにもよるところがあると考えられる(<証拠略>)。そして、それ以降、本件係争期間中においても控訴人組合は、当局が行う監視新体制、申告納税制度等の新施策に対して異をとなえ、「税関の憲兵化に反対し、中小企業をしめだし独占本位の港に変えようとする申告納税制度に反対し」、「合理化とはバラ色の幻想ではなく一人一人の仲間に厳しい労働強化と権利侵害が加えられることだ。」、「合理化は絶対に労働者の利益じゃない。」、「これら一連の合理化が我々働く者に労働強化と犠牲を押しつけ」などと盛んに教宣し、控訴人らは、税関庁舎に何百枚もの違法なビラを貼り、あるいは、勤務時間中のリボン着用であっても組合活動であれば正当なこととして許されるとして行動してきたのであって、個人控訴人らの勤務態度も、これら控訴人らの同一傾向にある考えに由来するところが大きいものと考えられる(<証拠略>)。

個人控訴人らは、このような控訴人組合の運動方針の下においてはその運動方針に忠実に従えば従うほど、当局の新施策等に協力的な態度や仕事に積極的な姿勢などは生まれようもなく、かえって、上司に反抗的であったり、職場内で協力・協調することが少なく、控訴人組合の意にそぐわないことに対しては上司の命令等にも従わなかったりなどすることになる傾向が強くなったと考えられる。

(2) 右に述べたことを具体的に例示すれば、立哨勤務(各埠頭や造船所の出入口に、交番のような監所を設け、そこに職員を配置し、三〇分交替で道路に立哨し、旅客や船員、外国貿易船に出入りする業者等に関税法一〇五条に基づく質問・検査を行う。)を怠り上司に注意された際、「私は命令されて仕事をするのは嫌いです。」(<証拠略>)、監所で勤務中本を読んでいて上司に注意された際、「勤務中に本を読んで何故悪い。」(<証拠略>)などの反抗、勤務時間中のリボン等着用に対する上司の取り外し注意、命令に対する「組合の指令ですので取り外せません。」との拒絶(<証拠略>)、上司が「職場の上司の命令よりも支部の指令の方が重要だと考えているのか。」と問い質したのに対する「そうです。」との発言(<証拠略>)、また、勤務時間中に当局による違法ビラ撤去に対し職務を放棄して抗議し、通関業者等部外者がいる中で事もあろうにシュプレヒコールを行い、職場を喧騒に至らせ職場の秩序を乱す行為など、法令遵守精神に欠け、上司を上司とも思わない言動等に代表されるところである。

このような例は現認書に記載されている非違行為の際に限られず、日常的な勤務の中でもしばしばみられたことは、控訴審における証人岡田豊作の証言からも明らかであり、上司の指示、注意に対して反抗的な態度をとったり、暴言を浴びせたりする態度は、そのような発言をした個人控訴人らの個人的な性格に由来するものではなく、控訴人組合の当局に対する態度と関連するものと認められるのである。

(二) また、個人控訴人らの右のような態度は、誠実な職務の遂行を放棄する態度ともいえる。

(1) 個人控訴人らの不誠実な勤務態度としては、旅客や船員、外国貿易船に出入りする業者等に関税法一〇五条に基づく質問・検査を行う立哨勤務を誠実に行わなかった事例、税関職員の基本的責務である犯則事犯の摘発に消極的又は否定的な勤務態度であった事例、法律上義務付けられている制服をきちんと着用しない事例などがあり、このような勤務態度について上司が注意しても素直に聞き入れなかったのであって(<証拠略>)、個人控訴人らは、互いに意を通じて、誠実に勤務する態度を放棄し、それが、昇任、昇格、昇給に悪影響を与えることさえ意に介していなかったことが認められるのである。

(2) これに対し、控訴人組合はむしろ誠実な勤務態度を放棄するよう指導したり、不誠実な勤務態度をあおったり、これを擁護しているのであって(<証拠略>)、控訴人組合の組合員には、程度の差こそあれ、不誠実な勤務態度が認められたものと推認される。だからこそ、昭和三八年一一月二九日付けの脱退者の「脱退趣意書」(<証拠略>)でも、「上司に反抗するような気風を醸成したり、或いはまた、誠実・真摯な執務観念を喪失させるような指導等をして」いると批判されているのである。

(3) なお、<証拠略>によれば、同人が昭和四〇年当時新たに入関した職員の指導教育に当たるのにふさわしくない勤務態度が悪い職員を新人職員とは別の班にしようという考えから班編成をしたところ、一つの班は控訴人組合の組合員ばかりであったという。

しかし、個人控訴人らの勤務態度には、新人職員に対し「現政府を助けるような、犯則摘発などやる必要はない」とか、「昼休みや夜間の立哨勤務(スタンディング)をしなくてもよい」と言うなど税関の監視取締職員としては常軌を逸した勤務態度であったことが窺われるのであり、これらの職員の勤務態度は先輩の公務員、税関職員として後輩の指導に当たるのにおよそふさわしくないものであった(<証拠略>)。このような者に、新たに入関した職員の指導をゆだねることができないことは明らかであるから、このような勤務態度の者を新人職員と別の班とすることは現場において実地に新人職員の指導に当たる者にとっては、やむを得ない選択というべきであって、このような班編成の結果、一つの班が控訴人組合の組合員で占められることになったとしても、前記のような控訴人組合の組合員の一般的な傾向からすればうなずけるのであり、ここから当局の支配介入や差別の意思があるとみるのは適当でない。

(4) したがって、上司の注意等に反抗する、勤務時間中にリボン等を着用して上司の注意・命令に従わない、勤務時間中にシュプレヒコールを行うなどに代表される非違行為、自ら進んで仕事に取り組む意欲にきわめて乏しい、誠実に勤務しないなどの勤務態度は、個人控訴人らの勤務成績評価の際にマイナスの影響を与えたことは当然であり、個人控訴人らの上司であった証人もいずれも本件係争期間当時評価が低かった旨を証言しているのである。

(三) その他の個人控訴人らの勤務態度及びこれに対する控訴人組合の態度について

個人控訴人らは本件係争期間中に、勤務成績が良好ではなく、勤勉手当の成績率が低く査定されて支給(控訴人らはこれを「勤勉手当カット、」、「勤勉手当差別支給」という。)されたり、リボン闘争等に対する矯正措置、抗議行動・無許可集会参加等に対する懲戒処分や矯正措置を受けている。これら個人控訴人らに対する税関当局の措置に対して、控訴人組合は、支部ニュース等で不当であると批判して、前述のように個人控訴人らの勤務成績が良好でなかったことや控訴人らの非違行為を擁護したり正当化したりしている。

(1) 例えば、控訴人組合は、昭和四三年三月一五日及び同年六月一五日に支給された勤勉手当について、支部ニュースで「不当な勤勉手当差別」、「勤勉手当の差別に抗議し」、「全税関組合員への弾圧であることが歴然としている。」等と教宣した。そして、個人控訴人らは、全税関に所属しているための差別的取扱いであるとして人事院に行政措置要求を行ったところ、その結果は、「執務中上司の職務上の命令又は注意に対し、しばしば従わなかったことが考慮されたものである。」などとして個人控訴人らの要求が認められなかったものである(<証拠略>)。それにもかかわらず、控訴人組合は、人事院の判定に対し、支部ニュースで「『行政措置要求』に対する人事院の不当判定に強く抗議する」などと教宣するばかりで、自らの勤務成績が良好でなかったことを認めようともしないのである(<証拠略>)。

(2) また、控訴人組合が昭和四七年七月に行ったプレート闘争について、支部ニュースでは、山下分会のニュース記事を引用してプレート闘争に対する当局の対応を中傷、批難し、さらに同プレート闘争に対する税関長の矯正措置に対して何ら反省することなく、「我々の行ったプレート闘争は正当な行為であり職務専念義務違反でも信用失墜にもならないのである。“注意”を撤回せよ」などとして抗議行動を行いプレート闘争の正当性を主張するということもあった(<証拠略>)。

(3) このような控訴人組合の主張や行動は何も勤勉手当の支給やプレート闘争等に限らず、無許可集会、抗議集会等に対しても税関長が処分を行った際にも必ず控訴人組合あるいは個人控訴人らの行為は正当であって当局の対応や処分の方が不当であるとするのが常であって、このような控訴人組合の態度は本件係争期間を通じて一貫している。そして、個人控訴人らが右のような控訴人組合の主張やそれに基づく行動を支持している限り、個人控訴人らにおいても係争期間中控訴人組合の運動方針や主張に基づく行動に同調して行動していたのであって、これに反するような行動はおよそ想定することはできない。したがって、そのような控訴人組合の主張に同調して行動していた個人控訴人らには、例外もあり得るとしても、服務規律に反する行動がある、上司の命令よりも組合の指令を優先させる、上司に対して反抗的である、職場秩序を乱す、協調性に欠ける等のことが一般的な傾向として認められるのである。

2 遅刻・休暇の取得について

個人控訴人らの陳述書において、欠勤がある旨陳述した個人控訴人を除き、一様に本件係争期間中には遅刻、早退、欠勤がなく完全無欠な出勤状況であったかのごとき記載がある。

しかし、以下に主張するように、個人控訴人らには係争期間中に遅刻、病気休暇、欠勤があり、個人控訴人らの出勤状況に関する陳述内容は信頼性に欠けるものである。

(一) 遅刻について

(1) 遅刻とは、定められた就労時刻に遅れて出勤することであり、労働法上は労働契約上の債務の不履行に当たる。そして、また、遅刻は、一般に、職場の規律を弛緩させ、職場秩序を乱すものであり、遅刻者の業務を代替するための業務の振替えなどによって少なからず業務が阻害されることにもなる。したがって、遅刻を多く繰り返す者は、勤務成績はこれがない場合と比較すると相対的に低下するばかりか、職務に関連してみられる責任感、勤勉さ等に欠けると評価されるのは当然といえる。

ところで、横浜税関においては、本件係争期間中、職員が遅刻した場合であっても、直前にあるいは事後にでも電話等で連絡があったものについては、年次休暇として処理していた。このような場合、仮に使用者が時期変更権を行使したとしても、連絡が直前であったり、事後である場合には、当該職員が出勤するまでの間は就労を求めることは不可能となり、業務の遂行に支障が生ずるおそれがあるので、このような直前の連絡は、年次休暇の申請として相当なものではない(人規一五―一四第二七条参照)。それにもかかわらず、このような処理をしたのは、遅刻によって給与が一部カットされて職員の生活に支障が生じたり、経歴に傷がつくことをできるだけ避けたいという配慮によるものである。しかし、このように年次休暇として処理されたとしても、前述のとおり、職場秩序の混乱や業務の阻害といった遅刻による職場への影響については、これが消去されるわけがなく、年次休暇として処理されたとしても、遅刻を多数回くりかえす者の勤務態度という側面において、これがない場合と比較すると相対的に低下するのは明らかである。

(2) 右のような処理の結果、始業時休暇の中には年次休暇として処理された遅刻も含まれ、始業時休暇の回数が多い職員は遅刻が多かった蓋然性が高いと考えられる。

ところで、昭和四五年の行政職俸給表(一)適用の横浜税関職員は、合計一二八二人であるが、そのうち横須賀税関支署等に勤務しており資料不足のために調査不可能であった職員一五三人を除いた一一二九人のうち、個人控訴人ら以外の職員(以下「非控訴人」という。)一〇三九人の始業時休暇、早退休暇、病気休暇の実情を調査したところ、次のとおりであった(<証拠略>)。

始業時休暇 九回以下 九九七人(九六・〇パーセント)

一〇回以上 四二人(四・〇パーセント)

年平均回数 二・一九回

なお、昭和四五年を調査の対象としたのは、個人控訴人らの出退勤状況が立証できる(<証拠略>)昭和四一年から昭和四九年までの丁度真中の年であるため、右期間全体の状況を推測して個人控訴人らの出退勤状況と対比する資料として適切であるし、恣意的に時期を設定したとの批判を回避できるからである。そして、右実績は、昭和四五年の一年分であるが、対象者が一〇三九名という多数であることからすれば、昭和四一年ないし昭和四九年の個人控訴人らを除いた職員(調査できなかった者も含む。)全体の出退勤状況も右実績とほぼ同様と推測してよい。

(3) ところで、本来の意味での時間単位の始業時休暇が必要となる事情、たとえば、市役所等で住民票の交付を受ける必要があるため、あらかじめ年次休暇の承認を得るなどの事情が生ずることは、経験則上年間を通じてそう多いとはいえないのであり、昭和四五年における非控訴人の始業時休暇も年平均二・一九回である。職員個々人の諸事情により始業時休暇の多少が変動することはあっても、年間一〇回以上という多めの基準設定をした場合、ここまで多くの始業時休暇を取得した者には、右のような遅刻が多かったことによる始業時休暇の取得の処理がされたことは明らかである。

これに対し、<証拠略>によれば、昭和四一年から昭和四九年までの個人控訴人らのうち、始業時休暇一〇回以上取得者の割合は九・九パーセントに上り、昭和四五年の非控訴人のそれは半分以下の四・〇パーセントにすぎず、二倍以上の差異が生じているのである。そして、このような事情は、統計的にはほぼ同じ比率で生じるものと考えられることからして、控訴人組合に属していた個人控訴人らは非控訴人に対して約二倍遅刻が多かったと推測されるのであって、このことは当時の上司から録取した供述録取書(<証拠略>)に遅刻が多かった旨の供述があることからも明らかである。

(二) 病気休暇について

(1) 病気休暇とは、職員が負傷又は疾病のため療養する必要があり、その勤務しないことがやむを得ないと認められる場合における休暇であり、労働法上は労働契約上の債務の不履行ということができる。

昇給についての勤務成績の判定の基礎となる期間に、一定期間以上病気休暇で勤務を欠く職員については、勤務成績に関する他の要素がいかに優秀であると評価されたとしても、特別昇給を受けることができないばかりでなく、普通昇給が延伸となる(人規九―八第三四条及び第三八条)。

また、病気になること自体は責められるものではないが、普通昇給延伸まで至らなかった場合でも、任命権者が一定の定数枠の中で、昇任、昇格、特別昇給させるべき職員を選考するに当たって、病気休暇がない場合と比較して、病気休暇でしばしば勤務を欠いたということから勤務成績を相対的に低く評価することもあり得る。さらに、重要な地位にある者が病気がちでしばしば病気休暇を繰り返すようでは、業務に著しい支障が生じ、より重要な職務への昇任の適性(適格性)も疑わしいと考えざるを得ない。

したがって、病気休暇を多数回繰り返す職員についてそのことが評価の一要素として考慮され、重要な地位には健康の回復を待ってから昇任させる等の配慮もあり得るところであり、その結果、昇任が遅れることもやむを得ないというべきである。

(2) ところで、前述のとおり、<証拠略>による昭和四五年における非控訴人の平均病休回数をみると次のとおりである。

病気休暇 一〇回以上 二三人(二・二パーセント)

一〇日以上 五〇人(四・八パーセント)

年平均回数 一・二四回

年平均時間 二日三時間四〇分

これに照らすと、一般的に職員個々人の健康状態によっては、病気休暇の頻度にばらつきがあるものである。それにもかかわらず、非控訴人は、一〇回以上の取得者が二・二パーセント年平均二日三時間四〇分程度であるのに対し、病気休暇取得回数が一〇回以上の個人控訴人らは一四・四パーセント、年平均六日四時間四五分という数値になり(<証拠略>)、個人控訴人らに病気休暇が多いことがうかがわれるところである。こうした個人控訴人らの勤務成績はこれがない場合と比較すると相対的に低く評価されることがあったとしても致し方のないことである。

(三) データ処理からみる一般的傾向

以上のようなデータ処理は、あくまで昭和四五年当時の一般的傾向としての評価しかできないことはいうまでもない。しかし、控訴人らが主張する標準対象者との比較による差別という方法も、前述のとおり、データ処理であって(その処理自体が不当であることは既に述べた。)、それも一つの傾向を示す以外の何ものでもない。したがって、控訴人らの右主張に対しては、十分反論たり得るものである。

(四) 欠勤について

なお、控訴人小沢勝明(控訴人番号55番)、同越重雄(同60番)、同本藤邦夫(同102番)の三名は、本件係争期間中欠勤があったことを陳述書において認めているが、このほか、控訴人加藤勝夫(同58番)は<証拠略>(職員給与簿)のとおり昭和四〇年一一月に三時間欠勤し、本俸二九一円(加藤勝夫の当時の一時間当たりの俸給単価九七円)、暫定手当一五円を戻入している。なお、控訴人本藤邦夫は陳述書の中で「年次休暇が無くなり、一時間程度不足したためである。」と記載しているが、<証拠略>(職員給与簿)記載のとおり、昭和四〇年一一月に、九時間(一日一時間)の欠勤をして本俸七二九円(本藤邦夫の当時の一時間当たりの俸給単価八一円)、暫定手当三六円を戻入している例も認められるところであり、これら陳述書の信用性に問題があるところである。

(五) 個人控訴人らの執務態度

控訴人らは、昭和四八年当時、本牧埠頭出張所に勤務していた控訴人上原茂樹(控訴人番号36番)、同吉田貞夫(同32番)、同新井昭男(同51番、以上輸入通関第三部門)、同高嶋昭(同25番)、同広瀬清子(同10番)、同松永正巳(同9番)、同椎名昌幸(同15番、以上保税課)は、それぞれの職場で「特に問題なくこの部門における職務を遂行していた。」、「職場の中心となって執務を遂行していた。」、「むしろ方面の中心となって執務に当たっていた。」と主張する。しかし、昭和四八年当時、控訴人上原茂樹をはじめ、個人控訴人らはそれぞれの職場において無許可集会、プレート闘争等の非違行為を繰り返して職場の秩序を乱していたものであり、「特に問題なく」とか「職場の中心となって」というような執務態度ではなかったものである。

29 原判決書II五六五頁八行目<略>の「<証拠略>」を「<証拠略>」に改める。

理由

第一当事者の地位

控訴人組合、個人控訴人ら、被控訴人の各地位については、原判決書I「第一章 当事者の地位」(同三頁七行目から五頁一一行目まで。但し、前記訂正後のもの。)の記載と同一であるから、これを引用する。

第二本件紛争発生前の横浜税関の状況ついて

本件紛争発生前の横浜税関の状況については、原判決書I「第二章 本件紛争発生前の横浜税関の状況」(同五頁一二行目から一三頁二行目まで。但し、同一三頁一、二行目の「(原告小松、同松永についての監視業務非協力の非違行為には、このような背景事情もあったのである。)」を削除する。)の記載と同一であるから、これを引用する。

第三本件係争期間中の昇任、昇格及び昇給についての根拠規定

この点についての判断は、原判決書I「第八章 昇任等と賃金」の「第一昇任等の根拠規定」の「一 昇任」から「三 昇給」までの部分(同一四〇頁一四行目から一四八頁六行目まで)と同一であるから、これを引用する。

第四昇任、昇格及び昇給についての税関長の裁量権と不法行為の成否について

一  昇任等に関する税関長の裁量権

以上の個人控訴人らの昇任等を規律する給与法、人規等の規定に照らすと、昇任等に関する横浜税関長の行為は、成績主義の基本原則の下で職員各自の経歴、学歴、知識、資格、能力、適性、勤務実績等を総合的に勘案して、限られた官職数や等級別定数に応じ、より上位の官職等(官職、等級及び号俸)に昇任等をさせることが適当かどうかという、高度に合目的的、技術的な見地からなされる裁量行為であるといえるところ、その判断は日々行われる広汎かつ大量の税関業務の円滑かつ効率的な遂行に密接に関わるものであるから、税関長の裁量の範囲は、懲戒はもとより分限等に関する裁量権限よりもなお一層広いものと解せられる(なお、地方公務員の分限処分における任命権者の裁量権に関する、昭和四八年九月一四日最高裁判決、民集二七巻八号九二五頁参照。)。

なお、公正な人事の基礎の一つとするための勤務成績の評定について定めた人規一〇―二(勤務成績の根本基準)第二条一項は、「勤務評定は、職員が割り当てられた職務と責任を遂行した実績(以下「勤務実績」という。)を当該官職の職務遂行の基準に照らして評定し、並びに執務に関連して見られた職員の性格、能力及び適性を公正に示すものでなければならない。」と規定しているところ、その具体的評定は、事柄の性質上、平素から横浜税関の事情に通暁し、部下職員の職員の監督の衝に当たる横浜税関長の裁量に任せるのでなければ到底適切になし得ないというべきである。

二  昇任等に関する年功序列的運用の有無

控訴人らは、右給与法、人規等の規定にかかわらず、横浜税関においては従来から年功序列的に、誰に対しても入関後一定年数を経過すれば昇任、昇格及び特別昇給が行われ、殊に、特別昇給は、入関後七年目以降七年間に一回の割合で順次全員に対して行われ、組合分裂後も控訴人組合内、本件第二組合内のそれぞれにおいては年功序列的に行われており、普通昇給は、通常の成績で勤務した職員に対しては、ほとんど年一回自動的に行われてきたものであって、横浜税関長としては、一定の経験年数を経過すれば、昇任等をさせることを義務付けられていたのに、個人控訴人らの控訴人組合所属を理由として昇任等をさせず、差別したものであると主張する。

確かに、<証拠略>によれば、横浜税関においては全体的な傾向として、昇任、昇格については、特に入関後勤務年数が比較的浅いうちは入関後一定の時期に集中して行われ、普通昇給については、ほとんどの者に一年に一回行われてきた事実が認められる。しかし、右証拠によっても、入関後勤務年数が経過してからの上位官職や上位等級への発令については、その時期には個人毎にかなりの差が出てきていることが窺われるし、入関後間もない若い頃であればともかく、一〇年、二〇年と勤務年数を経れば、入関年次や資格を共通にし、出勤状況など外形的な勤務成績に差がない場合でも(その間に非違行為、懲戒処分やそれに伴う昇給延伸、長期病気休暇などの特別の事情が加わればより一層)昇任等に関し一定の差が出てくるのは当然のことであって、本件全証拠によるも、横浜税関において、昇任、昇格等の人事に関し、成績主義を排し年功序列を旨とした運用が行われていた事実を認めることはできない。

そうすると、横浜税関において昇任、昇格及び昇給(特別昇給を含む。)について年功序列的運用が行われていたことを前提として、横浜税関長において、誰に対しても一定の期間の経過により必ず昇任等をさせる義務があるとか、個人控訴人らに対しては控訴人組合所属を理由としてあえて右年功序列的運用を排して差別し、昇任等をさせなかったとの控訴人らの主張は、その前提を欠き、採用できない。

三  昇任等に関する税関長の裁量権の濫用と不法行為の成否

しかし、横浜税関長の裁量権が国公法二七条の平等取扱いの原則、同法一〇八条の七の不利益取扱禁止の原則に違反して、控訴人組合に所属することを理由に個人控訴人らに不利益に行使されたときは、個人控訴人らの昇任、昇格、昇給等に関し平等な取扱いを受けるという法律上の利益を侵害するものとして不法行為を構成するとともに、控訴人組合の関係においても、その団結権を侵害するものとして不法行為が成立することがあり得るというべきである。

被控訴人は、昇任、昇格及び昇給をさせるべきかどうかの判断が裁量行為である以上、任命権者に昇任、昇格及び昇給をさせるべき作為義務はないとして、その不作為が裁量権濫用として違法となることはない旨主張するが、国公法二七条、一〇八条の七等の定めがある以上、任命権者としては全体として定数枠や予算などの制約はあるものの、昇任、昇格及び昇給に関する他の諸条件に差がない限り、職員団体に加入している職員とそうでない職員間、あるいは複数の併存職員団体の職員間について平等な取扱いをすることが要請されているというべきである(なお、控訴人らは、国公法二七条、一〇八条の七等により守られるべき平等取扱いの原則という法益を侵害されたと主張しているのであり、人事査定一般の不服に基づく昇格等の請求権を主張しているのではない。本件で控訴人らが主張する標準対象者との給与差額は、そのような差別的取扱いを受け、前記の法益を侵害されたことに対する損害算定の一方法として、右給与差額を財産的損害として主張しているものと理解される。)。

もっとも、昇任、昇格等の制度は、右のように職員の勤務成績、能力、性格、適性等を反映させるものとなっている以上、成績主義を基本とする任用及び給与制度の下においては、入関資格や経験年数が同じであっても、年数を経るにしたがって勤務成績や能力、適性等に相応した処遇の格差が出てくるのは当然のことであり、控訴人組合員たる個人控訴人らがそうでない職員(控訴人組合に所属していない職員。以下「非組合員」という。)と比べて組合所属を理由として不当な差別的取扱いを受けたと主張するためには、その差別的取扱いを受けたとする特定の時期において、当該個人控訴人らと比較の対象とされた非組合員との間で勤務成績、能力、適性等の昇任、昇格及び昇給に関する諸条件に差がないこと、少なくとも非組合員より格別劣るわけではないことが個別的かつ具体的に立証されることが必要であり、その上で被控訴人の差別意思に基づく差別的取扱いにより損害が生じたことが立証されるべきである。

ところで、控訴人らは、まず、全体的、集団的にみて控訴人組合員たる個人控訴人と非組合員との間には歴然とした処遇の格差があり、これらは被控訴人の差別意思に基づく差別的取扱いの結果であると主張する。しかし、前記のように、個人控訴人らが非組合員と比べて昇任等に関し控訴人組合に所属することを理由として差別的取扱いを受けたというためには、当該個々の個人控訴人について差別的取扱いを受けたことが個別的かつ具体的に立証されなければならず、仮に控訴人組合員集団と非組合員集団との間で処遇の格差があることが肯定されたとしても、そのことから直ちに個人控訴人ら各人について控訴人組合に所属することを理由とする差別がなされたということはできない。ただ、集団として格差があることが肯定された場合には、控訴人組合員たる個人控訴人について控訴人組合に所属することを理由としての差別的取扱いがされたことを推認させる一つの事情となり得るものであるから、以下、控訴人組合員らと非組合員との間における集団としての格差の有無について検討を行うこととする。

第五昇任、昇格、昇給等の全体的、集団的趨勢について

一  格差の認定資料

控訴人らは、控訴人小泉(番号18)と控訴人栗山(番号26)については控訴人組合作成にかかる「横浜調査報NO1」(<証拠略>)の記載により、昭和二六年中級職及び旧専卒採用者については訴状別表(3)<略>により、その他の入関者については別紙入関年度別職員比較表(1)ないし(18)により、各入関年度別に、個人控訴人及び同期同資格入関者の昭和三八年七月一日(以下「本件基準日」という。)及び昭和五〇年七月一日の各時点における等級号俸並びに本件係争期間(昭和三九年四月一日から昭和四九年三月三一日まで)を含む昭和三八年七月一日から五〇年七月一日までの期間(以下「本件比較期間」という。)の昇任、昇格及び特別昇給の推移について主張している。右のうち、別紙入関年度別職員比較表(1)ないし(18)(以下「本件比較表(1)ないし(18)」、又は単に「比較表(1)ないし(18)」という。)は、昭和五一年一月二三日付第一審原告ら準備書面(九)添付の表(以下「原入関年度別職員比較表」ということがある。)を元に当裁判所において若干の訂正を加えたものである。なお、プライバシー保護の見地から個人控訴人及び第一審原告以外の控訴人組合の組合員については「A、B、C……」のようなアルファベット記号で、非組合員については、「1、2、3……」のように算用数字で、いずれも氏名を伏せて表示する。このうち、女子については(B)、(9)のようにアルファベット記号及び算用数字に( )を付して表示する。更に、控訴人らが主張するところの個人控訴人に関する標準対象者については算用数字の番号の横に「標 ○山○郎」のように「標」の字を加え、一部伏せ字で氏名表示する。

<証拠略>によれば、原入関年度別職員比較表は、控訴人藤田らの作成した資料(<証拠略>)、控訴人組合が作成した調査報(<証拠略>)等を元にし、これらの資料作成に当たっては、<1>特別昇給及び昇格については、昭和四三年七月までは横浜税関庁内ニュース速報版(例、<証拠略>により、<2>それ以降の特別昇給については控訴人組合で把握した資料により、<3>昇任及び昇格は、横浜税関発行の職員録(昭和四八年までは、職員の等級が記載されていた。)により作成したものであることが認められる。

ところで、これらの原入関年度別職員比較表については、被控訴人が指摘するように、同じ採用年度でも採用月日が異なる者を同一グループとしていること、旧専と五級、高卒四級と高卒普通、高卒初級と高卒普通、中卒四級と中卒普通等と、近似しているが異なる採用資格を同一資格とみなしていること、本件比較期間の途中で控訴人組合から脱退した者がかなりいること、右比較表は調査報(<証拠略>)を元にしているといいながら、調査報に記載があるのに右比較表には記載されていない者がいること、逆に右比較表に記載されていながら右調査報には記載されていない者がいること、調査報と比較表で昇任、昇格等の記載内容に食い違いがある者がいること等、いくつかの問題があり、必ずしも正確な意味で「同期同資格入関者」を比較したとはいえない。しかしながら、原入関年度別職員比較表に掲載された年度別の職員の採用時期、資格は概ね近似しており、全体的、集団的に採用年次、資格の類似している職員について本格比較期間中の昇任、昇格及び昇給の状況を示す資料とすることができる(なお、被控訴人は、右比較表の記載のうち個人控訴人以外の者の昇給、昇格、昇任、特別昇給などに関する内容について認否することは国家公務員法上の守秘義務に違反し、それらの者のプライバシーを侵害するおそれがあるとして認否をしていない。)から、被控訴人の指摘する正確性についての問題点に留意しつつ、その限度で右比較表を控訴人組合員と非組合員との間で全体的、集団的にみた場合の給与格差の存否の判定に用いることができるというべきである。

なお、個人控訴人の昇給、昇格、昇任、特別昇給等に関する推移は、原判決書III及び原判決書IVの「昇給、昇任及び非違行為一覧表」<略>(以下「原判決添付昇格等一覧表」という。)記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

二  入関者の全体的、集団的な昇任、昇格及び昇給の状況

各入関年度ごとの本件比較期間中の昇任、昇格及び昇給に関し、本件比較表(別紙入関年度別職員比較表(1)ないし(18))から窺い得る控訴人組合員と非組合員についての全体的な概況は次のとおりである(なお、控訴人の氏名欄の下の番号は控訴人番号を示す。)。

1  昭和二三年旧中卒採用入関者(別紙入関年度別職員比較表(1))

昭和二三年旧中卒採用入関者は六七人いるが〔うち控訴人組合員は、男子が控訴人辻(番号1)及びAの二名、女子は控訴人的場玲子(番号2)と(B)の二名〕、入関日及び入関前の前歴にかなり違いがあるため、昭和三八年七月一日(本件基準日)時点において既に五等級の者、六等級の者、七等級の者がおり、同じ等級内部でも号俸の差がある。

(一) 男子について

ア 前記のように本件比較表(1)に掲げられた非組合員男子は入関日や入関資格にかなりの違いがあり、本件基準日(昭和三八年七月一日)時点の等級号俸にかなりの差があるところ、控訴人辻の本件基準日現在の等級号俸は六等級五号俸(以下、等級号俸の表示は「六―五」の如く表示する。)、Aのそれは六―六であるので、比較の対象としては比較表(1)に掲げられた非組合員男子で基準日現在の等級号俸が六―六又は六―五以下の者(合計三八名)と比較するのが相当である。これによれば、本件基準日現在の等級号俸が六―六又は六―五の者の非組合員男子のほとんどは昭和三八、九年に控訴人組合を脱退し、その前後から昭和四一年までに主任(発令としては主任のほか、実査官等の主任相当職を含む。以下同じ。)に昇任し、ほとんどが昭和四三年までに五等級に昇格している。主任昇任から五等級昇格までの期間は多くの場合一、二年である。これに対して控訴人辻及びAは昭和四二年に主任に昇任し、それから四年経過後の昭和四六年に五等級に昇格した。

イ 本件比較期間中、前記の比較対象の非組合員男子は、ほとんどの者が特別昇給を二回以上受けているが、控訴人組合員男子は一回受けたのみである。

ウ 前記の五等級に昇格した非組合員男子は五等級昇格後概ね四~七年後に四等級に昇格し、非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、三―一二が一名、三―一一が二名、四―一五が六名、四―一四が七名、四―一三が一三名、四―一二が六名、四―一一が二名、五―一六が一名であったが、控訴人辻とAは五―一五であり、両グループ間において等級上の格差が生じていると認められる。

(二) 女子では、控訴人的場玲子は本件基準日現在で六―五、(B)は七―七であったから、比較の対象としては比較表(1)の非組合員女子で本件基準日現在において七―七以下の者(番号(62)、七―七)と比較するのが相当であるところ、番号(62)(及び他の非組合員女子)は本件比較期間中において特別昇給を一回受け、昭和四八年一月主任昇任、昭和四九年に五等級に昇格しているのに対し、控訴人的場玲子は本件比較期間中に特別昇給はなく、主任昇任が番号(62)より一年遅れているが、本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)時点の等級号俸に関しては、控訴人組合員と非組合員とで特段の差はない。

2  昭和二四年旧中卒及び高卒採用入関者〔三三人(男子二八、女子五)。うち控訴人組合員は男子が控訴人氷見(番号16)一名、女子が控訴人西山徳子(番号3)一名〕(別紙入関年度別職員比較表(2))

(一) 男子について

ア 控訴人氷見は昭和二四年三月二〇日高卒で入関し、本件基準日(昭和三八年七月一日)現在の等級号俸は六―五であったところ、他の比較表(2)の非組合員男子(二七名)のそれは六―七が三名、六―六が一四名、六―五が五名、七―七が四名、七―六が一名であった。

比較表(2)の非組合員男子は全員が昭和三八、九年の控訴人組合脱退の直前直後を中心として昭和四三年までに主任に昇任し、二三名が昭和四三年までに五等級に昇格した(残りは昭和四四年から四七年にかけて年一人ずつ昇格した。)。これに対し、控訴人氷見は昭和四六年に主任に昇任し、昭和四七年に五等級に昇格した。

イ 本件比較期間中、非組合員男子は、ほとんどの者が特別昇給を二回以上、多い者では四、五回受けているが、控訴人氷見は昭和四九年に一回受けたのみである。

ウ 前記の五等級に昇格した非組合員男子は五等級昇格後二年ないし七年後に四等級に昇格し、非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、三―一二が一名、三―一一が一名、四―一五が一名、四―一四が四名、四―一三が一二名、四―一二が三名、四―一〇が三名、四―九が一名、五―一四が一名であったが、控訴人氷見は五―一五であった。

(二) 女子では、本件比較期間中非組合員は四人中一人を除き一、二回特昇を受け、控訴人西山徳子は昭和五〇年七月一日に特昇を受けた。その他の昇任、昇格、本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)時点の等級号俸に関し、控訴人組合員と非組合員とで大きな差はない。

3  昭和二五年五級職及び旧専門卒採用入関者〔一七名で全員男子。控訴人組合員は控訴人岩元(番号5)一名〕(別紙入関年度別職員比較表(3))

ア 控訴人岩元の本件基準日(昭和三八年七月一日)現在の等級号俸は、六―五であったところ、比較表(3)の非組合員(一六名)は、六―八が二名、六―七が二名、六―六が一〇名、六―五が二名であった。

非組合員は、一名(昭和四一年脱退)を除き、一〇名が昭和三八年に、五名が昭和三九年に控訴人組合を脱退したところ、主任昇任は、昭和三八年脱退後同年中に昇任した六名を含めて昭和三八年までに九名、昭和三九年に一名、昭和四〇年に二名、昭和四一年に二名、昭和四二年に二名であり、五等級へは昭和三九年に三名、昭和四〇年に五名、昭和四一年に三名、昭和四二年に二名、昭和四三年に二名、昭和四六年に一名が昇格した。これに対し、控訴人岩元は主任に昭和四七年に、五等級に昭和四八年に昇格した。

イ 本件比較期間中、控訴人岩元は特別昇給をしなかったが、非組合員の特別昇給は、四回が二名、三回が四名、二回が七名、一回が三名であった。

ウ 非組合員は、その後四等級へは昭和四四年に三名、昭和四五年に一名、昭和四六年に二名、昭和四七年に三名、昭和四八年に四名、昭和四九年に二名、昭和五〇年に一名が昇格した。この結果、非組合員の昭和五〇年七月一日現在の等級号俸は、三―一一が二名、四―一四が六名、四―一三が六名、四―一二が二名であったが、控訴人岩元は五―一三であった。

4  昭和二五年高卒採用入関者〔男子三七名、女子三名。うち控訴人組合員は男子が控訴人石井粂雄(番号4)及び第一審原告増田登喜雄の二名、女子が一名〕(別紙入関年度別職員比較表(4))

(一) 男子について

ア 増田登喜雄は昭和二五年六月二〇日、控訴人石井粂雄は同年五月二九日にそれぞれ高卒で入関し、本件基準日(昭和三八年七月一日)現在の等級号俸は増田が六―五、控訴人石井粂雄が七―七であったところ、他の比較表(4)の非組合員男子(三五名)のそれは、六―五が一名、七―八が二名いる外は他の全員が七―七であった。

比較表(4)の非組合員男子は、三二名が昭和三九年に、一名が昭和三八年に、二名が昭和四〇年に控訴人組合を脱退しているところ、三一名は右脱退後に昭和四一年をピークとして昭和四二年までに主任に昇任した(残りは、昭和四三年に二名、四四年に一名、四九年に一名が昇任した。)。そして、昭和四三年をピークとして二名が昭和四四年までに五等級に昇給した(残りは、昭和四五年に二名、昭和四六年に二名、昭和四八年と昭和五〇年に各一名が昇格した。)。一方、増田は昭和四三年に主任に昇任し、四年後に昭和四七年に五等級に昇格し、控訴人石井粂雄は昭和四六年に主任に昇任し、昭和四八年に五等級に昇格した。

イ 本件比較期間中、非組合員男子は九〇パーセント以上の者が特別昇給を二回以上受けているが、控訴人組合員男子(二名)は増田が昭和三八年に、控訴人石井粂雄が昭和四九年に各一回受けたのみである。

ウ 前記の五等級に昇格した非組合員男子は五等級昇格後概ね四年ないし七年後に四等級に昇格し、非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、四―一四が一名、四―一三が四名、四―一二が一九名、四―一一が八名、四―一〇が一名、五―一三が二名であったが、増田と控訴人石井粂雄はともに五―一四であり、両グループ間において格差が生じている。

(二) 女子では、本件比較期間中の昇任、昇格、昇給、本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)時点の等級号俸に関し、控訴人組合員と非組合員とで大きな差はない。

5の1 昭和二六年四級職及び高卒採用入関者(財務採用を含む。)〔男子六七名、女子四名。うち控訴人組合員は、男子が控訴人阿部佳充(番号11)、同藤木信尚(番号12)、同寺内武郎(番号13)、同信夫鉄也(番号14)、同椎名昌幸(番号15)、及びAの六名、女子が控訴人広瀬清子(番号10)一名〕(別紙入関年度別職員比較表(5)の1)

(一) 男子について

ア 昭和二六年四級職及び高卒で入関した控訴人組合員らの昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は控訴人寺内、同信夫が七―五、同椎名が七―六、同藤木と同阿部佳充、Aが七―七であったところ、比較表(5)の1の非組合員男子(六一名)は、七―八が四名、七―七が五一名、七―六が五名、七―三が一名であった。

比較表(5)の1の非組合員男子は、その大多数が昭和三九年に控訴人組合を脱退した者であるところ(他は、昭和三八年脱退が一名、昭和四〇年脱退が四名、昭和四一、四四年、四五年脱退が各一名)、昭和四一年に始まり、入関後一七年を経た昭和四三年の二八名をピークとして昭和四四年までに五三名が主任に昇任し(残りは、昭和四六年に四名、昭和四七年に一名が昇任。三人は不明。)、五等級へは主任昇任のピークの翌年である昭和四四年をピークとして昭和四五年までに五三名が昇格した(残りは昭和四六年に四名、昭和四七年に三名、昭和四八年に一名が昇格。)。

これに対し、控訴人組合員男子は、主任昇任は昭和四七年に二名、昭和四八年に四名、五等級昇格は昭和四八年に二名、昭和四九年に四名であった。

イ 本件比較期間中、非組合員男子はほとんどの者が特別昇給を二回以上受けているが(平均特昇回数は二・五回)、控訴人組合員男子は、一人が昭和四九年に一回特別昇給を受けたのみで、他の者は特別昇給を受けていない。

ウ 前記の五等級に昇格した非組合員男子は五等級昇格後概ね四年ないし七年後に四等級に昇格し、非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、四―一三が四名、四―一二が三四名、四―一一が一二名、四―一〇が五名、五―一四が三名、五―一三が二名、五―一二が一名であったが、控訴人信夫と同寺内は五―一一、同阿部佳充と同椎名、Aが五―一二、同藤木が五―一三であり、両グループ間において等級又は号俸上の格差が生じている。

(二) 女子では、非組合員女子は昭和四八年、四九年に昇任し、昭和四九年、五〇年に三人共五等級に昇格したが、控訴人広瀬清子は昭和五〇年に昇任し、昭和五一年に五等級に昇格した。また、非組合員女子は、本件比較期間中に一回ないし二回特別昇給があったのに対し、控訴人広瀬清子は昭和五〇年七月一日に一回特別昇給している。

5の2 昭和二六年中級職及び旧専門卒採用入関者〔二四名全員男子。うち控訴人組合員は控訴人藤田一衛(番号6)、亡和久野亘久(番号7)、同的場武夫(番号8)、同松永正巳(番号9)〕(別紙入関年度別職員比較表(5)の2。訴状別表(3)を平成二年三月九日付第一審原告ら準備書面(二六)で訂正したものを元にしたもの。)

ア 右個人控訴人らの昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は控訴人松永が六―五、同藤田、和久野及び控訴人的場武夫が六―六であったところ、比較表(5)の2の非組合員(二〇名)は、六―七が一名、六―六が一六名、六―五が二名、七―九が一名であった。

非組合員は、二〇名のうち九名ずつが昭和三八年、三九年に控訴人組合を脱退した者であるところ(残りは、昭和四〇年、四四年に一名ずつ脱退)、全員に近い一八名が昭和四一年まで主任に昇任し(残りは、昭和四二年に二名が昇任)、五等級へはほとんどが主任昇任の翌年又は二年後に昇格し、昭和三九年に一名、四〇年に三名、四一年に二名、四二年に一〇名、四三年に三名、四五年に一名が昇格した。これに対し、控訴人組合員は、主任昇任は、控訴人藤田が昭和四二年に昇任したほかは、昭和四七年に一名、昭和四八年に二名、五等級昇格は昭和四七年に一名、四八年に二名、四九年に一名であった。

イ 本件比較期間中、非組合員は、その全員が特別昇給を一回以上受けている(半数以上が二回以上受けている。)が、控訴人組合員は、控訴人的場武夫が昭和四九年に一回特別昇給した他は特別昇給した者はいない。

ウ その後、非組合員は五等級昇格後概ね四年ないし七年後に四等級に昇格し、非組合員の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、三―一一が一名、四―一五が一名、四―一四が七名、四―一三が六名、四―一二が五名であったが、控訴人的場武夫は五―一五、同藤田と和久野は五―一四、同松永が五―一二であり、両グループ間において明らかな等級上の格差がある。

6  昭和二七年四級職及び高卒採用入関者〔男子四一名、女子五名。うち控訴人組合員は、控訴人島田昭夫(番号17)、同赤根健一郎(番号19)、同徳永近夫(番号20)及び第一審原告五十嵐光男の男子四名。〕(別紙入関年度別職員比較表(6)。但し、比較の対象としては、非組合員男子に限り、しかも昭和五〇年まで控訴人組合員であったが同年に控訴人組合を脱退した番号37を除くこととする。)

ア 昭和二七年四級職及び高卒で入関した控訴人組合員らの昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は一名が七―五、三名が七―六であったところ、比較表(6)の非組合員男子(三六名)は、七―八が一名、七―七が三名、七―六が二八名、七―五が三名、七―四が一名であった。

比較表(6)の非組合員男子は、三六名中大半の二九名が昭和三九年に控訴人組合を脱退した者であるところ(残りは昭和四〇年に三名、四一年に二名、四二年、四三年に各一名が脱退。)、主任昇任は、昭和四二年に一名、四三年に七名、入関後一七年を経た昭和四四年に二四名、昭和四五年に一名、昭和四六年に三名と全員が昇任し、五等級へは主任昇任のピークの翌年である昭和四五年までに大半の二六名が昇格した(残りは昭和四六年に六名、昭和四七年に三名、昭和四八年に一名昇格。)。これに対し、控訴人組合員は、主任昇任は昭和四七年に二名、昭和四八年に二名、五等級昇格は昭和四八年に二名、昭和四九年に二名であった。

イ 本件比較期間中、非組合員男子は、多数が特別昇給を二回ないし四回受けているが、控訴人組合員男子は五十嵐光男と控訴人島田昭夫、同赤根健一郎が昭和四八年から昭和五〇年に至って各一回受けたのみである。

ウ その後、昭和五〇年七月までに非組合員男子のうち半数以上の二一名は四等級に昇格し、非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、四―一二が七名、四―一一が一一名、四―一〇が二名、四―九が一名、五―一五が一名、五―一四が一〇名、五―一三が四名であったが、控訴人組合員は五―一三が三名、五―一一が一名であり、両グループ間において等級又は号俸上の格差が生じている。

7  昭和二八年四級職及び高卒採用入関者〔男子六九名、女子四名。うち控訴人組合員は控訴人林恒男(番号21)、同後藤鍵治(番号22)、同五十嵐正隆(番号23)、同清水千利(番号24)、同高嶋昭(番号25)及びAの男子六名)(別紙入関年度別職員比較表(7)〕(但し、比較は非組合員男子に限り、控訴人組合脱退時期の遅い(昭和四八年)番号61を除いた六二名と行うこととする。)

ア 昭和二八年四級職及び高卒で入関した控訴人組合員六名の昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は七―六が一名、七―五が四名、七―四が一名であったところ、比較表(7)の非組合員男子(六二名)は、七―六が三名、七―五が五五名、七―四が四名で、右基準日時点では両グループ間にほとんど差はない。

比較表(7)の非組合員男子は、六二名中の大半の五〇名が昭和三九年に控訴人組合を脱退した者であるところ、主任昇任は、昭和四五年までに大半の五一名が昇任し、昭和四六年に九名、昭和四七年に一名であり(残り一名は病休者)、五等級へは昭和四六年までに四三名、昭和四七年に一五名、昭和四八年に四名が昇格した。)。これに対し、控訴人組合員は、昭和四八年に至り六名全員が主任に昇任し、五等級昇格は四九年に五名、五〇年に一名であった(なお、六等級には非組合員男子、控訴人組合員らとも概ね昭和四〇年、四一年に昇格しており、格差はない。)。

イ 本件比較期間中、非組合員男子は、多数が特別昇給を二回ないし四回受けているが、控訴人組合員男子は控訴人林恒男が昭和四九年に一回、控訴人後藤鍵治、同五十嵐正隆及び同清水千利が昭和五〇年七月一日に各一回受けたのみであり、他の控訴人組合員男子は一回も受けていない。

ウ その後昭和五〇年七月までに六名の非組合員男子は四等級に昇格し、非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、四―一二が一名、四―一一が一名、四―一〇が三名、四―九が一名、五―一五が六名、五―一四が二〇名、五―一三が一九名、五―一二が九名、五―一一が二名であったが、控訴人組合員は五―一二が五名、五―一〇が一名で、両グループ間には等級又は号俸において格差が生じている。

8  昭和二九年高卒採用入関者〔二〇人全員男子。うち控訴人組合員は控訴人添田渉(番号27)〕(別紙入関年度別職員比較表(8)。但し、非組合員との比較は控訴人組合脱退時期の遅い(昭和四七年)番号19を除く一八名との間で行うこととする。)

ア 昭和二九年高卒で入関した控訴人添田の昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は七―三であったところ、比較表(8)の非組合員男子(一八名)は、七―五が一名、七―四が八名、七―三が九名であり、両グループ間に大きな差はない。

比較表(8)の非組合員は、一八名中の大半の一五名が昭和三九年に控訴人組合を脱退した者であるところ、主任昇任は、昭和四四年に脱退した一名を含む大半の一六名が昭和四六年までに昇任し、昭和四四年及び昭和四五年に脱退した二名も昭和四七年に昇任し、五等級へは昭和四七年までに一一名、昭和四八年に七名が昇格した。これに対し、控訴人添田は、昭和四八年に主任に昇任し、昭和四九年に五等級に昇格した。

イ 本件比較期間中、非組合員男子は、大半の者が特別昇給を二回ないし四回受けているが、控訴人添田は昭和五〇年七月一日に一回受けたのみである。

ウ 非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、五―一四が一名、五―一三が七名、五―一二が五名、五―一一が五名であったが、控訴人添田は五―一〇であり、号俸差が生じている。

9  昭和三〇年四級職及び高卒採用入関者〔一四名全員男子。うち控訴人組合員は控訴人熊沢雄志(番号28)及び同坂元安雄(番号29)の二名〕(別紙入関年度別職員比較表(9))

ア 昭和三〇年四級職又は高卒で入関した控訴人熊沢及び同坂元の昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸はそれぞれ七―三であったところ、比較表(9)の非組合員男子(一二名)のそれは、七―四が一名、七―三が七名、七―二が四名で、両グループ間に大きな差はない。

比較表(9)の非組合員は、一二名中の九名が昭和三九年に控訴人組合を脱退した者であるところ(残り三名は、昭和四〇年、昭和四二年及び昭和四六年に各一名ずつ脱退)、主任昇任は、昭和四六年に九名、昭和四七年に三名であり、五等級へは昭和四七年に三名、昭和四八年に九名が昇格した。これに対し、控訴人ら二名は二、三年遅れて昭和四九年に主任に昇任し、五等級には控訴人坂元は昭和四九年に、同熊沢は昭和五〇年に昇格した。

イ 本件比較期間中、非組合員男子は、大半の者が特別昇給を二回ないし三回受けている。控訴人坂元は昭和五〇年七月一日に一回特別昇給したが、同熊沢は一回も特別昇給していない。

ウ 非組合員らの本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、五―一三が一名、五―一二が三名、五―一一が四名、五―一〇が三名、五―九が一名であったが、控訴人坂元は五―一〇、同熊沢は五―七であり、両グループ間において号俸差が生じている。

10の1 昭和三二年四級職及び高卒採用入関者〔一五人(全員男子)。うち控訴人組合員は八名〕(別紙入関年度別職員比較表(10)の1)

ア 昭和三二年高卒・四級職で入関した控訴人組合員らの昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は七―三が一名、七―二が二名、七―一が五名であったところ、比較表(10)の非組合員男子(七名)は、七―二が三名、七―一が二名、八―八が一名、八―七が一名で、控訴人組合員らは非組合員と比べ同等又は上位に置かれていた。

比較表(10)の1の非組合員は、概ね昭和三九年から昭和四五年までに控訴人組合を脱退した者であるところ、主任昇任は、昭和四七年までに全員が昇任し、五等級へは昭和四八年に六名、昭和四九年に一名が昇格した。これに対し、控訴人組合員らは、昇任は昭和四九年に五名、昭和五〇年に三名であり、五等級昇格は昭和五〇年に四名がしたが、それ以外は昭和五一年以降であった。

イ 本件比較期間中、非組合員は大半の者が特別昇給を二又は三回受けているが、控訴人組合員らは菅原憲行が昭和五〇年七月一日に特別昇給した他は、特別昇給した者はいない。

ウ 非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、五―一一が一名、五―一〇が三名、五―九が二名、五―八が一名であったが、控訴人組合員は五―八が三名、五―七が一名、六―一二が一名、六―一一が一名、六―一〇が二名であり、両グループ間において等級又は号俸上の格差が生じていることが窺えるが、他方控訴人組合員間でも主任昇任や五等級昇格年度にばらつきが見受けられる。

10の2 昭和三三年初級職及び高卒採用入関者(一四人全員男子。別紙入関年度別職員比較表(10)の2。但し、表中の控訴人組合員は七名であるが、控訴人組合員Aは昭和三五年に中級職の資格を取っており、同じくDは長期病休者なので比較の対象から除いて、残りの控訴人組合員五名と非組合員七名との間で比較する。)

ア 昭和三三年高卒・初級職で入関した控訴人組合員の昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は八―七が三名、八―六が二名であり、比較表(10)の2の非組合員(七名)は、七―一が三名、八―七が四名で、両グループ間に大きな差はない。

比較表(10)の2の非組合員七名は、昭和三九年から昭和四六年までに控訴人組合を脱退した者であるところ、主任に昭和四七年及び昭和四八年に全員が昇任し、五等級へは昭和四八年に二名、昭和四九年に五名が昇格した。これに対し、控訴人組合員らは主任にほぼ二年遅れで昭和四九年に一名、昭和五〇年に四名が昇任し、五等級へは昭和五〇年に一名が昇格したがそれ以外の者の昇任は昭和五一年以降であった。

イ 本件比較期間中、非組合員は、全員が特別昇給を受け、特に過半数の四名は二回受けているが、控訴人組合員はいずれも特別昇給を一回も受けていない。

ウ 非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、五―九が二名、五―八が三名、五―七が二名であったが、控訴人組合員は、五―六が一名、六―九が三名、六―八が一名であり、両グループ間において等級又は号俸上の格差が生じている。

11  昭和三四年初級職及び高卒採用入関者(二一名。うち控訴人組合員は一四名。)(別紙入関年度別職員比較表(11)。但し、同表中の控訴人池田通正は昭和三六年に中級職の資格を取っているので比較の対象から除く。)

ア 昭和三四年初級職・高卒で入関した控訴人組合員一三名の昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は八―七が二名、八―六が一〇名、八―五が一名であったところ、比較表(11)の非組合員(七名)は、八―七が二名、八―六が五名であり、両グループ間にほとんど差はない。

比較表(11)の非組合員七名は、昭和三九年から昭和四六年にかけて控訴人組合を脱退した者であるところ、主任へは昭和四八年の五名をピークに、昭和四七年、昭和四九年に各一名が昇任し、五等級へはほぼ昇任の翌年である昭和四九年に六名、五〇年に一名が昇格した。これに対し、控訴人組合員は、主任へは昭和四九年に三名、五〇年に五名昇任し(それ以外は昭和五一年以降)、五等級へは昇任の翌年である昭和五〇年に三名が昇格したがそれ以外は昭和五一年以降であった。

イ 本件比較期間中、非組合員は、全員が特別昇給を受け、特に三名が特別昇給を二回以上受けているが、控訴人組合員は二名が昭和四八年、四九年に一回ずつ特別昇給を受けたほかは他の組合員は特別昇給を一回も受けていない。

ウ 非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、五―九が一名、五―八が一名、五―七が二名、五―六が三名であったが、控訴人組合員は、五―六が三名、六―九が一名、六―八が八名、六―七が一名であり、両グループ間において等級又は号俸上の格差が生じている。

12  昭和三五年初級職及び高卒採用入関者(三〇名全員男子。うち控訴人組合員は二二名)(別紙入関年度別職員比較表(12))

ア 昭和三五年初級職・高卒で入関した控訴人組合員二二名の昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は八―六が一名、八―五が一八名、八―四が三名であったところ、比較表(12)の非組合員(八名)は、八―六が一名、八―五が七名であり、両グループ間にほとんど差はない。

比較表(12)の非組合員八名は、昭和三九年から昭和四六年にかけて控訴人組合を脱退した者であるところ、主任へは昭和四八年及び昭和四九年に全員が昇任し、五等級へはいずれも昇任の翌年である昭和四九年に二名、昭和五〇年に残りの六名全員が昇格した。これに対し、控訴人組合員は、主任へは昭和四九年に一名、五〇年に二名昇任したが、それ以外は昭和五一年以降であり、五等級へは昭和四九年に昇任していた控訴人野中晃(番号46)が昭和五〇年に昇格したのみで(同人については、入関前の他省庁勤務の経歴加算があり、入関時から、他より一号俸高位であった。)、それ以外は昭和五一年以降であった。

イ 本件比較期間中、非組合員は、全員が特別昇給を受け、特に過半数の五名が特別昇給を二回以上受けているが、控訴人組合員は二名が昭和四九年又は昭和五〇年に各一回特別昇給したのみで、残りの者はいずれも特別昇給を一回もしていない。

ウ 非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、五―八が一名、五―六が五名、五―五が二名であったが、控訴人組合員は、五―五が一名、六―八が一名、六―七が一九名、六―六が一名であり、前記控訴人野中を除けば、両グループ間に等級上の格差が生じている。

13  昭和三六年初級職及び高卒採用入関者(六六人。うち控訴人組合員三三名)(別紙入関年度別職員比較表(13)、但し本件係争期間中に中級職資格を取得した控訴人組合員G、非組合員番号11、同番号12の三名は比較の対象から除き、控訴人組合員三二名、非組合員三一名を比較することとする。)

ア 昭和三六年初級職・高卒で入関した控訴人組合員三二名の昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は八―四が二五名、八―三が七名であったところ、比較表(13)の非組合員(三一名)は、八―五が一名、八―四が一三名、八―三が九名、八―二が八名であり、両グループ間に顕著な差はない。

比較表(13)の非組合員三一名は、昭和三九年の一〇名を皮切りに、その後昭和四六年にかけて漸次控訴人組合を脱退した者であるところ、主任へは昭和四九年に一〇名が、昭和五〇年に一〇名が昇任し(残りは昭和五一年以降)、五等級へは昭和四九年に昇任した一〇名が翌昭和五〇年に昇格した(残りは昭和五一年以降)。これに対し、控訴人組合員は、主任へは昭和五〇年に一名昇任したのみで、それ以外は昭和五一年以降であり、五等級昇格は全員が昭和五一年以降であった。

イ 本件比較期間中、非組合員は、二八名が特別昇給を受け、特に過半数の一七名が特別昇給を二回又は三回受けているのに対し、控訴人組合員は三名が昭和四八年又は昭和四九年に一回特別昇給したのみで、残りの者はいずれも特別昇給を一回も受けていない。

ウ 非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、五―八が一名、五―七が二名、五―六が五名、五―五が二名、六―八が七名、六―七が六名、六―六が七名、六―五が一名であったが、控訴人組合員には五等級の者はなく、六―八が一名、六―七が一一名、六―六が一四名、六―五が五名、七―五が一名であり、両グループ間に等級又は号俸上の格差が生じている。

14  昭和三七年大卒採用入関者〔男子三名、女子二名。うち控訴人組合員は控訴人後藤(旧姓清水)悦子(番号89)〕(別紙入関年度別職員比較表(14))

ア 昭和三七年大卒で入関した控訴人後藤悦子の昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は八―六であったところ、比較表(14)の非組合員四名のそれは、八―六が三名、八―五が一名であり、両グループ間にほとんど差はない。

比較表(14)の非組合員四名は、昭和三九年から昭和四三年にかけて控訴人組合を脱退した者であるところ、主任へは非組合員男子のうち二名が昭和四八年に、一名が昭和四九年に昇任し、いずれも昇任の一年後に五等級に昇格した。女子一名の非組合員は昭和五〇年に昇任し五等級へは昭和五一年以降に昇格した。これに対し、控訴人後藤悦子は主任に昭和五一年に昇任し、五等級昇格は五二年であった。

イ 本件比較期間中、非組合員は、全員が特別昇給を受け、特に男子三名は特別昇給を二回以上受けているのに対し、控訴人後藤悦子は特別昇給を一回もしていない。

ウ 非組合員男子の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、五―八が一名、五―七が二名であり、非組合員女子は六―八であったが、控訴人後藤悦子のそれは六―八であり、非組合員男子との間に等級上の格差が生じている。

15  昭和三七年初級職及び高卒採用入関者(六〇名。うち控訴人組合員は二八名)(別紙入関年度別職員比較表(15))

ア 昭和三七年初級職・高卒で入関した控訴人組合員二八名の昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は全員八―三であったところ、比較表(15)の非組合員(三二名)は、八―三が二四名、八―二が五名、八―一が二名、不明一名であった。なお、非組合員のうち八―三の一部と、八―二及び八―一はいずれも昭和三七年四月以降の年度途中の入関者であり、大多数の四月入関者についてみれば両グループとも右基準日において全員八―三で差は全くない。

比較表(15)の非組合員は、昭和三九年の一三名を最多として控訴人組合を脱退した者であり、脱退者はその後昭和四〇年から昭和四八年まで続いたところ(なお、第一審原告伊藤温之(元原告番号110)は、本訴提起後の昭和五五年に至り控訴人組合を脱退の上、本件訴えを取り下げた。、非組合員は、四月入関者は一人の例外を除く全員が昭和四七年又は昭和四八年に、四月以降の年度途中入関者もその一部は昭和四八年にそれぞれ六等級に昇格しているのに、控訴人組合員の六等級昇格は、非組合員中四月以降の年度途中の入関者の残りと共に、昭和四九年になった。そして、非組合員は、主任へは昭和四八年に一名が、昭和四九年二名が、昭和五〇年に一二名が昇任し(残りは昭和五一年以降)、五等級へは右昇任の翌年である昭和四九年に一名が、昭和五〇年に二名が昇格した(残りは昭和五一年以降)。これに対し、控訴人組合員は、昭和五〇年までに主任に昇任した者及び五等級昇格者は一名もいない。

イ 本件比較期間中、非組合員は全員が特別昇給を受け、多い者は特別昇給を三回受けているのに対し、控訴人組合員は二名が昭和四九年に一回特別昇給しているのみで、残りの者はいずれも特別昇給を一回も受けていない。

ウ 非組合員の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、五―六が二名、五―五が一名、六―八が五名、六―七が一七名、六―六が五名、六―五が二名であったところ、控訴人組合員は五等級の者はなく、六―七が二名、六―六が二一名、六―五が五名であり、両グループ間に等級又は号俸上の格差が生じている。

16  昭和三八年初級職及び高卒採用入関者(四三名。うち控訴人組合員は二一名)〔別紙入関年度別職員比較表(16)。但し、昭和三九年に中級職の資格を得た控訴人野川達司(番号90)を比較の対象から除く。〕

ア 昭和三八年初級職・高卒で入関した控訴人組合員二〇名の昭和三八年七月一日(基準日)現在の等級号俸は八―二が一九名、八―一が一名であり、比較表(16)の非組合員のそれは八―二が一九名、八―一が三名であり、両グループ間にほとんど差はない。

この年度の入関者は、四月の入関時点の前から既に控訴人組合からの組合員の脱退が始まっていた状況の中で入関後控訴人組合に加入した者であるが、比較表(16)の非組合員二二名は、昭和三九年から昭和四八年にかけて漸次控訴人組合を脱退した者であるところ、四月以降に遅れて入関した者等四を除き昭和四九年までに六等級に昇格した(残りの四名は昭和五〇年に昇格。)。これに対し控訴人組合員の六等級昇格は全員が昭和五〇年又は昭和五一年になった。

イ 本件比較期間中、非組合員は、全員が特別昇給を受け、多い者は三回特別昇給しているのに対し、控訴人組合員は一人も特別昇給していない。

ウ 非組合員の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、六―七が六名、六―六が一四名、六―五が二名であったところ、控訴人組合員は六―五が一五名、六―四が三名、七―七が二名であり、両グループ間に等級又は号俸上の格差が生じている。

17  昭和三九年初級職、中級職及び高卒採用入関者〔別紙入関年度別職員比較表(17)。但し、同表には前歴加算される職員や中級職で採用された職員あるいは昭和三九年の入関月が異なる職員などが混在しているので、便宜昭和三九年四月初級職として入関し、採用時の等級号俸が八―二である二〇名(控訴人組合員五名、非組合員一五名)についてのみ比較する。〕

ア 右の二〇名については、後記のとおり入関三か月の新人研修中の昭和三九年五月九日に控訴人組合脱退者による第二組合の結成(控訴人組合の分裂)が行われ、研修終了後いったん全員第二組合に加入したが、個人控訴人五名は、その後昭和四〇年二月から昭和四九年二月にかけて第二組合を脱退の上、控訴人組合に加入したものである。そして、右の非組合員一五名は全員が本件比較期間中の昭和五〇年に六等級に昇格した。これに対し控訴人組合員は全員が七等級にとどまっている。

イ 前記非組合員は、昭和四四年に最初の特別昇給者が現れ、昭和四六年に六名が特別昇給するなど全員が本件比較期間中に特別昇給を受け、内二名は特別昇給を二回受けているのに対し、前記控訴人組合員は一人も特別昇給していない(なお、控訴人組合の最初の特別昇給者が出たのは昭和五三年で、これは非組合員の右最初の特別昇給より九年遅く、最も遅い非組合員の最初の特別昇給より三年遅い。同年入関者のうち最も多数の最初の特別昇給者を出したピークの年は、非組合員が昭和四六年であるのに対し控訴人組合員は昭和五八年である。)。

ウ 前記非組合員の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、六―六が二名、六―五が一二名、六―四が一名であったが、前記控訴人組合員は全員七―七であり、両グループ間で明らかな等級上の格差がある。

18  昭和四〇年初級職及び高卒採用入関者(三八名。うち控訴人組合員は二名)(別紙入関年度別職員比較表(18))

ア 昭和四〇年初級職・高卒で入関した者の採用時の等級号俸は、控訴人組合員も非組合員も全員八―二であった。右入関当時、控訴人組合は既に前年に第二組合ができて分裂しており、後記認定のとおり、右三八名の入関者はすべて第二組合に加入したが、個人控訴人二名は、昭和四四年又は昭和四七年に第二組合を脱退して控訴人組合に加入したものである。

イ 本件比較期間中、非組合員は、女性一名を除き全員が初回の特別昇給を受けた。控訴人組合員二名は特別昇給していない。

ウ 非組合員の本件比較期間の最終日(昭和五〇年七月一日)現在の等級号俸は、六―五が一名、七―六が一名で、他の全員は七―七であったのに対し、控訴人組合員二名はいずれも七―六で、概ね一号俸の差が生じている。

三  まとめ

以上の本件比較期間中の昇任、昇格及び特別昇給の処遇状況に照らせば、前記のように資料の正確性について問題点があることを考慮しても、控訴人組合員は、本件比較期間の当初においては、対比すべき非組合員との間での等級号俸は同等であったか低いとしても同一等級内での一、二号俸程度の差であったが、本件比較期間を通じてほぼ例外なく、非組合員と比べて昇任、昇格及び特別昇給の面で低位に処遇され、結果として本件比較期間終了日現在の等級号俸は、対比すべき非組合員集団の中で最も低位に処遇された者と同等かそれ以下であるということができる。但し、年次の古い女子の場合は、横浜税関全体として男子と女子との間に集団としての大きな処遇の格差があったことが窺えるものの、控訴人組合員女子と非組合員女子との間に集団的にみた格差があったと認めるに足りない。そうすると、右にみた限度で控訴人組合員と非組合員との間では、全体的、集団的な処遇の格差が肯定されるというべきである(なお、全体的、集団的な処遇の格差は、個人控訴人らが主張する個人ごとの処遇の格差があったことを直接立証するものではないし、集団と集団との間に格差があったとしても、それが不当な格差といえるためには集団相互間で集団としての質に差がなかったことが前提とされなければならないところ、前記の全体的、集団的な格差の判定は、これらの点を捨象してのいわば外形的判断に止まることを付言する。)。

控訴人らは、控訴人組合員らと非控訴人組合員との間の前記のような全体的、集団的にみた処遇の格差は、あげて被控訴人が控訴人組合を敵視し、控訴人組合員らが控訴人組合に所属していることを理由として差別的取扱いをした結果であり、横浜税関当局の控訴人組合ないし控訴人組合員らに対する攻撃は、これらの昇任、昇格、特別昇給以外においても様々な面に及び、かつ、横浜税関当局が控訴人組合ないし控訴人組合員らに対する差別意思を有していたことは、控訴人らの入手した東京税関当局、関税局、横浜税関当局作成の各文書から明白に窺えると主張する。一方、被控訴人は、昇任、昇格、昇給の点はもちろん、これら以外の諸点についても控訴人組合ないし控訴人組合員について控訴人組合に所属することを理由としての差別的取扱いをしたことは一切ないと主張するので、以下これらの点について順次検討を進めることとする。

第六いわゆるマル秘文書について

一  東京税関文書について

1  文書の成立

控訴人らは、全税関本部が入手した東京税関当局作成に係る幹部会議議事録等の写しであるとして、<証拠略>を提出した。

ところで、全税関本部が右各文書を入手した経緯については判然としないが、右各文書は、いずれもその形式、内容、「<秘>」などの取扱基準を示す押印や東京税関の用紙であることを示す記載の存在、そこに主管者又は決済者としてサイン、スタンプ印、署名、私印などにより表示されている人物が右会議が開催されたとされる当時東京税関に在職していた(<証拠略>)こと等からして、東京税関当局が幹部会議、部長会議等各種会議の議事録(一部はその下書き)として作成したものであるとみて不自然ではなく、被控訴人は、東京税関当局が調査しても右各文書の存在が確認できなかったというにとどまり、特にこれが偽造である旨の主張はしていないことなどの事情に照らせば、右各文書は東京税関当局作成に係る文書であることが認められる。

2  文書の内容

右各文書の記載内容に従い、控訴人らが被控訴人における差別意思の表われとして取り上げている主なものを会議等の日付順に示すと、次のとおりである。

(一) 昭和四二年三月三〇日に開催された東京税関の部長会議の議事録(<証拠略>)には、新入職員の受入行事について、研修課長が「入関式に旧労がビラを配布するから、研修教室に入場の際に回収したい。」と発言したとの記載がある。

(二) 昭和四二年四月一一日に開催された東京税関の部長会議の議事録(<証拠略>)には、これに先立つ大蔵省課税局主催の全国税関総務部長会議に出席した東京税関の総務部長が右総務部長会議の結果報告として、次のような説明をした旨の記載がある。

<1>「昇給昇格については八等級から七等級への昇格の場合に差別を付けることについて、当関と神戸は、矯正措置のあった者に対してのみ慎重にやるべきであるとの意見であったが、横浜は当然やるべきだとの意見だった。矯正措置をうけただけでは必ずしも成績不良と判定するのは問題だから、成績不良の事実を逐一記録にとっておく必要があるとの意見があった。この問題は大蔵省全体として検討の上慎重に実施すべきであるとの意見を述べておいた。」

<2>「労務問題について、本省は同盟の線でいくべきだとの意見であれば、誰もが納得ゆく明解な理論を展開のうえ打ち出すべきであって、ただ神戸をたたえ東京を批判する書き方に一言意見を述べておいた。公務員労働組合に対しての管理者の暖かい配慮の必要性、信賞必罰の実行の必要を明記すべきであり、現在の本省指針はあまり技術的なことのみを示している旨の批判を述べておいた。労務対策は各関一律のやり方を強いるのはおかしいし、数をもって批判するのもおかしいと指摘しておいた。」

<3>「大蔵職組の中の一部には容共的行動もあり、その中に税関労組が入っていることは危険であり、大蔵職組への単なる付き合いとはいえ情勢は変化しつつあるので当関の幹部職員は注意してほしいと要望された。東京税関の幹部の基本路線はどうなのかときつい質問があった。」

(三) 昭和四二年四月二六日に開催された東京税関の部長会議の議事録(<証拠略>)には、先に大蔵省課税局から示されていた「税関職員服制細則の制定について」(昭和四二・四・七・関税局総務課作成文書<秘>、<証拠略>)についての検討が行われ、東京税関総務部長から「服装規程の趣旨は旧労税関職員が制服姿で赤旗を振り、駅頭その他大衆の面前でビラまきをする等の行為を制限するところにある。」と発言したとの記載がある。

(四) 昭和四二年五月一日に開催された東京税関の部長会議において配布されたものと認められる資料(<証拠略>)には、「当関は、先の総務部長会議において示した方針のとおり、公務員倫理、服務規律の修得と税関の基本業務で理解が容易であることの理由により、警務関係の職場に優先配置を計画している。しかしながら、三五名の新職員を全員警務関係に配置することは、警務関係の定員及び職員構成等から考えて難しい。したがって、一部新職員については、旧労職員の影響等を考慮して配置する方針である。」、寮の受入れ関係について「全員を品川寮に入居させる。先輩室長を各戸に配し、私生活全般について指導及び相談に応じさせる。寮副管理人(主として役付職員)を各階段の一階に入居させ、配偶者の協力により寮生の世話及び一切の相談に応ずるよう配慮している。また、必要に応じ両親などに連絡し、指導に遺憾なきを期し寮生が健全な公務員として成長するよう努力させる。」等の記載がある。

(五) 昭和四二年八月一六日に開催された東京税関の幹部会議の議事録の下書きないしメモと解される書面(<証拠略>)には、水泳大会について、「本省の考え方では旧労選手でも名選手がいる場合二~三名入れるのはやむを得ないとの回答だ。」との次長の発言、これに対応した右側の欄には「最終的に旧労四、五名でもよかろう」との記載、「差別もしてもよいではないか。」との総務課長の発言及び「若年層対策としてレクリーダーには旧労を入れてはいけない。」との発言、これに対応した右側の欄には「今回は四名の旧労を入れたまま締切ることとする。」との記載、さらに、「できるだけ排除方法をとるが、二、三名まぎれこんできた場合はやむを得ないだろう。」との総務部長の発言の記載がある。

(六) 昭和四二年九月一一日に開催された東京税関の幹部会議の議事録(<証拠略>)には、東京税関長が、先に開催された関税局の全国税関長会議の結果報告として「旧労古手の対策としてある税関長が専門官の設置の意見を出したが、本省から甘い考えだと批判された。」、「旧労対策には官は懸命にやっているが、もっと大事なことは新労を強くすることであると官房長にいっておいた。」と説明した旨の記載が、また総務課長から右税関長会議における他関から官房長に対する要望事項として、横浜税関長からは「新職員の基礎研修は良い。<共>組合を追いつめていくに効果があるので毎年、新職員を採用し、研修を実施してほしい。」等の要望があったと補足説明した旨の記載がある。

(七) 昭和四二年九月一四日付けの「職場リクリエーションについての会議」と題する資料(<証拠略>、<証拠略>には<秘>の押印がある。)には、サークル活動の利点として「<1>自主的に運営<2>個人的意欲を満す<3>運営に官負担少ない」との、欠点として「<1>官に対する帰属意識が薄い<2>特定職員に固定しやすい<3>特定イデオロギーに支配され易い」との記載があり、また、行事計画については、「<3>文化的活動はサークルの二部制(新・旧)を考え、指導していく。」との記載があり、別紙として各サークルの新労、旧労別の部員数、マネージャー氏名の調査表(<秘>)が添付されている。

(八) 昭和四二年九月二七日に開催された東京税関の幹部会議の議事録(<証拠略>)には、厚生課長の発言として「一般レクの文化的な行事として美術展は本年中は行わない考えである(旧労対策上)。」「新職員の希望調査をしたが、演劇とコーラスをやりたいとの希望が多い。しかし、現在のサークルは旧労分子が中心で活動しているので、二部制として、新しい演劇、コーラスのサークルを結成させることが必要と思う。」との記載があり、後者の発言欄の右横には「決定」との記載がある。また、監察官の発言として「音楽隊は旧労分子の活動の場となってしまったので解散した。」との記載がある。さらに、当日配布されたものと認められる「記」と題する書面には、レクリーダーのあり方について、「旧労職員に対しては、レクリーダーは何ら積極的に直接に接触しないようにする。」「なるべく多く新労職員がレクリーダーの経験をもちうるよう措置すること。」との記載があり、サークル活動については、「サークル部門の新、旧の構成比から見て、これを基盤としたレク行事には危険が伴う。具体的にいえば、文化活動については、官として積極的に取りくまない。(例コーラス、油絵、華道、演劇)」「従って、官として取り組むなら体育部門乃至はレジャー的なものとする。例えば、登山、バーベキュー、釣のようなものとし、かつ、新労の若年層対策に主眼を置く。」との記載がある。

(九) 昭和四二年一一月二四日に開催された東京税関の幹部会議の議事録(<証拠略>)には、全国税関総務部長会議の議題に関連しての東京税関長の発言として「勤勉手当によって差別をつけるより、現行の昇給延伸の方策が必罰の効果が大きい。」との記載がある。

(一〇) 昭和四三年四月二日に開催された東京税関の幹部会議の議事録(<証拠略>)には、「給与法に定める勤勉手当の受領を拒否しているものは大臣表彰を受けるに価しない(総務部長)」「腹では旧労職員を表彰したくないが、永年勤続者表彰の場合は永年勤務の事実が充足すれば表彰しているから本件だけを除外することは筋が通らぬだろう(税関長)」等の記載がある。

(一一) 昭和四三年一一月二九日に開催された東京税関の幹部会議の議事録の下書きないしメモと解される書面(<証拠略>)には、

<1> 税関長が「昇格、昇任問題、研修をどうするのか。いままでどうりほっかむりでよいのか。腹づもりをつくるとともに、本省とも聞き、整理しておけ。」旨発言したとの記載(<証拠略>)、

<2> また、同日の会議で「船員保険の値上げ。新労が根回しやる予定であるので協力を。」との記載(<証拠略>)がある。

3  まとめ

以上の発言や会議録の記載を基に判断するに、(二)の<2><3>や(六)、(八)の発言は、関税局や東京税関当局幹部が、全税関と比べて第二組合の方を好ましいものとみて前者の活動への嫌悪、警戒と後者の育成の必要を述べたものと認められる(こうした発言の背景としては、後記のように全税関は昭和三五年ころから安保改定反対統一行動など政治活動にかなりの重点を置き、組合活動の一環として庁舎内での無許可集会やリボン・プレート闘争等を行い、組合が掲げる要求について当局との対決姿勢を鮮明にしていたのに対し、こうした全税関の活動や方針を批判する立場から全国の税関で第二組合が結成され、税関の職員団体が二分される中で、当局としては、全税関の勢力や活動の動向に強い警戒心を持ち、一方庁舎内集会やリボン・プレート闘争等の非違行為を行わず話し合いによる健全な労使関係の確立を図るという方針の第二組合の勢力が強固なものになることを望んでいた事情があることが窺われる。)。

また、(一)のビラ回収、(四)の新入職員の配置、寮制度、(五)の水泳大会の人選、(七)、(八)のレクやサークル活動に対する官の方針の発言等は、新人職員の職場配置、独身寮、サークル活動、職場レクリエーションのあり方等について、いずれも昭和四二、三年当時における新採用職員をはじめとする若年層の職員に対する全税関組合員との接触の場をできるだけ少なくし、その影響力や勢力の伸長を極力排除するために東京税関においてとられた様々な検討、方策を示したもので、全税関に対する嫌悪、警戒感を推認させるものといえる。

なお、(一〇)の表彰に関する記載は、勤勉手当受領を拒否している全税関職員に対する永年表彰をどう扱うべきかについての東京税関当局の検討内容を示しているものであるところ、全税関職員に対し表彰を受けさせたくないとの嫌悪感情が示されているものといえる(但し、右の発言は、結論的には勤勉手当受領を拒否するという非違行為を行っている全税関職員であっても永年表彰の対象から外すことは適当でない趣旨を述べているものであるから、それ自体は全税関職員に対する差別的扱いを示したものではないというべきである。)

そして、これらの発言の多くは大蔵省関税局が主催して行われた全国税関総務部長会議や全国税関長会議の結果報告の一部としてなされたもの、あるいは大蔵省(本省)の施策又は意向に関連してなされたものであり、後記関税局文書及び横浜税関におけるいわゆる宍戸メモに関する認定を併せ考察すれば、東京税関文書におけるこれらの発言に示された認識は関税局や東京税関のみならず横浜税関を含む各税関においてほぼ共通のものがあったと推測される。

しかし、その他の発言については、なお慎重な検討を要する。すなわち、(二)の<1>や(九)の発言は、八等級から七等級への昇格時期について非違行為等を行った者に対する処遇のあり方等について、大蔵省関税局を中心として全国税関総務部長会議において各税関の意見交換をした内容の一部を紹介をしたものとみられ、横山税関長が東京、神戸各税関長よりも厳しい意見を表明したことが窺えるものの、非違行為を行った者や成績不良者一般についての昇格差別のあり方をめぐる議論の域を超えて、特に全税関に所属する者をそのことだけの理由で不利益に扱う趣旨の発言と認定するには足りない。(三)の記載は、当時関税局が検討していた服装規程制定に関わるもので、仮にその立案の動機が全税関組合員が駅頭等の大衆の面前で制服姿のままビラ撒きやプラカード行進をすることを制限することにあったとしても、元来税関職員に対して制服が貸与されるのはその職務を遂行するためであり(関税法一〇五条二項で同条一項の強制力を伴う権限を行使する場合には制服の着用を義務付けられる。)、制服を着用したまま職務に関係のない駅頭等におけるビラ撒きなどに従事することを許容するべきではないとする考え方には相当の理由があるから、その規制を検討することが全税関に所属する組合員を差別したり正当な組合活動に対する妨害を検討していたということにはならない。また(一一)<1>、<2>の発言については、これらの発言のなされた前後の事情や発言の趣旨、内容が明らかでなく、控訴人らが主張するように、控訴人組合員を控訴人組合所属を理由として昇格、昇任、研修などを差別していたこと、あるいは本件第二組合に対する保護育成策がとられていたことを前提にした発言であるとまで認めるに十分ではない。

右に検討してきたところによれば、東京税関文書の一部からは、昭和四二、三年当時、関税局や東京税関当局において全税関の勢力や活動について嫌悪、警戒し、一方第二組合の勢力伸長を望みその活動に対しては協力する姿勢があったことが窺えるのであり、また、新人職員の職場配置、独身寮、サークル活動、レクシエーション関連の人選等の場面では全税関所属の職員とそうでない職員との接触の場をできるだけ少なくし、その影響力を排除する方策が検討されていたもので、これも全税関の活動に対する嫌悪を推認させるものである。

そして、全税関に対する嫌悪、警戒意思と第二組合が強固になることへの期待は、前記のとおり関税局や東京税関のみならず横浜税関を含む各税関においても共通であったとみられるが、新人の職場配置、独身寮、サークル、レクリエーション、表彰などについての前記の検討や方策は直接的には東京税関におけるもので、もとよりこれらの証拠は横浜税関においても同様なことが行われたことを直ちに示すものではない。横浜税関における新入職員の研修、職場配置、寮制度、サークル活動、レクリエーション、表彰等について控訴人らが主張するような差別的扱いの事実があったかどうかについては、後にこれらの東京税関文書の存在をも考慮に入れつつ別途個別に検討することとする。

二  関税局文書について

1  文書の成立

控訴人らは、大蔵省関税局が作成した全国の税関長会議・税関総務部長会議・人事課長会議の関係資料として<証拠略>を提出した。

<証拠略>によれば、これらの文書は当時の正森成二衆議院議員(以下「正森議員」という)が入手し、昭和六一年十一月五日の衆議院予算委員会資料として使用したものであり、正森議員が保管していると認められる。ところで、正森議員が右各文書を入手した経緯については判然としないが、右各文書は、いずれもその形式、内容、「人事極秘」「人事秘」などの取扱基準を示す押印の存在、大蔵省の用紙であることを示す記載の存在、<証拠略>によれば、これらの会議に出席したと記載されている職員が当時関税局や税関に在籍し、実際に控訴人ら主張のとおり右各文書に記載の日に関税局において各税関長会議や各税関総務部長、人事課長会議等が開催されていることは被控訴人も認めている(なお、<証拠略>参照)こと等からして、大蔵省関税局が作成したものであるとみて不自然ではなく、被控訴人は、関税局及び各税関が調査しても右各文書の存在が確認できなかったというにとどまり、特にこれが偽造である旨の主張はしていないことなどの事情に照らせば、右各文書は関税局作成に係る文書であることが認められる〔なお、昭和六一年四月一〇、一一日に開催された人事課長会議の資料(「人事課長の開催及び議題について」と題されたもの。<証拠略>。)は、その一枚目に「2 議題(案)」と記載されていることから明らかなように正式の会議用文書として用いられたものでなく草案の段階の文書であると認められる。このうち、本体をなすものは<証拠略>までで、<証拠略>はその前に開催された総務部長会議の討議概要を参考として添付したものと認められる(<証拠略>は<証拠略>の添付別紙とみられる。)。そして<証拠略>は表題が「議題3 特定職員の上席官昇任及び七級格付け等について」となっており、前後の関係から、<証拠略>の文書上段に「議題4 特定職員の上席官昇任及び7級昇格について(別紙)」と記載されているその別紙文書であるとみられるところ、その二枚目の下段の「(3) 四、五、六級格付」という記載部分は、文書の表題に直接掲げられておらず、それ以外の部分と筆跡が異なっている上、左側罫線に明らかな不連続が見られることなどから、それ以外の部分との一体性に問題があるとみる余地もあるが、文書の表題は「議題3 特定職員の上席官昇任及び七級格付等について」と「等」の文字が付けられており、会議用の草案文書などの場合は筆跡の異なる文書を貼り合わせ、コピーして一枚の文書の形式とすることが十分考えられ、その記載の形式と内容に照らしてもそれ以外の部分と一体をなす文書とみて不自然ではなく、以上から右「(3) 四、五、六級格付」の記載部分もその余の部分と一体をなす関税局作成の文書と認められる。〕。

2  文書の内容

右各文書の記載及び弁論の全趣旨によれば、関税局は、<1>昭和五八年九月二〇日、二一日に税関長会議を(<証拠略>関係)、<2>同年一〇月に全国の税関総務部長会議を(<証拠略>関係)、<3>昭和五九年二月に税関長会議を(<証拠略>関係)、<4>同年三月に全国の税関総務部長会議を(<証拠略>関係)、<5>昭和六一年三月一九日に全国の税関総務部長会議を(<証拠略>関係)、<6>同年四月一〇日、一一日に全国の税関人事課長会議を(<証拠略>関係)それぞれ開催し、「当面の人事管理上の諸問題」等について協議したことが認められる。

そして、右各文書の記載内容に従い、控訴人らが被控訴人における差別意思の表われとして取り上げている記載事項を概ね会議等の日付順に示すと、次のとおりである。

(一) 昭和六一年三月一九、二〇日開催された全国税関総務部長会議に関する文書(<証拠略>)では、議題の一つとして「特定職員の上席官昇任及び七級格付について」討議が行われ、その討議の概要として、

「(1)俸給表の十一級制移行により、七級昇格の足がかりとして今後上官要求が強まろう。 (2)上席官昇任については、特定職員の五〇歳以上の殆どは、資格基準表の要件を満たしており、また、一般職員の上席官への任用及び職場での上席官の運用実態並びに特定職員の年齢構成等から、現状(六〇年任用六人、占有ポスト九)程度では、対内・外ともに説明が難しい。 (3)仮に、欠格条項に該当する者を除く全員を昇格させたとしても占有ポスト数は七〇名から八〇名位であり、全上席官の一割にもみたないので、上席官任用は可能であろうとする考え方と一般職員との均衡上(上席官未昇任者の存在)及び特定職員に対する上席官運用の継続性からも、少くとも二六年次を中心とする年齢構成層については、上席官昇任にあたって絞りをかけ選考すべきであるとする考え方があった。(4)七級昇格については、七級は従来の四等級でもあり、上席官は基本的に七級であるという職員感情から、上席官であれば退職時までには七級に格付すべきであるとする考え方と一般職員との均衡(一般の上席官が全て退職時までに七級に格付されるとは限らない。)から選考を行うべきであるとする考え方があった。」との記載がある。

(二) 昭和六二年四月一〇、一一日開催された全国税関人事課長会議に関する文書(案)(<証拠略>)では、議題の一つとして「特定職員の上席官昇任及び七級昇格について」があり、その討議資料として関税局が昭和六一年三月三一日付で作成した資料(<証拠略>)には次のとおりの記載がある。

「(1)上席官昇任

<1> 上席官への昇任は、欠格条項に該当する者以外はその全員を昇任させるとする考え方、他方一般職員でも専門官のままでの退職があり得る現状においては、昇任時に選考を行うべきであるとする考え方がある。これらの考え方についてどうか。

<2> 上席官の昇任の選考対象は年齢、在級とも若干拡げ、前広に選考すべきであるとする考え方もあるが、あまり昇任時の年齢を下げると選考対象が著しく増加すること、退職時までの配置ポストとの絡み(経験させるポスト数)、八級昇格への期待感の増幅等が考えられるところから、前年度基準(五五歳かつ在級六年)のままで運用することについてはどうか。

<3> 上記<1>の考え方を踏え、任用数は六〇年度の任用数(六人、占有九ポスト)の五割増程度(九人~一〇人、占有一五~一六ポスト)とすることについてはどうか。仮に、特定職員の年齢構成等からみて更に増やすとした場合、任用数の上限はどの程度が適当と考えるか。

<4> 選考基準及び任用数等について、上記以外に意見があれば予め報告を求め討議する。

(2) 七級格付

<1> 一般職員の昇格との均衡上、上席官在任二年以上の者とすることについてどうか。この場合、上席官昇任の上限年齢はどのように考えるのか。

<2> 在任期間に関係なく、退職前一~二年間に昇格させることについてはどうか。

(3) 四、五、六級格付

四、五、六級における一般職員と特定職員の昇格時期については、勤務成績が一般職員と比べて遜色のない特定職員は超一選抜として一般の最終選抜に重ね、さらに優れている者は一般の第三選抜に重ねることを確認事項としてよいか。なお、杓子定規に運用するものでないことに留意する。」

(三) 昭和五九年三月に開催された税関総務部長会議に関する文書(「当面の人事管理上の諸問題について」と題されたもの。<証拠略>)の二一頁では、昭和三九年から四九年までの上級職採用者について昭和五八年四月に実施した「上級職特別評定結果」が記載され、それによると、五八年四月時点で判断される将来任用可能ポストとして、他の者は大部分指定職まで可能と判断されているが(稀に二等級止まりと判断されている者もいる。)、昭和四二年上級職で採用された者一名のみ(後に述べるような事情から全税関組合員である特定人(○中△雄)を指すとみられる。)は四等級止まりと評定されている。

なお、右(一)、(二)の文書中で述べられている「特定職員」の意味については、<証拠略>によれば、昭和六〇年七月一日に上席官に昇任した全税関組合員が六名おり、同日現在で既に上席官に昇任していた全税関組合員三名と合わせると、全税関組合員である上席官のポストは合計九となること、昭和六一年当時、五〇歳以上でかつ在級六年の資格を有する全税関組合員は合計八一名で、昭和五八年の全上席官数は九六六人で更に増加傾向にあったこと、そこで先の<証拠略>の「昇格させても占有ポスト数は七〇名から八〇名位で全上席官の一割にもみたない。」との記載とほぼ符合すること、<証拠略>によれば、昭和五八年九月二〇日開催の全国税関長会議冒頭の関税局長挨拶原稿の中で税関における人事管理上の困難な問題の一つとして表現されていた「特定職員にかかる問題」が「職員組合にかかる問題」に修正され、更に右税関長会議の開催結果を伝える関税局報では「職員組合にかかる問題」の例示も削られている経緯等から、「特定職員」とは全税関組合員のことを指していることが優に認められる。

3 まとめ

以上の関税局関係の文書にみられる記載によれば、昭和六一年三月の前記税関総務部長会議(<証拠略>)において、議題の一つとして上席官昇任及び七級昇格の問題が取り上げられ、一般職員とは別に「特定職員」として全税関組合員の上席官昇任等が取り上げられたのは、昭和六一年当時、全税関に所属する職員の上席官への昇任が一般職員の上席官への任用状況と対比して著しく少なく、その差が対内外に説明が困難なほどになったため一般職員で昇任が遅れている者との均衡を配慮しつつその差を縮小する方向でその昇任基準等について討議したものであることが窺える。また、昭和六一年四月の前記税関人事課長会議関係文書(<証拠略>)によれば、議題の一つとして全税関に所属する職員の上席官昇任・七級昇格及び四、五、六級昇格の問題も議題の一つとして取り上げられたと推認されるところ、右記載内容は、上席官昇任・七級昇格及び四、五、六級昇格について全税関所属職員の昇任等の選考基準をそれ以外の職員についての選考基準とは別個に扱うことを検討ないし確認しようとするものであり、全税関に所属する職員をそれ以外の職員に比べて昇格等に関し不利に扱おうという意向が示されているのみならず、「特定職員に対する上席官運用の継続性」等の表現からは、右の会議の相当以前から右のような異なる選考基準ないし方針が存在していたことを疑わせるものといえる。

もっとも、右各会議は本件係争期間終了後一〇年以上後の昭和六一年三、四月に開催されたものであること、右(一)の総務部長会議における上席官及び七級昇格に関する議題自体は、それまでに既に発生していた上席官昇任に関する全税関職員の一般職員と比べた場合の大幅な遅れを是正する方策を協議するものであってそれ自体全税関所属職員を不利に扱おうとするものではないこと、また(二)の人事課長会議関係の文書も会議資料草案として作成されたもので、これと同様のものが実際に人事課長会議の席で配布され、議論されたかどうかは確定できないし、仮に右文書同様のものが会議に用いられたことがあったとしても結論的にいかなる方策が決定、実施されたかは明らかでないことに留意する必要がある。

しかし、右のような諸点を考慮したとしても、昭和三八年から四〇年にかけて全国の税関に第二組合が結成されて全国の税関の職員団体が二分されて以降、東京税関文書などの記載から窺われるように、関税局以下の税関当局は全税関の勢力や影響力の拡大について嫌悪、警戒し、一方第二組合の勢力の拡大を期待する態度を有していたとみられること、そのような税関当局の姿勢がその後改められたことを窺わせる事情は見当らないこと、前記認定のとおり、右各会議が開かれた相当前の時点から全税関に所属する職員とそうでない職員との間において全体的に相当の昇任等の格差が顕在化していたとみられること等を考え併せれば、税関当局における上記のような全税関組合員とそうでない職員について昇任、昇格について別個に基準を設け、全税関組合員を全体的に他より低位に処遇するという差別的取扱いの姿勢は、その具体的内容や方法は明らかではないものの、右各会議の行われた昭和六一年前後に限られるものでなく、少なくとも本件係争期間の一部を含む昭和六一年を遡る相当前の時期から、全体的・一般的指針としてとられていた可能性を否定できず、この限りで関税局以下の各税関当局の全税関ないし全税関組合員に対する昇任、昇格に関する全体的、一般的差別意思を推認することができる。

もっとも、右の意味での全体的、一般的差別意思が肯認できるからといって、個人控訴人について認定できる限りの昇任等の格差を直ちに差別意思に基づく違法な差別であると評価することはできず、これが認められるためには、個人控訴人らがその能力、勤務成績等において比較の対象とした非組合員との間で差がないことが個別的に立証されなければならないことは前記(第四、三)のとおりである。

なお、前記2(三)の特定人(○中△雄)の昇任予想は、昭和六一年現在達している昭和四〇年から四九年まで採用の税関上級職採用職員の地位、等級号俸、本人の資質、能力等からみた退職時までに昇進可能なポスト、等級の予測を述べたもので、それ自体は全税関職員を将来的に不利に扱おうという意図を示すものではなく、また右時点までに生じた格差について全税関職員であることを前提にしてそのような記載がされているわけでもないから、この点の控訴人らの主張は理由がない。

三  横浜税関文書について

1  横浜税関人事課長文書

控訴人らは、横浜税関の長谷川吉雄人事課長名義の各出張所長宛事務連絡「昭和五一年七月期の特別昇給発令予定者について」と題する昭和五一年七月一五日付けの文書(<証拠略>)を提出した。

ところで、控訴人らが右文書を入手した経緯については、平成元年四月末頃控訴人組合に郵送されてきた(<証拠略>)という以上には明らかでないが、右文書は、その形式、内容、「取扱注意」などの押印や横浜税関の用紙であることを示す記載の存在、<証拠略>によれば、当時長谷川吉雄は横浜税関人事課長として在職していたこと等からして、横浜税関人事課長から各出張所長宛に事務連絡として出された文書とみて不自然ではなく、被控訴人は横浜税関当局が調査しても右各文書の存在が確認できなかったというに止まり、特にこれが偽造である旨の主張はしていないことなどの事情に照らせば、右文書は横浜税関人事課長作成に係る文書であることが認められる。

そこで検討するに、右文書は昭和五一年七月二四日に七月一日付けで発令される予定の特別昇給発令予定者について原案を示すとともに右の原案どおり発令された場合に職員の横並び等の関係で各部署における支障の有無について検討を求めたものであり、その中に「4 特殊職員の特昇の関係上多少の変更はあり得ること。」との記載があることが認められるところ、控訴人らは右「特殊職員」とは全税関所属職員のことであり、右記載は特別昇給について控訴人組合員とそうでない職員とを別枠で運用していることを示すと主張する。

右文書の文脈からすると「特殊職員」と呼ぶ職員らと他の一般の職員らとの間に特別昇給対象者の選定上別異の考慮がされていることが推測されるところ、右文書の作成された昭和五一年という時期と、前記第五で認定したとおり(なお、別紙入関年度別職員比較表(1)ないし(18)参照)、全体的、集団的に観察して本件係争期間の終わり頃までは控訴人組合員らの中には特別昇給した者がほとんどなく、ようやく本件係争期間の終期に当たる昭和四八、九年頃以降控訴人組合員らの中にも特別昇給する者が現れはじめたこと(この点につき、原審第六九回口頭弁論期日における控訴人成尾衛の尋問結果参照。)との時期的符合、更には、被控訴人は、前記関税局文書中の「特定職員」の意味について国公法の守秘義務を根拠に反論を差し控える旨応答しているものの、右横浜税関人事課長文書の内容、とりわけ「特殊職員」の意味についての控訴人らの主張に対しては何ら主張するところがないことに照らせば、右「特殊職員」は横浜税関における当時の控訴人組合員を指すと考えるほかはないというべきである〔なお、<証拠略>によれば、「特殊職員」の用語は法令上も用いられる用語であり、<証拠略>によれば、特別昇給の運用については人事院規則上多くの例外や特例扱いの項目があることが認められるが、右人事課長文書中の「特殊職員」がそのような意味で特例的扱いのされる職員を示すと解するのは無理があり、被控訴人もそのような主張はしていない。〕。そうすると、右横浜税関人事課長文書は、昭和五一年当時の横浜税関における特別昇給の運用において控訴人組合員については一般の職員と異なる考慮がされていたことを疑わせるものではあるが、右の異なる考慮の具体的内容は右文書からは明らかでなく、また、右文書が直ちに、「特定職員」の用語が用いられた昭和六一年の前記関税局文書につながるともいえないことに留意する必要がある。

2  横浜税関予算要求文書

次に、控訴人らは横浜税関で作成された予算要求文書(「昭和四八年度税関予算の実行に関する要望事項について」と題する文書。<証拠略>について、レク行事補助、サークル育成経費、労務対策経費が「士気高揚対策経費」として支出されているところ、東京税関文書(<証拠略>)においてもレクリーダー養成費、若年層対策経費等が「士気高揚対策経費」として予算要求されていることから、右各文書などは関税局の指示の下に各税関共通して全税関排除対策のためのレクリーダー養成等が行われたことを示すとの主張をするが、昭和四〇年以降国家公務員の能率向上、元気回復のためのレクについての体制整備が行われてきたことは後記(第七、二、16)のとおりであり、レクリーダー養成等の経費のため各税関において同一の予算要求項目が存在することは当然あり得べきことであって、この点に関する控訴人らの主張は採用できない。

3  いわゆる宍戸メモ(<証拠略>)について

控訴人らは、これらいわゆる宍戸メモには、控訴人組合の動向の把握、リボンプレートに対する注意の仕方、現認書の記載の仕方、控訴人組合員から昇任・昇格等について抗議や質問がなされたときの抽象的な答えやはぐらかしの仕方などが詳しく記載されており、これらは当局の指示の下に職制による徹底した控訴人組合員に対する監視・密告体制がとられていたこと、更には、昇任、昇格、特別昇給、配転、研修などの差別が勤務成績や業務上の必要などによるものでなく控訴人組合弱体化を目的としたものであることを示すものであると主張している。

前記<証拠略>によれば、宍戸メモは、昭和四七年六月当時横浜税関山下埠頭出張所輸出通関第二部門担当統括審査官であった宍戸獻吉郎作成の私物の小型ノートであり、その内容は、全体として同出張所総務課からの連絡事項のメモ、会議の備忘、当局に備え付けられていた「控訴人組合員から様々な質問を受けた場合の想定問答集」を写したもの、現認報告書の記載についての検討記録などであって、同人の職務に関連する当時の横浜税関当局の控訴人組合ないし控訴人組合員に対する対応の仕方、姿勢を示す記載が含まれていることが認められる。しかし、別に認定するように、当時の活動方針に従って違法行動にわたる組合活動が行われていた控訴人組合ないし控訴人組合員の活動に対応するために、当局が職制を通じて控訴人組合の動向を把握しその報告を求めたり、控訴人組合員の抗議等に対する対応方法を指示することは当然の措置というべきであって、宍戸メモの右記載内容が直ちに正当な組合活動を制限することを目的としたものであることを意味するとか、控訴人組合に対する違法な監視・密告体制がとられていたということにはならず、この点の控訴人らの主張は採用できない。

しかしながら、宍戸メモ中の昭和四七年六月八日に記載されたとみられる記載(<証拠略>)によれば、昭和四七年六月八日に山下埠頭出張所の課長会議が開かれ、次長からの管理課長会議の結果報告をメモしたものとして「旧勧誘解除」「特昇等は約束しない」等の記載があること、<証拠略>は、昭和四七年六月八日に山下埠頭出張所の課長会議の席で、本関(横浜税関)における管理課長会議に出席した同出張所次長の結果報告があったところ、右報告の中で伝えられた「旧勧誘解除」の記載の意味については控訴人組合(「旧労」)からの組合員の脱退勧誘をすることを解除する意味である旨をかなり明確に証言している。そうすると、右宍戸メモの記載に係る山下埠頭出張所の課長会議は控訴人組合が分裂して本件第二組合が結成されて相当後の昭和四七年であること(<証拠略>)によれば、控訴人組合からの脱退者は昭和三九年から昭和四五年までが大半で、昭和四六年以降は控訴人組合の人数に大幅な変動はないことが認められる。)、しかも<証拠略>は右山下埠頭出張所における課長会議があって約一二年後になされたもので、「旧勧誘解除」「特昇等は約束しない」との記載はそれ自体断片的であり、発言の前後の脈絡も必ずしも明確でないことなどの事情を考慮しても、なおかつ、右の記載と<証拠略>からは、横浜税関において、時期は特定できないものの右本関における課長会議以前の時期に当局による控訴人組合からの組合員の脱退勧誘が職制を通じて行われていた事実を推認させるものであり、右会議においては、右の脱退勧誘の方針を解除する方針が示され、これが横浜税関管内幹部職員に伝達されたものと認めるのが相当である。

しかし、「特昇等は約束しない」の意味については、<証拠略>も脱退者に特昇等の約束が前にあったわけでもないしどういう意味でこのような発言がなされたのかその意味はわからないと証言しており、右の記載から職制を通じての脱退勧誘において以前には特昇等を約束して利益誘導的な勧誘を行っていたのをやめるとの意味にまで読み取ることには無理があり、この点の控訴人らの主張は採用できない。

第七被控訴人の差別的取扱いの有無について(昇任、昇格、昇給の点を除く。)

一  控訴人らの主張する差別行為

控訴人らは、横浜税関当局が、控訴人組合を敵視し、控訴人組合ないし控訴人組合に所属する組合員に対して、昇任、昇格、昇給以外においても様々な差別的取扱いを行った旨主張するところ、控訴人らのこの点に関する主張は、次のとおりである(その具体的内容については、それぞれの項目末尾の括弧内の原判決書IIの該当部分の記載を引用する。)。

1  武藤税関長の就任と弾圧の開始(原判決書II三四頁一〇行目<略>から三七頁三行目<略>まで)

2  労使慣行の破棄と既得権剥奪(原判決書II三七頁四行目<略>から四二頁一〇行目<略>まで)

3  控訴人組合員に対する控訴人組合脱退工作(原判決書II四二頁一一行目<略>から五一頁一一行目<略>まで)

4  刷新同志会の結成と控訴人組合員に対するデマ宣伝(原判決書II五一頁一二行目<略>から五四頁一三行目<略>まで)

5  本件第二組合に対する援助(原判決書II五四頁一四行目<略>から六二頁一一行目<略>まで)

6  新入職員の控訴人組合への加入妨害(原判決書II六二頁一二行目<略>から六八頁一〇行目<略>まで)

7  本件組合分裂後の当局の職制等を利用した反控訴人組合のデマ宣伝等(原判決書II六八頁一一行目<略>から七一頁一四行目<略>まで)

8  庁舎管理規則の濫用等による組合活動妨害(原判決書II七一頁一五行目から八一頁一行目まで。前記事実の第三4による付加部分を含む。)

9  団体交渉の制限等の組合活動妨害(原判決書II八一頁二行目<略>から八六頁一〇行目<略>まで)

10  処分の濫発、デッチ上げ(原判決書II八六頁一一行目<略>から八九頁三行目<略>まで)

11  現認制度等による監視密告体制の強化(原判決書II八九頁四行目<略>から九七頁一四行目<略>まで)

12  不当配転(原判決書II九七頁一五行目<略>から一一〇頁七行目<略>まで)

13  非組合員との隔離(職場における隔離、村八分、サークル活動からの排除)(原判決書II一一〇頁八行目<略>から一一五頁九行目<略>まで)

14  研修及び表彰差別(原判決書II一一五頁一〇行目<略>から一二三頁一〇行目<略>まで)

15  職員宿舎の入居差別(独身寮、家族寮宿舎の入居差別)(原判決書II一二三頁一一行目<略>から一三〇頁四行目<略>まで)

16  職場外での差別(レクリエーションからの排除、葬式、結婚披露宴への不参加)(原判決書II一三〇頁五行目<略>から一三四頁一行目<略>まで)

二  個別の検討

そこで、以下これらの事項毎に個別に検討を加えることとする。

1  「武藤税関長の就任と弾圧の開始」の主張(原判決書II三四頁一〇行目<略>から三七頁三行目<略>まで)について

<証拠略>によれば、控訴人ら主張の新聞記事の存在、控訴人組合の組合員数が武藤税関長就任後間もない昭和三八年六月に約一三〇〇名であったが昭和四〇年七月には三九四名まで減少したこと、昭和四〇年七月二五日付の横浜税関庁内ニュースで控訴人ら主張のような武藤税関長の離任の挨拶が掲載されていることは認められるが、その余の控訴人らの主張は抽象的なものであり、右事実からのみでは控訴人らの主張を肯認することはできない。

2  「労使慣行の破棄と既得権剥奪」の主張(原判決書II三七頁四行目から四二頁一〇行目まで)について

(一) 本関婦人室及び図書室の管理の剥奪の主張(原判決書II三七頁五行目<略>から三八頁九行目<略>まで)について

従前は、本関婦人室及び図書室の管理を控訴人組合が事実上行い、本来の目的による使用のほか集会等の組合活動の用にも供されていたが、横浜税関当局が昭和三八年一〇月婦人室の鍵の返還を受け、次いで同年一一月に図書室の鍵を取り替える措置をとったことは、当事者間に争いがない。

控訴人らは、組合活動の妨害のために被控訴人が右のような挙に出たと主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。かえって<証拠略>によれば、昭和三六年の消防法施行令等の施行により防火責任者の明確化が図られ、これを受けて横浜税関でも、同年一二月、横浜税関火災防備規定を制定したこと(<証拠略>)、しかし、昭和三八年に横浜税関川崎支署が全焼し、さらに横浜市内の税関紅葉山寮でボヤを出したこともあって、横浜消防局から、防火責任体制の整備を強く要請されるに至ったこと、そこで、当局は庁舎管理者として防火体制確立のため、控訴人組合に対し、図書室と婦人室の鍵の返還を求め、同年一〇月に婦人室の鍵の任意返還を受けたものの、図書室については控訴人組合からは任意返還の意思が表示されなかったため、被控訴人は同年一一月深夜鍵の変更を行って、以後管理を被控訴人において行うようになったことがそれぞれ認められる。

そうすると、これらの当局の措置は、庁舎管理の必要上適法に行われたものというべきであって、控訴人組合の組合活動の妨害のために行われたものと認めるには足りないから、右措置を違法と評価することはできない(これらの措置によって、従前婦人室や図書室において控訴人組合により比較的自由に行われていた集会活動などが控訴人組合限りの意思では開催できなくなり、その限度において一定の支障が生じたことが推察されるとしても、もともと図書室や婦人室は行政財産たる庁舎の一部であり、その最終的な管理は当局がその責任において行うべきものであることは明らかであるから、右の措置により控訴人組合の活動に右に述べたような支障が事実上生じたとしても、前記判断を左右するものではない。)。

(二) 勤務時間中の執行委員会等への出席否認の主張(原判決書II三八頁一〇行目から三九頁一行目まで)について

当裁判所も、この点についての当局の措置に違法はないと判断するが、その理由は原判決書I六三頁一五行目から六四頁一三行目までの記載と同一であるから引用する(但し、原判決書I六四頁五行目の「通告した」の次に「(右通告の事実は、当事者間に争いがない。)」を加え、同頁八、九行目の「職務に専念する義務を負うものであるから」を「職務に専念する義務を負うものであり、当時の国公法一〇一条三項は「職員は、政府から給与を受けながら職員団体のため、その事務を行い、又は活動してはならない」と規定し、また人事院規則(以下「人規」という。)一四―一[職員団体に関する職員の行為]三項は、職員は「職員団体の会合に参加すること」等の行為を「勤務時間中にしてはならない」と定めていたのであるから」に改める。)。

(三) 福利厚生活動からの排除の主張(原判決書II三九頁二行目<略>から同頁八行目<略>まで)について

<証拠略>によれば、横浜税関では職員の厚生計画や厚生経費の配分について各職域及び職員の意見を反映させるため、かねてから任意組織としての厚生委員会(厚生会)が組織され、これに控訴人組合は唯一の職員団体として五名の委員を出していたこと、しかし、昭和三九年五月に本件第二組合が結成され、その構成員数は控訴人組合に匹敵し、本件第二組合の代表を加える必要が生じたところから、昭和三九年六月八日の厚生委員会の決議により構成委員の編成替えが行われ、以後は組合代表としては控訴人組合から一名、本件第二組合から一名の委員が出されることになったことが認められる。

そうすると、厚生委員会の組織は前記のような趣旨の任意組織である上、控訴人組合が分裂し、昭和三八年七月段階で約一三〇〇人であった控訴人組合の組合員数が既に本件第二組合結成後間もない昭和三九年七月一日には六〇〇人弱に減り(<証拠略>)、組合員数において控訴人組合と匹敵する本件第二組合が誕生したという経緯から編成替えもやむを得なかったといわざるを得ず、控訴人組合と本件第二組合の委員数も同一であったのであるから、厚生委員会の右編成替えをもって当局が控訴人組合の発言権を制約するために行ったとする控訴人らの主張は採用することができない。

(四) 海務課乗船官吏控室の利用の排除の主張(原判決書II三九頁九行目<略>から四〇頁三行目<略>まで)について

従前は、海務課更衣室(控室)は畳敷きで、周囲の壁際にロッカーがぐるりと並べられ、中央に広いスペースがあり、控訴人組合は、ここを交替勤務のある組合員の休憩場所や組合員のいわゆる溜り場として集会等の組合活動のためにも利用することもあったこと、しかし、昭和三九年六月八日、当局は右更衣室の模様替えをして、床をコンクリートにし、すのこを敷き、着替えができる程度のスペースを残して一人用ロッカーをほぼ部屋一杯に増設した事実は、当事者間に争いがない。

控訴人らは、右措置は当局が控訴人組合を嫌悪し組合活動を妨害したものと主張する。しかし、<証拠略>によれば、被控訴人は、かねて職員から人員増に伴うロッカーの増設、二人用ロッカーから一人用ロッカーへの変更を要望されており、当局としても、木製ロッカーからスチール製ロッカーへの転換と、運転手詰所が狭くなったこと等による部屋割りの見直しを検討していた時期であったので、右措置を講じたものであることが認められる。そうすると、右措置は、右の経緯の下で庁舎施設の効率的な管理と運用の観点から行われたものであって何ら違法ではなく、仮にそれまで更衣室が集会などの控訴人組合の活動の用に事実上用いられていたことが制約されたとしても、右措置がことさら控訴人組合の組合活動妨害のために採られたものと認めるべき証拠もないから、この点の控訴人らの主張を採用することはできない。

(五) 組合掲示板の移動、利用制限の主張(原判決書II四〇頁四行目<略>から九行目<略>まで)について

控訴人組合は、従前は本関における控訴人組合掲示板が三個所の主な入口付近にあり、最も見易い場所にあったが、当局は昭和三九年六月にそれまでの慣行を無視して一方的に本関一階喫茶室前と四階食堂前の各廊下に移動した旨主張する。しかし、<証拠略>によれば、横浜税関においては昭和三九年五月に本件第二組合が結成され、同組合に対しても掲示施設を認める必要があり、掲示板の新設、両組合の公平均衡、庁舎管理の必要性と掲示場所としての相当性の調和などの観点から、総合的に判断して控訴人主張のように控訴人組合の掲示板の移動を行ったものであることが認められる。そして、組合掲示板の設置を許可するに当たり、その場所や数については、職員団体の教育宣伝や広報活動の必要性と場所の相当性について十分配慮することが要請されるが、最終的には庁舎管理権者の適切な裁量に委ねられるものであり、本件全証拠によるも、控訴人組合の組合員の数、前記新規の設置場所、数、本件第二組合との均衡等の観点からみて、当局の前記措置が不相当で、控訴人組合の弱体化を狙った慣行無視の措置であるとは認めがたい。そうすると、この点の控訴人らの主張は理由がない。

(六) 配転に関する合意の無視、税関施設の使用の拒否の主張(原判決書II四〇頁一〇行目<略>から四二頁一〇行目<略>まで)について

これらは関連事項とともに後に項を改めて判断する(配転に関する合意の有無等については後記「12 不当配転の主張について」の項、控訴人組合による税関施設の使用の拒否については後記「8 庁舎管理規則の濫用等による組合活動妨害の主張について」の項)。

3  「控訴人組合員に対する組合脱退工作」の主張(原判決書II四二頁一一行目<略>から五一頁一一行目<略>まで)について

この点についての判断は、次の4の項において一括して行う。

4  「刷新同志会の結成と控訴人組合に対するデマ宣伝」の主張(原判決書II五一頁一二行目<略>から五四頁一三行目<略>まで)について

控訴人らは、昭和三八年秋以降に始まった控訴人組合員の大量脱退、それに続く刷新同志会の結成及び本件第二組合の結成など一連の動きは、控訴人組合の弱体化を狙った当局の組織的な工作であると主張するので検討する。

(一) <証拠略>によれば、次の事実が認められる。

ア 控訴人組合は、全税関の下部組織として横浜税関内に昭和二二年に結成された。もともと横浜税関には控訴人組合の他には職員組合はなく、ごく少数の税関の幹部職員(税関長、各部の部長、次長、総務課長、人事課長、会計課長、税関考査官、横須賀支署長、川崎支署長ら一四名程度)と少数の未加入職員(昭和三八年ころで約五〇名程度)を除く大部分の職員は、入関直後に加入勧誘というほどの働きかけもないまま、ほぼ自動的に控訴人組合に加入していた。このため控訴人組合の中には職制組合員の数も少なくなく、昭和三八年ころで職制組合員の数は全組合員の三割以上を占めていた。

そして、昭和三十年代半ばころまでは、控訴人組合は、待遇改善など職場の諸要求にもっぱら重点を置き、当局(横浜税関当局)と団体交渉を通じて問題の解決を図る労働条件改善を主体として組合活動を行ってきた。こうした中で、労使の話し合いの中で業務の合理化にも取り組み、例えば昭和三二年一〇月以降、本船出港四八時間前申告(輸出貨物の通関申請を貿易船の出港四八時間前までに行うもので、昭和二八年一〇月以降当局は業者に要望してきたが、なかなか実行されなかった。)の励行、年末年始の輸出入通関申告の早期励行に関する業者指導、超勤や休日出勤の減少、年末年始の休暇確保、職場環境の改善などについても一定の成果を収めてきた。

イ ところで、全税関は昭和三三年に総評に加盟し、三四年に国家公務員共闘会議に参加し、これに伴い控訴人組合もそのころ神奈川県公務員共闘会議、神奈川県労働組合評議会に参加し、地対空ミサイルエリコン五六の陸揚げ阻止、警察官職務執行法の改正反対、安保反対などの政治闘争にも積極的に取り組むようになった。これとともに、控訴人組合は、昭和三四年ころから、当局の事務のやり方に関し、税関業務の増大に伴う機械導入による業務合理化等は労働強化を招くとして反対し、規定通りの休憩休息を一斉に取る、宿日直明けの午前八時三〇分以降は勤務に就かない、輸出入申告書が完備するまで通関手続をしない、従前事実上業者が手伝っていた業務を職員が行う、平日の午後三時、土曜の午後零時以降に搬入された貨物は果物等を除き現場検査を実施しない、一斉定時退庁をする等のいわゆる業務規制闘争を含む順法闘争を呼びかけ、これを実施した。これに対し、昭和三四年一一月に、監視部に勤務する二八名の職制組合員が「脱退趣意及び通告書」により「最近における組合活動の実情を観るに、吾々は組合員であるとともに、税関職員としての本来の責務があるはずであるにもかかわらずその本分を没却させるがごとく指導している……」等として控訴人組合を脱退した(<証拠略>)。

ウ 控訴人組合は、昭和三五年六月四日と同月二二日の両日、安保改定阻止、岸内閣退陣のスローガンを掲げ、部外者も交えて、当局の警告や中止命令を無視して、早朝から午前九時三〇分までの勤務時間に食い込む職場大会を強行し、職員の出勤阻止のためのピケ闘争も行った(同年七月九日、当局はこれを指導した控訴人栗山彦七郎ら控訴人組合役員八人に対し減給、戒告などの懲戒処分をした。<証拠略>)。

昭和三六年以降も、控訴人組合は、国公法改正反対、原子力潜水艦ポラリス寄港反対、日韓条約締結反対、身上報告書反対などの闘争を行った。ところで、控訴人組合の組合員の中にはこれらの政治色の強い闘争に疑問を持ち「組合幹部と一般組合員の間に溝ができている。」、「統一行動と職場の要求との結び付きが不十分である。」などの意見を表明する者もあった。(<証拠略>)。

エ 一方、横浜税関に次ぐ大規模税関である神戸税関において、全税関神戸支部は、昭和三六年になって五〇〇〇円の大幅賃上げ、政暴法反対、人員増加等の職場諸要求等を掲げて活動を行っていたが、同年一〇月五日と二六日に勤務時間内に食い込む職場集会及び庁舎内デモ行進を行ったほか、同年一一月一日、二日、一二月二日には超勤拒否、超勤命令一斉撤回要求などの闘争を行った。これに対し、神戸税関長は、同年一二月一五日、神田綽夫支部長、書記長及び組織部長の三名に対し、勤務時間内での職場集会や超勤命令拒否などを指揮し通関業務を妨害したとして国公法違反行為を理由として懲戒免職処分を行った。全税関神戸支部は、昭和三七年二月に開催した臨時大会において、神田ら三名に対する懲戒免職処分は無効であるとして、同人らを支援することを決議し、控訴人組合を含む他の全税関支部もこれを支持したが、その一方で、全税関神戸支部の職制組合員の中から、執行部に批判的な動きも生まれた。これらの組合員は昭和三七年六月に神戸労働問題研究会を結成し、昭和三七年六月と七月の役員選挙に対立候補を出して争い、その選挙で神田綽夫に敗れたが、これを契機に、同年八月には鑑査部の職制組合員が集団で脱退したのを皮切りに、昭和三八年二月までに七〇〇名が全税関神戸支部を脱退し、同年三月には、神戸労研の会員を中心に第二組合が結成され、全税関神戸支部は分裂した。そして、これらの動きの詳細は、逐次横浜税関の労使双方が知るところとなっていたと推認される。

オ 前記のとおり横浜税関においても、昭和三六年になると、控訴人組合執行部に対し、「政治闘争に重点がおかれ過ぎている。」などの批判が寄せられることがあったが、昭和三七年一月九日に開かれた横浜税関課長会(構成員は本関課長、支署長及び出張所長クラスの職制)では、神戸税関支部の前記役員三名が受けた免職処分を正当なものと受け止め、前年一二月に全税関が決定した一人一〇〇円の支援闘争資金の臨時カンパに反対することを決め、その旨を控訴人組合に申し入れるという動きがあった。これに対して控訴人組合執行部は課長会の動きは全税関に対する裏切りであると強く非難した。(<証拠略>)。また、全税関は、総評がスト権奪還闘争を組むことを受けて昭和三七年七月に開催した全国大会において、年間一人三〇〇円の闘争資金の臨時カンパを決定し、控訴人組合は同年九月の臨時支部大会で全税関のこの方針を確認し一二月の給与から徴収しようとしたところ、これについても、同年一一月二九日、鑑査部の職制組合員(鑑査官)が、「協約締結権もない国家公務員がいきなりスト権奪還闘争は飛躍し過ぎる。」などとして、闘争資金のカンパに反対すると表明した(<証拠略>)。

カ 昭和三八年六月末から七月一日にかけて、控訴人組合の支部長以下一八名の信任投票が行われ、最高九一パーセント、最低でも七一パーセントの信任票を得て全員が信任された(<証拠略>)。

ところが、その後間もなくの昭和三八年九月、横浜市新港地区所在の税関の貨物検査場の近くで山下埠頭に乗り入れている貨物線の高架工事が行われることになり、当局は工事に協力するため、その工事期間中、暫定的に現場検査(貨物の所在場所に臨場して行う検査)を実施することとし、このことを控訴人組合鑑査分会の役員に説明した。これに対し、控訴人組合は、現場検査は往復に時間がかかり労働強化につながる等としてこれに反対し、現場検査反対闘争を展開した(<証拠略>)。これに対し、鑑査分会の職制組合員は、その反対闘争の最中の同年一〇月に「現場検査に反対する者は少数」「分会執行部の考えにはついていけない。」等として控訴人組合を脱退した。この動きに相前後して本関の課長、出張所長クラスの職制組合員二六名が控訴人組合を脱退し、その後も職制組合員を中心に脱退者が相次ぎ、同年一二月二七日までに脱退者は二五〇名以上にのぼった(<証拠略>)。

キ これらの脱退者の有志は、昭和三九年一月ころ、全税関と別の自分達の労働組合を作るとして、刷新同志会(横浜税関労組刷新同志会)を結成し、独自に機関誌(刷新同志会ニュース)を発刊するなどして控訴人組合の所属組合員に対し、控訴人組合からの脱退と刷新同志会への結集を積極的に呼びかけた。そして、刷新同志会は、これらの教化宣伝活動の中で、控訴人組合の方針は労使関係を話合いでなく力で解決しようとするものであり、経済闘争を政治闘争に従属させ、職場秩序を破壊し、職員に反目を起こさせる誤った闘争を指導している等と強く批判した〔<証拠略>〕。

その後も、控訴人組合の組合員の中に刷新同志会の主張に同調し、控訴人組合を脱退する者が続出した。そして、これらの脱退者を中心として約五〇〇名により昭和三九年五月九日に本件第二組合(横浜税関労働組合、通称「横浜労組」)が結成され、これに伴い刷新同志会は発展的に解消された。そして、昭和三八年一〇月から昭和三九年九月までの一年間の脱退者は七三九名(職制組合員二一五名、非職制組合員五二四名)に及び、これらの殆どは本件第二組合に加入し、本件第二組合は結成一年後には組合員数が約九〇〇名となり、控訴人組合との組合員数が逆転した(<証拠略>)。一方控訴人組合は、昭和三八年七月に約一三〇〇名いた組合員が昭和三九年七月には五六九名に激減し、新規採用職員の大部分も本件第二組合に加入するようになったため、控訴人組合の組合員数と本件第二組合の組合員数の差は漸次拡大し、昭和四九年の本訴提起時の控訴人組合員数は一九六名にまで減少した(<証拠略>)。

ク 昭和三九年五月、本件第二組合と神戸第二組合とによって税関労協(税関労働組合全国協議会)が結成され、昭和四〇年二月には、長崎、東京、名古屋、大阪の各税関に、三月には函館税関に、五月には門司税関に、全税関の支部組合から脱退した組合員を中心とする第二組合が相次いで結成され、同年九月には、全国八税関の第二組合によって税関労連が結成された。その結果、昭和四〇年には、既に税関労連の組合員数は全税関の組合員数を上回り、昭和四六年には税関職員約七五〇〇名中、税関労連の組合員数は約五八〇〇名で、全税関の組合員数は七百数十名となった。

以上の事実によれば、もともと控訴人組合は横浜税関における唯一の職員組合で、職員のほとんどが職制も含めて控訴人組合に加入し、職制組合員の占める割合も比較的高く、組合活動のあり方をめぐってかねてから職制組合員と非職制組合員との間に対立の芽が生ずる素地があったところ、昭和三〇年代半ばの安保改定反対闘争前後から全税関は政治闘争の比重を高め、控訴人組合も全税関の方針に従い地対空ミサイルエリコンの陸揚げ阻止や原子力潜水艦ポラリスの横須賀基地への寄港阻止などの政治的活動に活発に参加するようになり、このほか横浜税関の業務の運営に関しても当局の方針に反対するなどしたため、職制組合員のみならず一般組合員の中からも控訴人組合執行部の方針に批判と危惧の念が高まり、折から神戸税関において全税関神戸支部の役員三名がいわゆる業務規制闘争等を指導したなどの理由から懲戒免職処分を受け、これを契機として第二組合が結成され、しかもその組織が短期間の内に全税関神戸支部を上回る加入人員を得たことなどが大きな刺激となり、前述の新港地区の貨物現場検査反対闘争に対する批判者の控訴人組合からの脱退等を契機として、昭和三八年一〇月以降に脱退者が相次ぎ、ひいてはそれら脱退者による刷新同志会の結成、本件第二組合の結成に発展したものというべきである。したがって、控訴人組合の分裂は、大局的にみれば、政治闘争や業務規則闘争などを積極的に推進にしてきた控訴人組合執行部の活動方針に対する職制組合員を中心としたかねてからの不満が、神戸税関における組合分裂と第二組合の結成に刺激されて一気に表面化したとみることができる。

(二) 控訴人らは、被控訴人が控訴人組合の分裂を策して、控訴人組合からの大量脱退を工作したと主張する。

<証拠略>には「<1>昭和三八年一二月一四日、陸海務合同巡察会議が開かれ、監視部次長、各課長が出席し、課長が巡察に「今日が期限だ」と脱退を強要した(<証拠略>)、<2>昭和三九年三月一〇日、税関長室で大垣総務課長補佐が総務部の係長・主任を集め、脱退・第二組合づくりの打合せをした(<証拠略>)、<3>昭和三九年三月六日、富田鑑査官が、鑑査部長室に鑑査部の副鑑査官・主任を集め、脱退工作の打合せをした(<証拠略>)、<4>昭和三九年三月、監視部貨物課相沢係長が会議を利用して、部下に脱退の働きかけをし、これを受けた主任が脱退届を上司に持ってきた。」などの記載があり、これらの記載は控訴人高嶋昭の書いた控訴人組合支部ニュースの記事を根拠とするものであることが認められる。

また、<証拠略>の中には「昭和三九年七月一五日に鑑査部八坂管理課長補佐が、自分の席で訴外原田弘美に脱退を働きかけた。」との記載があり、<証拠略>の控訴人組合の支部ニュースには、同課長補佐は「組合を批判するのは自由だ。先輩としていろいろ話しただけだ。」と答えた旨が記載されていることが認められる。

さらに、<証拠略>にも上司から個人控訴人や同期入関者に対し脱退が働きかけられたとの記載がみられる。

前掲各証拠のうち、<証拠略>の記載については、<証拠略>によれば、<証拠略>の元になった同控訴人作成の組合支部ニュースの記事はいずれも他人からの伝聞に基づくもので厳密な裏付けを欠くものであり、また個人控訴人らの個人別陳述書にみられる脱退勧誘の記載については、その内容は、大部分が具体的日時、場所、発言の背景などの記載がなく、具体性に欠け、食事や酒の席での会話や上司、保証人らからの勧告とみられるものもあるから(例えば、控訴人松永、同藤田、同石井粂雄等)、中には先輩、同僚又は知人としての個人的立場からの身の処し方に関する忠告ないし信念に基づく勧告とみるべき部分がないわけではない。

しかしながら、右八坂管理課長の原田に対する説得は職場の自席で行われたものであり、その他の大量の個人別陳述書を含めて全体としてこれを観察すれば、昭和三八年末頃から本件第二組合結成後の昭和四二年頃にかけて、職制上司から部下の控訴人組合員に対し時には将来の処遇面での利益、不利益を示唆しての脱退勧奨が行われたことはこれを否定し切れないというべきである。

そして、右の陳述書等から窺える職制上司らの脱退勧奨の事実を相互に補強する事実として、<1>前記第六の東京税関文書及び関税局文書から窺える当局の全税関に対する嫌悪、警戒意思の存在、<2>いわゆる宍戸メモ(<証拠略>)によって推認される昭和四七年以前のある時期において横浜税関当局が職制を通じて控訴人組合からの組合員の脱退勧奨を行っていたのを解除したこと、<3>前記のとおり、控訴人組合からの組合員の脱退は当初職制組合員について控訴人組合執行部の信任投票後間もない昭和三八年一〇月頃から始まって一般組合員に及び、昭和三九年一〇月の刷新同志会の結成、同年五月の本件第二組合の結成を挟んで、昭和三八年七月に約一三〇〇名を数えた控訴人組合員数は一年後の昭和三九年七月には五六九名に激減したこと、<4>後記認定のとおり、昭和四〇年二月頃、昭和三九年入関の深田七郎が本件第二組合を脱退して控訴人組合へ加入する構えを見せていたのに対し、同人の上司がその職制としての立場において同人の父兄を呼び出し、控訴人組合加入防止の働きかけをしており、右職制上司の行為については横浜税関当局の少くとも容認があったとみられること、以上の事実を挙げることができ、これらの事実を総合観察すれば、上記各陳述書から窺える上司から部下職員、個人控訴人らに対する脱退の勧奨がすべて末端の職制の純然たる個人的見解や信念に基づいてなされたものとみるのは不自然であり、少なくともその一部は、当局がこうした行為を容認、期待ないし助長し、職制がその期待に応えた結果であると推認すべきであり、この限度で横浜税関当局の関与を認めるのが相当である。但し、控訴人組合脱退に続く刷新同志会の結成、本件第二組合の結成(控訴人組合の分裂)については、前記(一)の認定を超えて、これらの動きに横浜税関当局が直接的、組織的に関与したことを認めるに足りる証拠はない(別に認定するように、本件第二組合結成後、その活動に対して、横浜税関当局が一部容認、助長するような事実があったが、そのような事実から控訴人組合の分裂や本件第二組合結成に当局が関与したことを推認することはできない。)。

5  「本件第二組合に対する援助」の主張(原判決書II五四頁一四行目<略>から六二頁一一行目<略>まで)について

(一) 控訴人組合は、当局が本件第二組合のために、組合事務室、組合掲示板、組合ニュース等の配布における官用車使用、組合役員の勤務場所や特別昇給などの面で、控訴人組合と比べて特に便宜を図ったり有利な取扱いをしたと主張するが、(原判決書II五六頁一行目<略>から五七頁八行目<略>まで)、当裁判所も控訴人らの右主張を認めることはできないと判断する。その理由は、原判決書I八五頁七行目から八八頁九行目までの記載と同一であるからこれを引用する(但し、原判決書I八七頁七行目から八行目にかけての「全員特別昇給をしていない」の次に「(以上につき、<証拠略>)」を加える。

(二) また、控訴人らは、当局は控訴人組合からの団体交渉申し入れに対しては交渉の引き延ばしを図り、他方で本件第二組合に対しては逆に団体交渉申入れをするよう促す等の差別的取扱いをしたと主張し(原判決書II五七頁九行目<略>から五八頁三行目<略>まで)、これに沿う<証拠略>の記載があるが、具体的な事実関係が明らかでなく、右記載事実のみからでは直ちに当局が本件第二組合への援助をしたことにはならず、他に控訴人らの主張を認めるに足りる証拠はない。

なお、訴訟人組合分裂前後の団体交渉の回数、手続などの変化とこれに対する評価については、後の「9 団体交渉制限等その他の組合活動妨害」の主張に対する判断の中で一括して行う。

(三) 更に、控訴人らは、当局が新人職員(新規採用者)を本件第二組合に加入させるために講義の中で控訴人組合を誹謗中傷したり、本件第二組合に加入させるために研修終了後バスを用意して会場を提供する等の特別の便宜を図ったと主張する(原判決II五八頁四行目<略>から六二頁一一行目<略>まで)ので、以下判断する。

<証拠略>の中には、昭和三九年における三か月の新人研修(横浜市内の陸上自衛隊岡村駐屯地で実施)の中において武藤税関長や松尾横浜税関監視部長らが「控訴人組合の民主々義を破壊し、革命を目指しており、共産党の支配下にあり、国家公務員として問題がある、加入しないように。」との講義をしたとの記載がある。また、同陳述書の中には、研修終了後、配属された職場で、課長補佐等の職制が、新人職員全員に本件第二組合の加入届の用紙を配布し、すぐ書くよう強要し、職制と本件第二組合が一体となって新人職員を本件第二組合に加入させた旨の記載がある。

これらの記載に示されたとおりの内容の講義や当局の関与による本件第二組合への加入勧誘が行われたとすれば、当局に求められる複数の職員団体に対する中立性の要請に反することは明らかである。しかし、同陳述書の記載は抽象的であり、全体としてどのような講義内容であったのか、どのような脈絡の中で税関長や監視部長の講義発言がなされたのかは明確でなく、研修終了後配置された職場の中における本件第二組合への加入強要の状況については、これを裏付けるべき証拠に乏しい。したがって、前記第六において認定した当局の控訴人組合に対する嫌悪、警戒意思の存在を考慮に入れても、右陳述書によって控訴人らの主張を認めることはできない。

次に、控訴人らは、当局は、昭和四〇年の新人研修(同年から東京都新宿区市ヶ谷の税関研修所本所で行うようになった。)においても、控訴人組合を攻撃したと主張し、<証拠略>(いずれも控訴人菊池(旧姓中里)明の陳述書やノート)の記載や原審における控訴人菊池の尋問結果中には、昭和四〇年の新人職員研修において、<1>主席指導官松尾(当時横浜税関監視部長)が、「控訴人組合を含む全税関は総評に入っているが、これからの時代は同盟系の組合の方が増えていく傾向にあるから、そちらのほうがよい」と受け取れる発言をした、<2>指導官鈴木啓二が「旧労(控訴人組合)の連中は血の気が多くカウンター机や課長の机の上に土足で駆け上がって恫喝したり吊るし上げたりした者がいる。」「寮の前で控訴人組合のビラが配られるかもしれないが受け取らないでもらいたい」と控訴人組合の攻撃をしたとの部分がある。また、<3><証拠略>(控訴人佐藤里子の陳述書)にも女性だけ対象とした研修の中で本件第二組合の役員がやってきて「全税関は赤、我々の組合は白」と書き、控訴人組合を一方的に攻撃した旨の記載がある。

しかし、<1>については仮にそのとおりの発言がなされたとしても総評や同盟の勢力の動向について事実や評価を述べたに止まるとみる余地もあるし、<2>や<3>については仮にそのとおりの発言であったとすれば先に述べた当局に求められる中立性の要請に鑑み公的な研修の場における職制の講師の発言として不適切といわざるを得ないが、これら<1>ないし<3>の発言がどういう脈絡の中で述べられたのか判然とせず、その発言内容が正確に記載されているかどうかもこれを裏付けるものはなく、結局控訴人らのこの点の主張は客観的証拠に欠け、直ちに採用することはできないというべきである(<2>の発言中「寮の前で控訴人組合のビラが配られるかもしれないが受け取らないでもらいたい。」との発言内容は、前記の東京税関文書にも同種の趣旨の発言があることが認められるが、このことを考慮しても前記判断を左右するものではない。)。

次に、前記<証拠略>中には、新人研修終了後は、当局の準備したバスに乗せられ、虎ノ門共済会館で酒食のもてなしを受けた後、訳もわからないまま本件第二組合の加入届に署名させられたこと、昭和四一年以降は、研修終了後バス旅行が計画され、目的地到着後直ちに本件第二組合の加入届に署名させられたこと、控訴人組合にはこのような新入職員接触のための機会が全く奪われたことなどの記載がある。

これらの新人の研修終了後の本件第二組合加入のための勧誘活動やバス旅行等については直接的には本件第二組合が行ったことは控訴人組合も明確に争わないところ、本件全証拠によるも、当局と本件第二組合が共同してこれらのバス旅行等の企画や本件第二組合への加入勧誘活動を行ったり、これらの本件第二組合の新人職員に対する加入勧誘活動に積極的に関与したことは認めるに至らない。

もっとも、前記<証拠略>のほか、<証拠略>によれば、新人職員に対する右の研修終了後のバス旅行などの企画については研修終了後の新入職員のほとんどが参加したことが認められ、本件第二組合の主催とはいえ、当局の研修に接着するこれらの企画について、本件第二組合による組合加入勧誘行為が行われる趣旨のものであることを含めて当局の容認又は暗黙の了解がなければなし得ないことも明らかというべきであるから、この限度で、当局が本件第二組合の活動を容認ないし助長するなどして関与したことを推認するのが相当である。

6  「新入職員の控訴人組合への加入妨害」の主張(原判決書II六二頁一二行目<略>から六八頁一〇行目<略>まで)について

(一) 昭和三九年、四〇年の基礎科研修における講師発言、研修終了後のバス旅行などの主張と判断については、前記のとおりである。

控訴人らは、研修終了後職場に配置された新規採用者に指導員をブラザーあるいはシスターとして配置し、その私生活まで監視監督し、控訴人組合との接触を遮断し、新人の控訴人組合への加入を妨害したと主張する。

<証拠略>によれば、横浜税関では昭和四〇年前後頃から、職場に配置した初級採用者に指導員を付け、実務指導に当たらせていたことは認められるが、高卒後間もない就職で職場や仕事に不安を覚える初級合格者にとっては、徐々に社会人としての常識や仕事を覚えていく上で必要かつ相当な制度であることも明らかであり、これが控訴人組合との接触を遮断するための措置であったとはにわかに断定しがたい。この点の控訴人らの主張は理由がない。

なお、控訴人らは、基礎科研修における講師や独身寮の寮管理人に全税関組合員が全く排除されているとの主張もするが、当局が控訴人組合に加入していることを理由に控訴人組合に所属している者をこれらの講師や寮管理人の人選から排除したことを窺わせるに足りる証拠はない。

(二) 次に、控訴人らは、本件第二組合から脱退し控訴人組合へ加入の意思を表明した者について当局からさまざまの妨害があったとし、<1>深田七郎(<証拠略>)、<2>第一審原告本多(<証拠略>)、<3>田中光雄(<証拠略>)、<4>鈴木克雄(<証拠略>)、<4>今井康夫(<証拠略>)、<6>佐藤紀幸(<証拠略>)らの例を挙げる。

そこで検討するに、<1>については、右に掲げた証拠によると、深田は昭和三九年四月に入関しその後間もなく本件第二組合に加入した者であるが、昭和四〇年はじめころから本件第二組合の姿勢に疑問を感じ控訴人組合に親和的な態度をとっていたところ、昭和四〇年二月一八日に深田の上司であった関税鑑査官岩崎敏明は「横浜税関総務部総務課」の印を押捺した封筒をもって、同人の父深田佐市(埼玉県秩父市在住)に「御子息の件につき多少相談したいことがあるので三月二日に横浜税関鑑査部管理課までご足労をお願いします。関税鑑査官岩崎敏明、御両親様」とする書簡を出したこと、驚いた深田の父と兄は直ちに二月二〇日に横浜税関に赴き庁舎内で鑑査官らに会ったところ、管理課長や鑑査官らは「御宅の息子は駅前でビラ撒きをやったり、上司に対する態度が戦闘的になっている。」、「朝先輩が掃除をしているのを見てもやろうとしない。」、「赤の子分にあやつられている。」、「生活態度について親からも注意をしてもらいたい。」等の話をしたことが認められる。右の証拠から窺える当局から深田の父兄に対する話の内容は断片的であり、実際に上司が深田の父兄に対し、全体としてどのような発言をし、どのような働きかけをしたのか正確なところは明らかでなく(<証拠略>によれは、管理課長は控訴人組合からの追及に対し、「組合の話は出たが組合活動をやっているからと問題にしたのではない。思想は自由だ。」と述べたという。)、地方から都会に就職して間もない深田についてその生活態度一般につき親の注意を喚起した趣旨に解する余地がある部分もある。しかし、所属部署の印を押した封筒を用い、肩書きの官名を記した書簡により父兄を庁舎に呼び出した等の前後の事情からすれば、単に上司としての個人的立場とか第二組合員としての立場からのアドバイスだけであるとみることには無理があり、横浜税関の職制上司として、深田が控訴人組合に親和的な態度を示しているのを見て、親を通じて控訴人組合に加入することを思い止まらせようと働きかけたものと認められ、職制上司によるこのような行為については当局の容認、助長があったと推認できるから、この限度で当局の関与を認めるのが相当である。

そして、前記<2>ないし<6>は、いずれも職制たる上司から、時期は昭和四一年ころから昭和五〇年ころにかけてまちまちであるが、明示的に又は暗に本件第二組合から脱退し控訴人組合に加入することは将来に不利であることや、控訴人組合員との接触を避けるように言われたというものであるところ、<2>の本多関係以外はいずれも当人らから控訴人小泉や同菊池が聞いたというに過ぎず、全体としてその内容は抽象的で、客観性に欠けるといわざるを得ず、これらの証拠から直ちに控訴人ら主張どおりの事実を認めることはできないが、前記深田に対する職制上司の働きかけの事実を併せ観察すれば、深田のほかにも本件第二組合から脱退し控訴人組合へ加入する姿勢が見られた職員に対して、職制上司からこれを思い止まるような働きかけが行われた疑いは強いということができる。

7  「本件組合分裂後の職制等を使嗾した反控訴人組合のデマ宣伝等」の主張(原判決書II六八頁一一行目<略>から七一頁一四行目<略>まで)について

控訴人らは、<1>昭和四〇年一〇月二五日に角総務部長が普通科研修教養講座で「旧労はマルクス主義に毒されている」等の講義を行い、控訴人組合を誹謗した旨の主張をする。右主張については控訴人組合の支部ニュース(<証拠略>)を根拠とするものであるが、その講義を誰が聞いてそのように報告したのか明確でなく、どのような発言がどのような脈絡の中でなされたのかも明確でない。したがって角総務部長のした講義内容については、これを正確に確定することはできず、右証拠から控訴人組合の団結権を侵害する内容であったと断定することはできない。また、控訴人らは、<2>控訴人鈴木(旧姓床枝)茂が高島埠頭出張所に勤務していた当時、時田所長と北川総務課長が全職制を所長室に集め「全税関をつぶすのが当局の至上命令である」旨の訓示をしたと主張し、<証拠略>にはそれに沿う内容が記載されているが、控訴人鈴木(旧姓床枝)が実際にその訓示を聞いたのか伝聞なのかも明らかでなく、右証拠のみでは客観的に時田所長や北川総務課長の発言内容を確定することはできない。したがってこの点の控訴人らの主張も採用することはできない。

また、控訴人らは、<3>本件第二組合の「横浜税関労働組合ニュース」において、控訴人組合のことを「赤い豚」(<証拠略>)などと口汚くののしり、税関労連のパンフレットには、全税関のことを「日共の御用機関」、「ゆくゆくはごくひと握りの共産分子たちによる単なるアジトとして利用されるにすぎないでしょう。」などと誹謗中傷し(<証拠略>)、これらは当局との意思統一の下に行われたと主張する。なるほど右各書証には控訴人ら指摘の記事、表現が存在するが、これらの本件第二組合の機関紙及び税関労連のパンフレットの記事内容については、本件第二組合が被控訴人の意を受けて又は被控訴人と一体となって記載したものであるとか、当局がこれを知りつつ容認、助長したとかの事実を認めるに足りる証拠はない。

また、警察を使っての弾圧の主張については、この主張に沿う<証拠略>のほか、控訴人組合の宮下、控訴人藤木について警察が接触をはかった旨の控訴人組合の支部ニュースの記載等(<証拠略>)があるが、これらはこのとおりの事実が仮にあったとしても税関とは別組織の警察に関する事柄であって、横浜税関当局がそのような警察の動きに何らかの形で関与していると認めるべき証拠はないから、この点の控訴人らの主張も採用することができない。

8  「庁舎管理規則の濫用等による組合活動妨害」の主張(原判決書II七一頁一五行目<略>から八一頁一行目<略>まで)について

(一) 庁舎管理規則制定の経緯、庁舎管理規則の内容、昭和三九年の同規則中の掲示に関する規定の改正内容、昭和四〇年一二月二七日に定められた庁舎の目的外使用についての使用基準(昭和四二年一月九日の改正を含む。)についての認定は原判決書I三九頁一三行目から四八頁六行目までの記載と同一であるから、これを引用する(但し、原判決書I四〇頁末行から四一頁初行)にかけての「吊し上げは行われているが」を「そんなこともあろう、しかし」に改め、同四一頁五行目の「施行された」の次に「(<証拠略>)」を加える。)。

(二) 控訴人らは、庁舎管理規則の制定に当たり当局は組合活動には適用しない旨約束し、その後昭和四〇年一二月ころまでは、事務室や公衆溜まりで行う職場大会などの控訴人組合の活動等に対しては、同規則を適用しなかったとの主張をする。しかし、税関の施設は税関の行政目的達成のための行政財産であって、税関長はその行政目的に沿うよう施設の管理を行う権限と責任を有するものであり、庁舎管理規則はその権限をより一層明確化し、職場環境の保持と業務の円滑な運営を確保するため、庁舎の目的外使用の手続と基準等を含めて定めたものと認められるから、職員団体の活動であるからといって、庁舎などの使用を無条件に許し庁舎管理規則の適用外とすることを約束するなどということはおよそ考えがたく、また実際にも当局において控訴人組合との間でそのような約束をしたと認めるに足りる証拠もない〔なお、昭和三五年一月七日付の支部ニュース(<証拠略>)には、税関長は右規則を正常な組合活動に適用することはないと述べた旨の記載があり、一九六〇年度控訴人組合支部大会議案書(<証拠略>)には、庁舎管理規則制定に当たり、税関長はこれまでの慣行は絶対に変えないと言明した旨の記載があるが、右記載をもって前記認定を左右するに足りない。〕。

また当局が昭和四〇年一二月ころまでは控訴人組合の開く庁舎内集会等について無許可で行われた場合でも庁舎管理規則による積極的な規制を行わなかったことは被控訴人も認めるところであるが、このような運用は、庁舎管理規則が制定されてまだ間もない時期であり、控訴人組合は庁舎管理規則制定に反対の態度を示してきたという経緯から、庁舎内の無許可目的外集会等について庁舎管理規則の規定に基づき最初からこれを厳格に適用して解散命令を出す等の規制をした場合には混乱も予想されたため、当局において暫時積極的な庁舎管理規則による規制は見合わせていたにすぎないものと窺える。しかし、庁舎管理については税関長の適切な裁量に委ねられており、税関長が無許可でなされた職員団体の活動等について右のように諸般の事情を勘案して庁舎管理規則による規制を積極的に行わなかったとしても、このことが庁舎管理規則の適用を職員団体の活動に適用しないことの約束があったことの証拠となるものではない。

(三) 控訴人らは庁舎管理規則は控訴人組合の活動を弾圧するために制定され、控訴人組合の活動を抑圧するため恣意的に運用されたものであるとし、庁舎管理規則に藉口して施設利用妨害を行った例として、<1>昭和三八年一〇月、全税関書記長会議の開催のための本関講堂の使用を拒否し、<2>昭和四〇年三月三〇日、山下分会の懇談会開催のための山下埠頭出張所喫茶室の使用を許可しておきながら、この許可を取り消して使用を拒否し(<証拠略>)、<3>昭和四二年九月六日、控訴人組合の不当配転反対集会開催のための本関講堂を同月一二日に使用するための許可申請を出し、受理されながら、当局に正当な理由もなく使用を拒否された(<証拠略>)と主張する。

しかし、税関長は庁舎の適正な管理と秩序維持の権限と責務を有するものであり、本件庁舎管理規則は職場環境を適正良好に保持し、規律のある業務の運営体制を確保するため、庁舎等の使用については許可を受けなければならないことなどを一般的に規則により明示したものと認められ、職員団体の活動であっても庁舎を管理権者の許諾を得ることなく使用することは、原則として庁舎管理者の管理権限を侵し庁舎内の秩序を乱す違法な活動となることはいうまでもないところであって、本件庁舎管理規則の目的が控訴人組合の活動を抑制することにあったということはできない(もっとも、本件庁舎規則の昭和三六年及び昭和三九年の一部改正については、被控訴人はそれが同規則制定後の控訴人組合の庁舎等を混乱させるような違法な行動にかんがみ、これらの秩序違反行為を排除し適正な庁舎管理と関税業務の適正円滑な遂行を維持するための改正であった旨主張しているが、もとよりこのことは正常な組合活動までを規制するための改正であったことを意味するものではない。)。そして、当局が正当な理由もなく庁舎管理規則を濫用して前記<1>ないし<3>の施設利用を拒否したとする控訴人らの主張を裏付けるものとしては、控訴人組合の支部ニュースやこれに基づく原審における亡和久野の尋問結果があるのみであり、正規に庁舎管理規則に基づく施設利用の申込みや許可があったのかが本件証拠上明らかでなく、そうであれば、この点に関する横浜税関当局の対応の是非を判断することはできない。

また、控訴人らは、当局は特に昭和四一年当初から庁舎管理規則に藉口して、スピーカーによる解散命令や写真撮影、八ミリカメラによる現認、参加者チェック等による集会妨害を行ったと主張し、その例として<1>昭和四一年四月八日の「仲鉢氏追悼・菅野さん連続宿日直反対」集会(山下埠頭出張所)(<証拠略>)、<2>同月一九日の「菅野さん連続宿日直反対」集会(山下埠頭出張所等)(<証拠略>)、<3>同年五月二六日の「大阪税関の殉職職員二名の一周忌の追悼」集会(本関一階)(<証拠略>)、<4>同年六月九日の「改悪国公法実施反対、全国統一職場大会」の一環としての各職場ごとの大会(山下埠頭出張所など)(<証拠略>)、<5>同月二三日の「横浜税関茅根職員の追悼」集会(山下、川崎など複数の職場)(<証拠略>)、<6>同年八月六日の「遠隔地不当配転抗議」集会(新港分関)(<証拠略>)、<7>同年一〇月二一日の総評の呼びかけによる「アメリカのベトナム侵略反対、生活と権利を守る諸要求の統一行動」集会(本関、千葉など)(<証拠略>)、<8>昭和四八年六月一三日の「差別是正、労使関係改善、綱渕さんを横浜に返せ」統一座り込み集会(本関)(<証拠略>)を挙げる〔これに対する乙号証として、<1>につき<証拠略>、<2>につき<証拠略>、<3>につき<証拠略>、<4>につき<証拠略>、<5>につき<証拠略>、<7>につき<証拠略>、<8>につき<証拠略>〕。

しかし、当裁判所も、これらは<6>を除きいずれも庁舎管理規則による規制の及ぶ庁舎(敷地を含む)内で行われた無許可の集会であり、また<6>の集会については、庁舎管理規則違反の集会でないことは当事者間に争いがない土曜日の勤務時間終了後新港分庁舎前で行われた「不当配転抗議集会」に対し当局がメモやカメラで集会の内容、参加者等を現認しようとしていたことを問題とするものであるが、当局の採用した規制ないし当局職制のとった行為は、いずれもその方法を含めて控訴人組合の活動に対する違法な妨害には当たらないと判断する。その理由は、原判決書I九一頁一一行目から九三頁四行目までの記載と同一であるからこれを引用する。

なお、控訴人らは、元来税関の窓口には一般市民が来ることはほとんどなく、輸出入貨物の通関を業とする通関業者がたまに来る程度で、しかも控訴人組合の集会などほとんどが早朝や昼休みなどの勤務時間外に行われたものであるから、これらの集会が開かれていた当時は庁舎における規律保持や業務運営の適正に何ら差し迫った危険などはなく、それにもかかわらず当局が庁舎管理規則により集会を規制しようとしたのは庁舎管理規則の濫用であると主張するが、庁舎管理規則の適用には個別に差し迫った危険を必要とするものではないと解すべきであり、控訴人らの行った集会の場所、時間、態様などからみてこれを無許可集会であるとして中止等の命令措置をとった当局の措置に違法はなく、これらの当局の措置を庁舎管理規則の濫用であるとすることはできない。したがってこの点の控訴人らの主張も失当である。

また、控訴人らは、当局は控訴人組合員が三人寄れば集会だといって規制しようとしたとか、控訴人組合が二人話していると職制が話の内容を確認しようとしたり、控訴人組合員三人が屋上で歌を歌っていると職制が回りをうろうろして監視したとし、<証拠略>には右主張に沿う記載がある。しかし、これらの記載だけでは、職制が具体的にどのような行動をとったのか明らかでなく、右証拠のみでは控訴人組合に対する団結権侵害となり得る集会等の妨害があったと認めるに足りない。

9  「団体交渉制限等その他の組合活動妨害」の主張(原判決書II八一頁二行目<略>から八六頁一〇行目<略>まで)

(一) 勤務時間中の組合活動の規制

執行委員会等の勤務時間内の開催の禁止など勤務中の組合活動の規制についての当裁判所の判断は、原判決書I六三頁一五行目から六四頁一三行目までの記載と同一であるから、これを引用する(但し、原判決書I六四頁五行目の「通告した」の次に「(右通告の事実は、当事者間に争いがない。)」を加え、同頁八、九行目の「職務に専念する義務を負うものであるから」を「職務に専念する義務を負うものであり、当時の国公法一〇一条三項は「職員は、政府から給与を受けながら、職員団体のため、その事務を行い、又は活動してはならない」と規定し、また、人規一四―一[職員団体に関する職員の行為]三項は、職員は「職員団体の会合に参加すること」等の行為を「勤務時間中にしてはならない」と定めていたのであるから」に改める。)。

(二) 団体交渉の回数の減少について

<証拠略>によれば、昭和三九年ころまでは、控訴人組合執行部と当局は、かなり頻繁に交渉、折衝の機会を持ち、その他にも分会単位で様々な勤務条件につき職制と組合員の間で話し合いが行われてきたこと、しかし、昭和三九年ころからは、当局と控訴人組合執行部との交渉は回数、時間ともかなり従前より少なくなり、分会単位での話し合いも徐々に行われなくなってきたことが認められる。

しかし、控訴人らの主張するこれらの交渉、折衝、話し合いは、正規の法律上の国公法上の職員団体と当局との交渉以外の事実上の話し合いの機会がかなり含まれていることが推認される(正規の国公法上の職員団体と当局との交渉であれば、事前交渉により交渉委員、交渉事項、交渉時間、場所等の条件を取り決めて行われなければならない。昭和四〇年改正前は当時の国公法九八条二項、人規一四―〇。改正後は国公法一〇八条の五)ところ、これらの事実上の話し合いや折衝については仮に回数や時間が従前より少なくなったとしても、直ちに控訴人組合の団体活動の規制が行われたとはいえない。のみならず、控訴人らは、武藤税関長の時代になってから、控訴人組合執行部と当局との交渉は、回数が年間で二回、交渉時間は一回が各一時間となったと主張し、<証拠略>にはそれに沿う記載があるが、交渉は国の事務の正常な運営を妨げない範囲で行われるものであり(国公法一〇八条の五第七項)、昭和三九年五月に本件第二組合が発足しているから、当局は控訴人組合と本件第二組合との交渉の回数や時間についても公平均衡を保たなければならなかったことが推認される(これらの税関長と控訴人組合との交渉の回数や時間は、事前交渉により合意されたことに基づき実施されるべきところ、これらの事前交渉について被控訴人が不当にこれを拒否したなどの事実は本件証拠上認めることはできない。)。

また、いわゆる分会交渉については、前掲証拠によれば、従前から比べると昭和三八年五月ころ以降は議題や話し合い回数、時間が制限され、監視部では昭和三九年五月以降は分会と監視部長との交渉は一切なされなくなったことが認められるが、分会交渉は正規の国公法上の職員団体と当局の交渉ではなく、日常の勤務条件に関する様々の問題点についてそれぞれの部署の上層部とそこで働く控訴人組合員との事実上の話し合いが行われていたものであることが推認され、議題、回数、時間等については取り決めがなく随時行われるのが原則であるから(但し、当然国公法一〇八条の五第七項の趣旨に則り、他の職員の職務の遂行を妨げ若しくは国の事務の正常な運営を阻害することになってはならない。)、それぞれの部署の事務運営に任され、それら話し合いの回数、時間が従前より少なくなり、ついに事実上行われなくなったとしても、直ちに控訴人組合の団体交渉の権利を阻害したことにはならないというべきである。

(三) ビラ撒き妨害の主張及び組合掲示物の撤去、塗り潰しの主張について当裁判所も、当局が、庁舎管理規則に基づき、控訴人主張のビラ撒きや横断幕の掲示を規制し、控訴人組合の掲示板を移動し、一定の掲示物の撤去や一部の塗り潰しを行ったことは適法であって、控訴人組合に対する不当な規制とはいえないと判断する。その理由は、前記第七、二、2、(五)のほか、原判決書I九六頁一一行目から九七頁三行目まで及び九八頁一〇行目から一〇〇頁七行目まで(「三 文書配布、掲示に関する規制」の項の1、3及び4)の記載と同一であるから、これを引用する。

10  「処分の濫発、デッチ上げ」の主張(原判決書II八六頁一一行目<略>から八九頁三行目まで)について

当裁判所も、当局が行った減給、戒告などの懲戒処分、訓告、厳重注意などの措置については適法であり、深田七郎に対する減給処分も控訴人らの主張するような違法はなかったと判断する。その理由は原判決書I一〇三頁六行目から一〇五頁九行目まで(「三 当局による処分」の項)と同一であるから、これを引用する。

11  「現認制度等による監視密告体制の強化」の主張(原判決書II八九頁四行目<略>から九七頁一四行目<略>まで)について

税関長は、職員の指揮監督を行い、職場の規律維持に努め、もって公務の円滑な遂行に努めなければならない義務があるから、部下職員が国公法、人規あるいは庁舎管理規則等に違反し、あるいはその虞があると思われる行為をした場合には、その監督権限に基づいて当該職員を指導監督すべき地位にある者に事実の調査報告をさせることはもとより適法であって、このような調査報告をさせることが違法な反組合活動に当たらないことはいうまでもない。そして、控訴人組合の違法な職場大会などがあった場合に備えて当局がした証拠保存のための機材の購入、人員の配置、現認書作成の指導などが特に控訴人らの組合活動を不当に規制する目的のために行われたとの事実は到底認めることができない。

また、控訴人らは、当局は控訴人組合員の机をことさら上司の席の近くに置き常時監視していたとか、勤務時間の内外を問わず控訴人組合員の行動を調査監視し、控訴人組合員の電話を盗み聞きしていた等と主張し、<証拠略>にはこれらの主張に沿う記載がある。これらの記載によれば、当局としては、控訴人組合や組合員の動向を相当細かく把握しようという姿勢があったことが窺えるが、具体的にどの程度の調査監視等がなされたのかが明らかでなく、一般的な当局による職員の勤務状況の実情把握の域を超えるものと断じることはできず(例えば、<証拠略>によれば控訴人ら主張の電話の盗み聞きというのも、職務中に執務室内でなされた通話を上司が聞いて当局に報告していることを他人から聞いた(<証拠略>)というものでいわゆる盗み聞きに当たるかどうかも疑わしく、いわんやいわゆる電話盗聴があったなどという事実は到底認めることができない。)、組合活動に対する違法な妨害があったとは認めることができない。

12  「不当配転」の主張(原判決書II九七頁一五行目<略>から一一〇頁七行目<略>まで)について

当裁判所も、当局が行った配置換え(配転)についてこれが控訴人組合の組合活動を妨害するための不当な配転であったと認めることはできないと判断する。その理由は、次のとおり付加訂正するほかは、原判決書I一〇五頁一二行目から一一一頁二行目まで(「第一 配転」の項)の記載と同一であるから、これを引用する。

(一) 原判決書I一〇九頁三行目の「しかしながら、」の次に「もし控訴人ら主張のような異動三原則なるものが拘束力のある合意として真に当局と控訴人組合との間に成立したのであれば、それは当局と控訴人組合にとって人事及び組合の双方の活動に極めて重大な影響を及ぼすものであるから、単なる口頭による約束というようなものではなくそうした合意ないし慣行が成立していたことを示す何らかの客観的な痕跡が存在してしかるべきであるが、そのような形跡は窺うことはできない。そして、」を加え、同九行目の「のみならず」から一四行目の「成立する余地がない。」までを削る。

(二) 原判決書I一一〇頁一三、一四行目の「業務上の理由があれば」から一一一頁二行目末尾までを次のとおりに改める。

「横浜税関は、神奈川県、茨城県、栃木県、千葉県(東京税関の管轄に属する成田市及び市川市の一部の地域を除く。)、福島県、宮城県の六県を管轄区域とし、例えば塩釜、小名浜の支署、日立、鹿島、石巻の各出張所のように横浜本関からかなり離れた勤務地もあり、仕事の内容も様々であるから、業務上の必要によって、幹部職員でなくとも、都会地だけでなく自己の希望しない地方や部署へ配置換えを命ぜられることはやむを得ないことといわなければならない。そして、右の各個人控訴人の述べる不当配転とする事由のうち、家庭事情、疾病、妊娠又は産休中、通勤の利便などはいずれも個人的事情に属する事柄であって、ひとり当該控訴人のみ特にその主張のような不都合を伴う人事異動がなされたのかは疑問であるし、人事の公平・不公平は前後の全体的な人事異動の状況をみなければ判断できず、控訴人ら主張の配置換えが控訴人ら主張のような目的をもってされたものと認めるには足りない。

また、控訴人ら主張の控訴人組合の活動への妨害目的の点、すなわち、配転対象者のうちに控訴人組合役員の占める比率が高いこと(例えば、昭和四〇年六月三〇日に内示がなされた配転では、一八名の支部執行委員中八名が配転の対象となり、しかも当時の中心的な分会であった監視部分会の執行委員が多いこと。)、配転の対象となった控訴人らは配転の理由が組合活動であると上司から告げられ、あるいは配転先で露骨に脱退工作を受けたことなどからみて、これら配転が控訴人組合の役員・活動家と一般組合員あるいは非組合員とを切り離し、かつ控訴人組合の組合活動を困難にする目的をもってなされた以外には考えられないとする点(控訴審控訴人準備書面(一)の第五、二)について判断するに、ある時期に控訴人組合役員の相当な割合を占める人員が一時に配転対象となったとしても、前後の全体的人事異動の状況、そこにおける控訴人組合員と非組合員との間にいかなる差があったかなどが明らかにされなければ、その人事異動が控訴人組合の活動妨害を狙ったものかどうかの判断はできない。控訴人らは、右昭和四〇年六月三〇日内示の人事異動で控訴人組合の監視部分会執行委員となっていた者の配転の割合が多いというが、<証拠略>によれば、昭和四〇年六月三〇日の異動では陸務部だけで転出者は三八名もおり、一方控訴人組合は昭和三八年から脱退者が相次ぎ、昭和三八年七月に約一三〇〇名いた組合員が昭和四〇年七月に約三分の一の三九四名に激減しており(<証拠略>)、相対的に控訴人組合員で控訴人組合の支部役員等となる者の割合は高くなっていたと推認されるところ、右の配転対象者のうち控訴人組合員と非組合員の構成比は明らかでないから、配転対象者に控訴人組合の支部役員となっていた者が多く含まれていたとしても、またそのことにより控訴人組合の活動に支障が生じたり役員たる個人控訴人の役員としての任務遂行に困難が生じたとしても、そのことから直ちに控訴人組合の活動の妨害あるいはその役員や活動家を狙い打ちした配転であると認めるには足りないというべきである。

また、これらの配転対象となった個人控訴人らに対して、上司や同僚らから控訴人組合からの脱退工作が行われたとの点についても、客観的裏付けに欠け、この点を上記配転が控訴人組合の活動妨害を目的とするものであったことの根拠とすることはできない。」

13  「非組合職員との隔離」の主張(原判決書II一一〇頁八行目<略>から一一五頁九行目<略>まで)について

(一) 職場の配置について

ア 控訴人らは、被控訴人は、新規採用者と控訴人組合員との接触を防止するため、新規採用者を配置した監視部の陸務課と海務課には控訴人組合員を配置せず、控訴人組合員の後には必ず控訴人組合員を配置するなどのたらい回しの人事を行ったと主張する。

<証拠略>中には組合分裂後は、新規採用者を配置した監視部の陸務課と海務課には控訴人組合員を配置せず、それまで監視部にいた控訴人組合員も配転により徐々にいなくなり、新人職員の周囲は指導官制度のもとに配置された非組合員たる指導官をはじめとする非組合員ばかりとなり、控訴人組合員との接触が意図的に排除された旨の記載がある。しかし、人員の配置は適材適所を基本として業務の必要に応じてなされるものであるところ、前記<証拠略>の記載は極めて抽象的で、いつどのような形で監視部から徐々に控訴人組合員がいなくなったかが明らかでなく、これだけでは控訴人らの主張を認めるに足りない。

また、たらい回し人事が行われたとの趣旨を述べる<証拠略>の記載はあるが、控訴人組合員の後任に別の控訴人組合員が充てられたことをもって直ちに控訴人組合に対する攻撃を意図した人事とは必ずしも認められず、<証拠略>だけでは、控訴人らの主張を認めることはできない。さらに、控訴人らは、<証拠略>の記載も根拠に挙げるが、そこで述べられている机の配置などは、一時はそういう状態があったにしてもその前後の配置状況が明らかでなく、具体的な係員の氏名、経験年数、適性、希望(係員のすべてが輸出統計係以外の係を希望していたかどうか。)なども必ずしも明らかでない以上、右のような机や係員の配置が、ことさら控訴人組合員について「たらい回し人事」や新採用の非組合員との接触を防止する意図でなされたとも断じがたい(なお、前記のように東京税関文書では新人職員の配置について、全税関の影響をできる限り排除する観点からの職場配置が検討されたことが認められ、東京税関のみならず横浜税関でも本件係争期間中一貫して当局は全税関を嫌悪しその勢力の拡大を警戒していたことが認められるから、横浜税関でも同様の検討はなされたとみる余地はあるが、これらのことを考慮しても前記の各判断を左右するに足りない。)。

イ 控訴人らは、被控訴人は、控訴人組合員を税関の管理部門から排除し、あるいは特定の繁忙職場に集中して配置したと主張する。

しかしながら、<証拠略>によれば、組合分裂後の昭和四五年ころまで人事課に全税関職員二名が配属されていたことが認められるから、総務管理部門から全面的に控訴人組合員が排除されたとはいえない上に、総務部門は、税関業務全般にわたる管理機能を果たす役割を担っており、とりわけ規律の維持及び公務秩序の確保が要請される部門であるから、昇任、昇格、特昇、配転などをめぐり当局の方針に厳しく対立し反対運動などを行っていた控訴人組合所属の組合員がこの部門に配置されるのが少ない結果となってもやむを得ない面があるといわざるを得ない。また前記のような<証拠略>において主張されているような控訴人清水が配置された輸出統計係や同針生の配置された輸入部収納課収納係の職員の配置状況があったとしても、それがいつごろからいつごろまで続いたものか、また他の係と比べてこれらの係が特に繁忙であったのか自体が客観的資料に基づいた証明がなされておらず、右のような陳述書の記載を考慮に入れても、控訴人組合員を意図的に特に繁忙な職場に集中的に配置したと認めるには足りない。

ウ 控訴人らは、昭和四六年に入関し、ただ一人控訴人組合に加入した高野広志に対し、同期入関の本件第二組合員との接触を妨げるため、一緒に宿直勤務をさせなかったと主張する。

<証拠略>によれば、監視部取締第二部門第三班に配置された昭和四六年入関の六名のうち控訴人組合員である高野広志を除く五名は、昭和四七年三月三日から同年六月一日までの間、いずれも三一回担当した宿直勤務のうち十回以上同期入関者との宿直を相勤しているが、高野だけは、三一回の宿直の中で右同期入関の五名と一回も相勤していないことが認められる。ところで、監所における宿直勤務は長時間の拘束があり、密輸防止などに絡んで危険も伴うから、当局において職員の資質、相勤者との相性その他を総合的に考えて業務に支障の生じないよう人員の組み合わせ等には特段の配慮を要するのは当然というべきであって、上記の期間高野と同期入関者とを監所の相勤とさせなかったとしても、基本的にはこのような業務上の考慮によると推察される。しかし、右の期間、他の同期入関者達は三一回中十数回にわたり宿直相勤があるのに、ひとり高野に限って同期入関者との相勤がないという勤務形態は偶然の結果とは考えられず、前記のように東京税関文書では新人職員に対しては、職場の配置等の面で全税関の影響をできる限り排除する観点から種々の方策が検討されており、横浜税関においても東京税関と同様本件係争期間中一貫して当局は全税関を嫌悪してその勢力の拡大を警戒していたことを併せ考えれば、右の宿直勤務に関する実態は、横浜税関当局において、高野広志の同期入関者との離間を図り、あるいは高野広志が宿直の機会を利用して同期の非組合員に控訴人組合への加入勧誘などを行うことを警戒したことに基づくとの見方を全く否定することはできない。そうすると、右の点は僅か三か月間の監所における宿直勤務における同期入関者との相勤状況の問題に過ぎず、その期間の前後はどうであったのか、その間の高野の相勤者はどのような者であったのか、高野はその結果どのような被害を受けたのか等詳しい状況が判然としない憾みはあるにせよ、控訴人組合員たる高野と非組合員とを宿直の勤務形態について差別的に扱ったというべきで、横浜税関当局が控訴人組合員と本件第二組合員との接触を断つ方針をとっており、高野の宿直勤務形態はその方針に基づくものと推認するほかなく、その限度で控訴人らの主張は肯認し得る。

(二) サークル活動からの排除について

<証拠略>によれば、横浜税関には山岳、野球、柔道、剣道、書道、絵画、囲碁、将棋、コーラスなど様々な各種サークルが三〇以上あり、これらのサークルの多くが共済組合の保健経理から厚生委員会の議を経て補助金の配分を受けていたこと、合唱のサークルは、従前「コーラス部」だけであったが、本件組合分裂後の昭和四一年四月に尾山喜一(人事係長)や朝広保男(鑑査部副関税鑑査官)らが中心となって歌声サークル「ドレミの会」が発足し、コーラス部から本件第二組合員がドレミの会に移り、その結果、コーラス部は控訴人組合員が中心となり、ドレミの会は本件第二組合員が中心となったこと、控訴人組合員が中心となって活動していた演劇部や映画サークルについては、組合略裂前までは補助金の配分を受けたことがあったが、昭和四〇年度からは配分が受けられなくなったこと、一方ドレミの会は昭和四一年度から共済組合保健経理からの補助金の配分を受けるようになったことがそれぞれ認められる。

ところで、合唱のサークル活動について、組合分裂後間もなく上記のように従前の「コーラス部」と別に「ドレミの会」の発足があったことは、前記の東京税関会議資料の記載(「文化的活動は、サークルの二部制を考え、指導していく」(<証拠略>)との記載に符合しているようにもみえるが、ドレミの会の発足は昭和四一年四月であり、前記東京税関会議資料の日付はそれより後の昭和四二年九月であるから時期的なずれがあるし、合唱等の音楽サークルの場合には取り上げる曲目などの性格の違いにより一つの職場に複数の同種サークルが生まれることは珍しいことではないから、コーラス部の他に第二組合員が中心となって別の合唱サークルができたからといって、その事実からのみでは当局が関与して控訴人組合を孤立化させるためそのような手立てを取ったとみることはできない(<証拠略>中には、ドレミの会のため当局が様々の便宜を図ったとする旨の部分があるが、具体性に欠ける。また、合唱のサークルの他には、既存のサークルについて第二組合員を中心として別個の同種サークルが結成されたような形跡も本件証拠上見当らない。)。

また、控訴人らは、演劇、映画、落語等控訴人組合員が中心となって活動していたサークルに対し分裂後サークル育成費(共済組合保健経理からの配分金)が配分されなくなったことを問題とする。しかし、前掲<証拠略>によれば、サークル育成費の配分はサークル活動に必要な用具費や活動実績等を参考に共済組合支部の運営審議会及び前記厚生委員会(厚生会)の審議等を経て支給の是非や額が決定されるものであること、控訴人らが問題とする演劇、映画、落語などについては昭和四〇年度から不支給となっているが、その他のサークルでも例えばバスケット部は昭和四〇年度には支給されているが昭和四一年度は支給がなく、絵画部は昭和四二年度までは支給されていたが昭和四三年度は支給がゼロとなるという具合にサークル育成費については、それぞれの年ごとにかなりの変動があることが認められるのであり、控訴人らが提出した資料のみでは、サークル育成費全体についての前後の事情が明らかでなく、控訴人らが主張するように控訴人組合の活動を制限する意図でそのようなサークル育成費の配分が決定されていたとは未だ認めることができないというべきである。

なお、この他に控訴人らは、控訴人益子がサークルの剣道部の昼休みの練習参加を断られたことや山岳部の部員数が組合分裂後第二組合員が脱退したため激減したことなどを問題とするが、このようなサークルの具体的な練習活動の出来事やサークル部員数の変動などは基本的にそれぞれのサークル内部の問題であって、当局が控訴人組合や控訴人組合員の活動の制限を意図してこれらの事実に直接又は間接に関与したとの事実は本件証拠上認められない(前記のような東京税関文書のサークル活動に関する記載を考慮に入れても右認定を左右するに足りない。)。

また、控訴人らは、昭和四二年九月二七日開催の東京税関幹部会議議事録(<証拠略>)には「一般レクの文化的行事として美術展は本年度中は行わない。旧労対策上。」との記載があり、これと同様に横浜税関でも、それまで毎年当局と組合との共催による「文化祭」が開催されていたが、昭和四〇年には当局が一方的に廃止し、そのためその年からは各サークルが実行委員会形式で開催せざるを得なくなったと主張する。しかし、<証拠略>によれば、すでに昭和三九年からサークルの発表については「サークル発表会」として各サークルが自主的に活動の発表をしていることが認められ、昭和四〇年を境にそれ以前と以後でサークル活動の発表の形式にどのような違いが生じたのか、サークルの発表にどのような具体的な支障が生じたのかなどの点が本件証拠上明らかでない(<証拠略>によれば、昭和三九年に組合が分裂し、組合員数において控訴人組合を上回る本件第二組合が誕生したために、当局と控訴人組合が共同でサークルの発表会を開催することは困難となったことが窺われるが、控訴人組合員が多く所属するサークルの発表が困難になったなどの事情は窺えない。)。また、<証拠略>の会議の行われた時期は昭和四二年九月で、控訴人らが主張するところの横浜税関におけるサークル発表会の開催形式の変更が昭和四〇年以降と時期のずれがあることは明らかである。これらのことも含めて、本件証拠上、被控訴人の控訴人組合に対する一般的嫌悪、警戒感情の域を超えて、具体的に控訴人組合を攻撃する目的で当局がサークル活動の発表の場を制限するため文化祭の中止などの措置をとったなどの事実は認めることができないから、この点の控訴人らの主張も採用できない。

14  「研修及び表彰差別」の主張(原判決書II一一五頁一〇行目<略>から一二三頁一〇行目<略>まで)について

(一) 研修について

<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

(1) 国交法七三条一項一号、人事院規則一〇―三(職員の研修)一条、二条によると、各省庁の長は、職員の勤務能率の発揮及び増進のために、職員の職務と責任の遂行に密接な関係のある知識・技能等を内容とする研修を実施するよう努めなければならないとされているところ、大蔵省の付属機関として東京都新宿区市ヶ谷に税関研修所の本所が、その他九税関所在地に支所が設置され、各種研修が実施されてきた。

(2) 高等科研修は、税関の幹部職員として必要な一般教養と、税関行政全般に関する実務知識を習得させることを主な目的として税関研修所本所で実施され、六等級相当の役付直前の職員を対象とし、期間一〇五日、毎年全国で五〇名(横浜税関は内一〇名)程度が予定されていた。

(3) 普通科研修は広く一般職員のレベル向上のため法学等の基礎講義及び実務一般を教授することを目的として各税関支所で実施され、七等級及び八等級の職員を対象とし、期間七二日、毎年二期に分けて全国で合計四一〇名(横浜税関は内各期四〇名ずつ)程度が予定されていた(なお普通科研修は昭和四五年以降は中等科研修と改称された。)

(4) このほかに、本件に関係のあるものとしては、税関支所で専攻科研修(審理事務研修、保税事務研修、統計事務研修)、特修科研修(監督者研修、語学研修、簿記研修、水泳研修、武道研修)、その他各種研修を適宜実施することとされていた。

(5) そして、横浜税関では、各研修者の選定に当たつては、前記の研修の趣旨に則り、個々の研修の種類ごとに、各職員について研修を必要とする度合い、本人の資質、将来性などを総合的に勘案し、研修の効果が最も期待される観点から職員を選考することとしていた。

(6) 昭和四〇年以降控訴人組合の高等科研修の受講者はいない。普通科研修は、原判決添付昇給等一覧表<略>(原判決書III、IVの各個人控訴人別の表)記載のとおり、控訴人岩元(番号5)が昭和三四年に、同石井粂雄(番号4)、同松永正巳(番号9)、同赤根健一郎(番号19)が昭和三六年に、同山本明(番号30)、岡田穎佶、控訴人増子(番号34)、同佐藤功(番号47)、同桜井裕(番号49)、同山田英幸(番号50)、同下島章寿(番号56)が昭和三七年に、控訴人坂元安雄(番号29)、同島崎了一(番号33)、菅原憲行(番号35)、控訴人阿部裕子(番号39)、同佐野竹弘(番号42)、中村紀久雄(番号43)、控訴人日比祺素(番号44)、同池田通正(番号45)、若林康仁が昭和三八年に、控訴人横山定男(番号87)が昭和三九年に、同加藤勝夫(番号58)が昭和四〇年に、同辻和也(番号1)が昭和四一年に、同菊池(旧姓中里)明(番号96)が昭和四六年に(但し、控訴人菊池は当時本件第二組合に所属していた。)、同篠原勇(番号93)が昭和四八年に、古屋泰毅が昭和四九年に、それぞれ受講した。また、その他の専攻科研修、特修科研修、実務研修などについては、原判決添付昇給等一覧表<略>のとおり個人控訴人らは受講した。

以上の事実によれば、高等科研修は、将来の幹部候補となる特に優秀な職員の中から選任され、人員も毎年全国で四〇名程度(横浜税関は毎年一〇名程度)と極めて限定されており、個人控訴人らの中に高等科研修を受講した者が全くいないとしても、このことから直ちに控訴人組合員であることを理由に右研修から排除されたということはできない。

普通科研修については、前記のように控訴人組合員も多数受講しているから控訴人組合員が普通科研修から全く排除されていたということはできない(昭和四〇年以降は個人控訴人らの受講人数が少ないが、これは個人控訴人の過半数を占める昭和三〇年代後半以降の入関者について入関後の経験年数が浅いことも関係していることと推認される。また、本件係争期間後の中等科研修においても同様の状況であるかどうかは本件証拠上明らかでない。なお、<証拠略>には「昭和四〇年から四四年まで普通科研修は一〇七二名が受講したが、全税関組合員は一名のみである。」旨の記載があるが、すでに横浜だけでもこの間二名の控訴人組合員が受講しており、他の東京税関や神戸税関の大規模研修所支所においても全税関組合員がこの間全く普通科研修を受講しなかったとは考えられず、<証拠略>の昭和四〇年度の普通科研修の総受講者人員(二七八人)も<証拠略>による税関研修所の示した予定人員(第一回二六〇人、第二回一五〇人、計四一〇人)と異なるから、右<証拠略>の記載の正確性には疑問があるといわざるを得ない。)。

そして、その他の各種研修においても各控訴人組合員らは、相応の種類、回数の研修を受けており、控訴人組合に所属していることを理由にこれらの研修から控訴人組合員が排除されたり、非組合員と比べて差別を受けたという事実は本件証拠上認めるに足りない(なお、和久野亘久(番号7)、同宮応(番号79)、同五十嵐俊子(番号80)、同小林鶴吉(番号82)、第一審原告杼元芳子、控訴人広嶋(番号95)、同仲川(番号103)は、各種研修を受講していないが、各種研修は、当該研修の趣旨、目的、受講予定者数、受講予定者の経歴経験年数その他を総合して、最も適当とする時期に研修の効果が期待される者について実施されるものであって、特に当該時期に担当している職務に密接な関連を有し、職務と無関係に希望すれば全員が研修の対象となるというものではないから、受講していなかったり、受講の機会が少なかったとしても、本件係争期間全体を通じて職員全体の研修の趨勢が明らかにならない限り、そのことをもって、当局が所属組合を理由に差別したということはできない。)。

また、控訴人藤田、同石井粂雄についての研修差別の主張、同広嶋英明について身上申告書に研修の希望を記載したところそれを削除するよう要求されたとの主張についての当裁判所の判断は、原判決書I一一八頁一三行目から一二〇頁一一行目までの記載と同一であるからこれを引用する(但し、原判決書I一一九頁五、六行目の「上司が言ったものではないというのであるから、右主張の理由がないことは明らかである。」を「上司が言ったものではないことが窺えるから、右陳述書の記載をもって控訴人らの右主張を認めるには足りない。」に改める。)。

さらに、控訴人らは、控訴人後藤鍵治と同野中について運転免許取得のための研修について控訴人組合員であることを理由に受講を拒否されたと主張し、<証拠略>にはその旨の記載がある。しかし、前者は控訴人の所属していた部署において抽選で自動車運転免許取得のための研修受講生の抽選を行ったところ控訴人後藤鍵治が当選したのに翌日これを一方的に取り消されたというものであり、後者は自動車免許を取得していない者が課長と平職員であった場合は、研修は平職員が優先的に受講するのが慣例であったのに異例にも控訴人野中を差し置いて課長が指名されたというものである(なお、平職員が優先的に受講する慣例があったことを認めるべき証拠はない。)が、いずれもそのような事実から直ちにそれが控訴人組合員であることを理由とする嫌がらせと認めるに足りない。

なお、この他にも個人控訴人の陳述書(第一審原告の陳述書を含む。)中には研修について差別を受けたと主張する部分があるが、〔<証拠略>〕、これらは、内容が抽象的である上、これらの者については、各種研修においても相応の種類、回数の研修を受けており、これらの研修から控訴人組合員が排除されたり、非組合員と比べて差別を受けたという事実を本件証拠上認めることはできない。

(二) 表彰について

当裁判所も表彰について控訴人組合員を排除したとの控訴人らの主張は採用できないと判断する。その判断は、原判決書I一二〇頁一二行目から一二二頁二行目まで(「二 表彰」の項)の記載と同一であるから、これを引用する(但し、同一二一頁五行目<略>の「原告中野」を「控訴人野中」に改め、同一四行目の「主張するが、」の次に「右期間は本件係争期間からだいぶ経過した時期の、しかも本件提訴後のことである上、」を、同一二二頁二行目の「断定することはできない。」の次に「なお、<証拠略>によれば、東京税関における税関長をはじめとする幹部の昭和四三年四月二日の会議において全税関東京支部(旧労)所属の職員の大臣表彰上申の可否が検討され、同年七月一七日の右幹部会議においては、密輸検挙者の表彰に関する予備審査基準について、対象者が特定の組合に所属していることにより「好ましくない職員を排除するため」に一般と異なる厳しい基準により運用することの当否が検討されたことが認められるが、右いずれの会議においても、税関長をはじめ幹部の中から全税関労組員であることにより扱いを異にすることへの疑問が提起されたことが窺えるのであって、差別的運用が是認されたとか決定されたものでないことが明らかであるから、これら東京税関における会議内容の横浜税関における符号性を検討するまでもなく、右文書をもって本件の表彰差別問題の根拠とするには足りないというべきである。」をそれぞれ加える。

15  「職員宿舎の入居差別」の主張(原判決書II一二三頁一一行目<略>から一三〇頁四行目<略>まで)について

(一) 独身寮について

横浜税関における職員宿舎の設置状況及び独身寮で戸塚寮とそれ以外の独身寮における控訴人組合員と非組合員との入寮状況は、原判決書I一二二頁四行目から一二四頁七行目まで(「1」と「2」の項)の記載と同一であるから、これを引用する(但し、同一二三頁五行目の「新山手宿舎」を「新山下宿舎」に改める。)。

控訴人らは、戸塚寮に控訴人組合員のみが入り、その他の独身寮には非組合員のみが集中したのは、当局が控訴人組合員と非組合員の接触をさせることを避けるためにことさらに分離するよう入居の措置をとった旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。かえって、<証拠略>によれば、昭和四一年に山手宿舎(寮)及び新山下宿舎(寮)の建替え工事があり、それらの寮生を他の寮に転居させる必要が生じ、各入居者の希望を聞いたところ、ほとんどの者が通勤に便利な横浜市内の寮への入居を希望し、戸塚寮はその希望に沿った入居場所であったことが認められる。また、その後の推移から、戸塚寮に控訴人組合員が集中し、その他の寮に非組合員が集中したことについては、配転の結果や各入寮者の希望からそうした結果となったとみる余地が十分にあり(例えば、昭和四〇年代には控訴人組合と本件第二組合は激しい対立関係にあったから、戸塚寮に非組合員が入寮していた場合は、組合の主義主張も異なり、人数的にその寮内で少数者となることから自然と居づらくなり、他への転寮を希望したことが十分考えられる。)、当局の指示あるいは意向によりそうした分離入居の結果がもたらされたとみることはできない。

また、控訴人らは、控訴人組合の入居した戸塚寮とその他の寮とでは、テレビ、電気洗濯機などの設備に格段の相違があったと主張するが、右主張が認められないことについての判断は、原判決書I一二七頁五行目から一二八頁二行目まで(「5」の項)の記載と同一であるから、これを引用する。

次に、控訴人らは寮生に対する組合活動が妨害されたと主張し、<証拠略>によれば、控訴人菊池(旧姓中里)明(番号96)が紅葉坂寮(旧掃部寮)に赴き、ある寮生と組合に対する意見交換をしたいと思って同寮生を訪問したところ、管理人から「部屋へ入って話してはいけない。私が指定する面会場所で会いなさい。本人の意思を確認してくる。」などと言われ、かなり待たされたためそのままその寮生の居室近くまで行ったところ、無断侵入だと言われ退去を求められたとの記載があることが認められる。

そこで検討するに、<証拠略>によれば、昭和四〇年七月、横浜税関寮管理規則(税関長通達)が制定施行されたが、右規則では、各寮に寮管理人一名及び副管理人二名以内を置くこと(四条)、寮生は、面会人があるときは、所定の面会簿に記入し、管理人が指示した場所で面会するものとすること(七条)、寮生は、寮の平穏を害し、風紀秩序を乱し、または他の寮生の休養、睡眠等を妨げる行為をしてはならないこと(一〇条)、寮生は、管理人の許可を受けないで、居室及び共用施設の目的外使用、指定場所以外の場所への掲示等をしてはならないこと(一一条)等が定められたことが認められる。

ところで、横浜税関の寮は国家公務員宿舎の一つであり、国家公務員宿舎は国家公務員の職務の能率的な運営を確保し、国の事務、事業の円滑な運営に資することを目的として、職員個人に貸与されるものであるから、風紀、環境、秩序維持等の観点からそれぞれの寮に管理人を置き、外部の者との面会方法などについて右目的遂行の観点から相当な方法によることとする定めをすることは何ら差し支えないところである。そして、寮生以外の者は税関職員であったとしても寮管理者に無断で寮に立ち入る権限はないから、控訴人菊池に対して紅葉坂寮の管理人がとったという対応の後半部分は、適切を欠くきらいはあるが、違法とまではいえない。また、<証拠略>によると、昭和四六年一二月、控訴人鈴木(旧姓高嶋)江美子らが久里浜寮で寮生に面会を求めようとすると、寮管理人が出てきて「誰と会いたいのか。」「会う意思があるかどうか本人に確認してくる。」などと言って玄関から一歩も入らせず、同控訴人に対して侮辱的言辞を述べたとの記載があるところ、侮辱的言辞の点はそのような不当な事実が仮にあったとしても寮管理人個人の問題とみるべきであるし、寮生以外の者は税関の職員であっても寮管理人に無断で寮に立ち入ることは許されないのであるから、寮管理人が同控訴人らに寮に自由に入らせなかったとしても、寮管理人の措置に違法はなく、当局がことさらに控訴人組合員と非組合員との接触を妨害するためにそのような措置を取ったとみることはできない。

(二) 家族宿舎について

当裁判所も、この点について、控訴人組合に所属していることを理由に家族宿舎の入居について当局から不当な取扱いを受けたという控訴人らの主張は採用できないと判断する。その理由は次のとおり付加、変更するほかは原判決書I一二八頁三行目から一三二頁八行目までの記載と同一であるから、これを引用する。

(1) 原判決書I一二八頁六行目の「川崎宿舎」を「鶴見宿舎」に改める。

(2) 原判決書I一三〇頁一行目の「提供しているのである。」の次に、改行して次のとおり加える。

「ところで、国家公務員宿舎制度は、広く全国への分散配置が予定され、一般勤労者に比べて転任、配置換えなどによる居住地移転の頻度が極めて高いという国家公務員の勤務形態の特殊性を考慮し、その対象を国家公務員に限定するとともに、その運用方式も貸与に限り、国が自ら宿舎を設置し、その維持及び管理を行うことにより、国の事務及び事業の円滑な運営に資することを本義としているもので、例えば住宅不足を解消するために低廉な住宅を提供することにより民生の安定、生活水準の向上を図ることを目的とする公営住宅制度などとはその趣旨、目的を異にするものである。したがって、その貸与者の選定に当たっても国家公務員の福利厚生についての配慮を無視することはできないがそれを直接の目的としたものではなく、当該宿舎の維持管理機関は、国の事務又は事業の円滑な運営の必要に基づき公平に行わなければならないものとされ(国家公務員宿舎法一四条)、さらに同法施行令一二条により、宿舎の貸与者の選定については、<1>本省部長以上の職又はこれに準ずる職にある職員、<2>本省課長以上の職又はこれに準ずる職にある職員、<3>本省課長補佐又は係長以上の職又はこれに準ずる職にある職員、<4>犯罪の捜査、国税の賦課徴収その他公権力を行使する事務従事職員、<5>その他の職員、という原則的順序が定められ、同順位にある職員が二人以上存するときは、これらの者の職務の性質、住居の困窮度その他の事情を考慮し、その最も必要と認められる者に当該宿舎を貸与しなければならないとされている。

そこで、ある国家公務員について宿舎の貸与者選定に誤りがあり又は不当な取扱いを受けたというためには、当該官署全体に割り当てられた宿舎の数と質、職員構成、希望が競合した職員の等級、職務内容と経済事情、近い将来の転入・転出者の予想などの諸条件を加味し、国の事務又は事業の円滑な運営の確保と公平の観点から問題がなかったか否かが論ぜられるべきであり、単に本件第二組合員らに比較して、申込後、より長期間待たせられたとか、空き部屋があったのに貸さないとか、遠隔地または狭い宿舎を割り当てられたとかの事情をいうだけでは足りないことはいうまでもない。」

(3) 原判決書I一三二頁二、三行目の「事態も生じたと主張するが、」の次に「仮にそのような事実があったとしてもそれは各宿舎入居者の私的生活レベルの問題であることは明らかであって、」を加え、同頁四行目「前述のように」から八行目までを削除する。

16  「職場外での差別」の主張(原判決書II一三〇頁五行目<略>から一三四頁一行目<略>まで)について

(一) レクリエーションからの排除の主張(原判決書II一三〇頁六行目<略>から一五行目<略>について

控訴人らは、レクリーダーやプール監視員には控訴人組合員は全く選任されなかったこと、水泳大会や柔剣道大会には控訴人組合員からは選手が選ばれず、これは前記<証拠略>(東京税関文書)に「レクリーダーや水泳大会などからはできるだけ全税関職員を排除する」旨の記載があることからも明らかなように当局のレク行事からの全税関排除の方針を示すものであり、また、<証拠略>の昭和四二年二月一日の横浜税関庁内ニュースに掲載された厚生課厚生係長の発言はそれを裏付けるものであると主張する。

しかし、<証拠略>によれば、右の厚生課係長の昭和四二年二月一日付庁内ニュースの記事は、昭和三九年の人事院規則一〇―六の制定、昭和四〇年の国公法七三条一項三号の改正、昭和四一年の総理府通達の発出により、レクリーダーなどレクリエーション指導者の養成など職員のレクリエーション行事を公務能率の観点から積極的に運営するための法制化がなされたことに伴い、横浜税関においてもこの趣旨に沿ってレクリーダーの意義等の紹介がなされているにすぎないもので何ら控訴人組合を意識した記事であると認めるに足りない。また、<証拠略>によれば、昭和四二年の水泳大会には少なくとも二名の全税関の組合員が参加していること、<証拠略>によれば、本件係争期間後のことではあるが昭和六一年の横浜ガーデンのテニス大会には控訴人渡辺義朗と同山田英幸がレクリーダーとして参加していることが窺え、レク行事に控訴人組合員が全く排除されたということもできない。更に、<証拠略>によれば、税関プールの管理員及び副管理員はいわゆるレクリーダーとは異なり、管理者(税関長)の命を受けてプール開設期間中プール設備、入場者などの管理を行うもので、管理員には厚生課の職員が、副管理員は厚生課員か各部署の推薦により若干名が補助として選任されたもので、その選任に控訴人組合員が選ばれなかったとしても、何らレク行事から控訴人組合員を排除したことの間接事実になるものではない。

なお、東京税関文書中には、「若年層対策としてレクリーダーには旧労を入れてはいけない」(<証拠略>)、「旧労職員に対してはレクリーダーは何ら積極的に接触しないようにする。」「なるべく多くの新労職員がレクリーダーの経験をもちうるよう配慮すること」(<証拠略>)などの記載がみられ、これは東京税関に限らず関税局や全国の税関の全税関組合員に対する嫌悪、警戒意思を推認させるものであることは前記のとおりであるが、これらを考慮しても前記判断を左右するに足りない。

(二) 葬式、結婚披露宴への不参加(原判決書II一三一頁一行目<略>から一三四頁一行目<略>まで)

<証拠略>によれば、控訴人組合員の身内の葬儀や結婚式に上司が参加しなかったことが多数認められ、その中には招待状に対して予め出席の返事をしながら直前になって出席を断った例もかなりある反面、本件第二組合員の結婚式には上司も出席している例が認められ、控訴人組合の分裂前にはこのような多数の欠席の例はなかったことが窺えることからすれば、これらの現象は、当時の横浜税関の各職場の空気を反映したもので、社会常識的にも不自然の観を免れないといわざるを得ない。しかし、結局のところ、これらは職務を離れた私的な領域に属する事柄であり、不参加が社会的に非難されるほどの問題でなく、これらの対応について当局の指示や関与があったと認めるに足りる証拠もないから、この点の控訴人らの主張は到底採用できない。

三  まとめ

以上に説示のとおり、横浜税関当局においては、本件係争期間の前後を通じて、控訴人組合ないし控訴人組合員の活動に対する嫌悪、警戒心を持ち、本件第二組合の勢力伸張を望み、その活動に対しては協力する姿勢があったところ(前記第六)、昇任等差別の点を除く具体的行為として、<1>職制上司等による控訴人組合からの脱退勧奨を容認、期待ないし助長する等して関与し(前記二、4、(二))、<2>新人研修直後の本件第二組合による組合加入勧誘活動を含むバス旅行等の企画についてこれを容認、助長するなどして関与し(前記二、5、(三))、<3>本件第二組合から脱退し控訴人組合へ加入する姿勢が見られた若手職員に対し職制上司等による脱退、加入諫止の働きかけを容認、助長するなどして関与し(前記二、6、(二))、<4>昭和四六年入関者中控訴人組合にただ一人加入した高野広志に対し、その昭和四七年の宿直勤務において非組合員たる同期入関者と相勤させないようにしてその勤務形態において差別的に取り扱った(前記二、13、(一))のであって、これらの横浜税関当局の行為は、その態様、積極性の度合い等は様々であるが、いずれも控訴人組合に対する違法な支配介入といわざるを得ず、その団結権の侵害として不法行為を構成する。なお、控訴人らのその余の差別行為の主張についてはこれを認めるに足りず、前記認定の横浜税関当局の控訴人組合ないし控訴人組合員に対する嫌悪、警戒意思の存在を考慮に入れてもこの判断を左右するに足りない。

第八個人控訴人の昇任、昇格、昇給等の格差と不法行為の成否について(総論)

一  全体的、集団的にみた昇任等格差の存在と税関当局の差別意思の存在について

1  以上にみたところによれば、控訴人組合員と非組合員との間には、本件係争期間中の処遇において、全体的、集団的にみて、特に男子について昇任、昇格、昇給等給与に関わる面で格差があることが認められ、後に認定するように、個別的にみても、特に男子の個人控訴人は、それぞれ程度の差はあるものの同年同資格で入関した非組合員男子と比べ低位の処遇を受けていることが認められる。

また、第六、第七で検討したように、東京税関文書や関税局文書の一部の内容からは関税局や東京税関のみならず横浜税関を含む各税関当局が全税関を嫌悪、警戒し、一方第二組合の勢力の伸長を望み、そのような差別意思の表れとして東京税関においては新人職員の職場の配置、サークル、レクリエーションなどの場面で全税関の非組合員に対する影響を減殺するためさまざまの方策が検討され、横浜税関においても、本件係争期間中、控訴人組合に対する支配介入に当たるいくつかの類型の事実が認められた。そして、控訴人組合に対する昇任、昇格、昇給関係以外の右差別意思(嫌悪、警戒)に加えて、関税局文書からは、少なくとも本件係争期間中を含む昭和六一年を遡る相当前の時期から、全国的に全税関組合員を昇任、昇格等の面で一般的に他より低位に処遇するという意味での全体的、一般的差別意思の存在が推認されること(前記第六)、横浜税関において、本件係争期間中、控訴人組合員と非組合員との間に全体的、集団的な処遇の格差が認められること(前記第五)を総合すれば、本件係争期間中控訴人組合員に対する昇任等給与面での当局の差別意思は、全体的、一般的にはこれを肯認するほかはないというべきである。

2  控訴人らは、前記のような給与格差は、被控訴人の全税関組合ないし全税関組合員に対する差別意思に基づく差別扱いを反映したものであるとし、本訴において同期・同資格入関者のグループの中で昇格の時期や特別昇給の回数等から判断して処遇の度合いが非組合員中の中位に属する者として標準対象者をそれぞれの個人控訴人ごとに選び、各個人控訴人らの勤務成績や能力等は標準対象者と遜色ないものであり、したがって横浜税関長は、標準対象者の昇格、昇給した時期と同じ時期に控訴人らを昇格、昇給させるべきであったのに、控訴人組合に所属することを理由に差別的に取り扱い、裁量権を濫用することにより不当に右時期に同等の処遇を行わなかったとして、これらの昇格、昇給等があったと仮定した場合の給与と現実の給与の差額分を損害としてその賠償を請求している(このほかに右のような差別的取扱いを受けたことを理由とする慰謝料を請求している。)。

これに対し、被控訴人は、税関職員を含む国家公務員の昇任、昇格、昇給(特別昇給を含む)は、成績主義の根本基準に基づき、昇任させようとする官職や昇格させようとする等級の定数枠、必要在級年数や必要経験年数等を考慮した上、当該職員の能力、勤務実績、適性などを総合勘案して決定されるべき性質のものであって、税関長は職員の昇任、昇格、昇給につき広範な裁量権を有するものであるから、昇任等により違法に差別的取扱いを受けたとする者は、当該標準対象者と同等の昇格などをさせるべきであったと主張する時期に標準対象者と同等もしくはそれ以上の勤務実績、能力等を有していたことを立証することが最低限要求されるところ、本件では、控訴人らにおいてそのような立証がなされていないのみならず、個人控訴人らは、本件係争期間中に後述のように多種多様かつ頻回にわたる非違行為を行っており、これらは職場秩序を混乱させたり効率的な税関行政の運営を阻害し、全体の奉仕者たる国家公務員としての自覚を欠いたものであり、また、平均をかなり越える回数や日数の遅刻、早退、病気休暇を取得している者もいて、これら非違行為や出勤状況は勤務成績の評定においてマイナスの影響を及ぼすものと言い得るところ、仮に個人控訴人らと標準対象者とを比較して、その間に昇任、昇格時期の遅速、特別昇給の有無、回数等の処遇の格差があるとしても、それは控訴人らと標準対象者の本件係争期間中の勤務成績、能力、適性等が昇任、昇格、昇給の選考に反映された結果というべきであって、何ら個人控訴人らが控訴人組合に所属することを理由に差別的な不利益取扱いをされたということにはならないと主張する。

3  昇任、昇格は、当該職員の勤務実績、能力、適性等に照らし、より上位の官職、等級に昇任、昇格させるのが適当であるかどうかの観点から機構上や等級別定数の枠の範囲において対象者を選考するものであり、昇給(特に特別昇給)も成績主義の実現を期して行われ、いずれも公務の能率の維持及びその適正な運営の目的に資するため任命権者に与えられた権限である。そして、これらの昇任、昇格、昇給に関する権限は、職員の勤務実績、能力、適性、日常の行動、態度、性格、状態等に関する一定の評価を内容としており、その性質上平素から庁内の事情に通暁している任命権者の裁量に任せるのでなければ到底適切な結果を期待できず、任命権者に広範な裁量の余地を認めざるを得ない。しかし、その権限はもとより純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、例えば当該職員の所属する職員団体により昇任、昇格、昇給等の取扱いの基準を異にしたりするなどの、昇任等の目的と関係のない目的や動機に基づいていたり、考慮すべきでない事項を考慮して判断するなどして、ある期間において他と比較して著しい等級又は号俸上の差を招き、その結果その判断が合理性を持つ判断として許容される限度を超えた不当なものと認められるときは、裁量権の行使を誤った違法のものであるとされることがあり得るが、裁判所の審査権は、この範囲に限られ、このような違法の限度に至らない当不当の判断にまで及ぶものではない。

そして、本件において右のような任命権者である横浜税関長の裁量権の行使が差別的取扱いであって裁量権の濫用に当たり違法があるというためには、その差別的取扱いを受けたとする本件係争期間において、各個人控訴人らが比較の対象とされた非組合員に比べて勤務実績や能力等、昇任、昇格、昇給に関する諸条件が格別劣るわけではないことが個別的に立証されなければならないことは先に説示したとおりである(前記第四、三)。

ところで、前記のとおり、被控訴人については一定の限度で控訴人組合ないし個人控訴人らに対する嫌悪、警戒意思並びに控訴人組合員に対する脱退勧奨や新人の職場配置などの面における差別的な取扱いがあったほか、控訴人組合員に対する給与面での全体的、一般的差別意思があったことが窺われるのであるから、他に個人控訴人らが非組合員と比べてむしろ勤務実績や能力等において劣っていたなどの特段の事情がなければ、前後の事情に照らし前記の給与格差の全部又は一部は被控訴人のこのような差別意思を反映したものであると推認するのが相当である。しかし、被控訴人において、個人控訴人らが低位の処遇を受けたのは、当該個人控訴人らの日常の勤務振り、非違行為、出勤状況等を含む勤務成績、能力、適性等が劣っており、その査定の結果である等の特段の事情を立証した場合には、右推認が覆されるものであることはいうまでもない。

そこで、以上のことを踏まえ、控訴人らと被控訴人双方から提出された資料(各個人ごとの勤務成績、能力、適性等に関する自己や他者の評価、非違行為や出勤状況等の資料を含む。)を元に、本件係争期間中の控訴人各個人について、控訴人ら主張に係る標準対象者を含む同期、同資格入関の非組合員との間の昇任、昇格、昇給に関する格差の有無・程度、控訴人ら各自の本件係争期間中の勤務状況、これに照らし税関長の各個人控訴人らの本件闘争期間中の昇任、昇格、昇給等に関する裁量判断(これらの不作為にかかる判断を含む。)に違法と目すべきものがあったか否かについて順次検討することとする。

二  個人控訴人らごとの格差と勤務成績等に関する資料について

1  個人控訴人らの昇任、昇格、昇給に関する状況は、原判決書III、IVの「昇給、昇任、昇格及び非違行為一覧表」<略>記載のとおりであることは当事者間に争いがないが、前記第五でみたとおり、本件係争期間中における標準対象者を含む非組合員の正確な等級号俸の推移はこれを明らかにすることはできず、控訴人らが主張する標準対象者や同期同資格の非組合員の昇任等を含む等級号俸の推移は、<証拠略>の調査報に示されたような控訴人ら限りでの調査結果によるものであるから、以下にみる個人控訴人ごとの給与格差についての検討の結果は厳密なものとはいえずおおよその傾向を示すものである。

2  次に、個人控訴人らの本件係争期間中の勤務成績や能力等に関する証拠としては、後にみるとおり非違行為や出勤状況に関する資料のほかは、<証拠略>がある。

一方被控訴人側から提出されたものとして<証拠略>がある。

また当審において、特に個人控訴人らの勤務態度等立証のため数名の個人控訴人本人及び被控訴人申請の証人数名を尋問した。

そして、控訴人側で提出した証拠のうち、<証拠略>中には、いずれも「控訴人らは、本件係争期間中その職務に精励し、勤務実績や能力等に関し標準対象者と劣ることがなかった。」旨が記載されているが、それらは陳述書の性格上自己の勤務成績、能力などに関する主観的認識を抽象的に記載したにとどまるものが多く、証拠としての価値には自ずと限界があり、これらのみからでは、個人控訴人らの勤務成績が標準対象者や他の非組合員と劣るものがなかったとの認定をすることはできず、一方被控訴人側から提出された上司の「供述録取書」も約半数の個人控訴人について述べられているにとどまり、それも、かなり古い時期の本件係争期間中のごく一部の時期に共に仕事をした上司からみた日常の勤務態度についての陳述で、全体として簡略で具体性に乏しいものが多いから(当審で取り調べた控訴人本人や証人の供述内容についても同じ。)、その証拠評価については慎重でなければならないところ、後記の個人控訴人らと標準対象者ないし同期入関の非組合員との格差の存在と程度並びに各個人控訴人らの処遇の相当性の判断は、こうした証拠価値について一定の限界を有する陳述書や供述録取書を参考にしつつ、他の証拠及び弁論の全趣旨から窺い得る諸事情を総合斟酌して判断を進めたものである。

三  非違行為、出勤状況等の勤務成績に及ぼす影響について

個人控訴人らの格差の状況と税関長の処遇の適否の判断の前提として、非違行為、出勤状況等の勤務成績に及ぼす影響について、ここに一括して判断を示しておくこととする。

1  非違行為の成立(現認書の証拠評価を含む。)と違法性について

この点に関する当裁判所の判断は、原判決書I一三五頁五行目から一四〇頁一一行目まで(「第七章 本件非違行為」)の記載と同一であるから、これを引用する。

2  非違行為の勤務成績に及ぼす影響について

(一) 個人控訴人らの本件係争期間中の前記非違行為は、勤務時間中のものはもちろん、勤務時間外のものであっても国公法九八条(法令及び上司の命令に従う義務)、九九条(信用失墜行為の禁止)、一〇一条(職務専念義務)、人規一七―二第七条二項(職務専念義務が免除されている場合の職員の行為についての制限)、庁舎管理規則等に抵触するものとして違法性が認められることは前記のとおりである。そうだとすれば、このような違法の非違行為を行った控訴人ら個人については、それら非違行為の多くが控訴人組合の組合活動に関わるものであったとしても、控訴人ら個人の勤務成績、能力、適性等の評価について不利な事情として斟酌されることがあり得ることは成績主義を根本基準とする任用及び給与制度上当然であって、その結果、昇任、昇格及び昇給に影響を及ぼすことになったとしても不合理であるとはいえない。

なお、<証拠略>によれば、勤務成績の評定の手続及び記録に関する総理府令(昭和四一年総理府令四号)四条は、「評定者は、評定の結果その他必要な事項を記載し、調整者に提出しなければならない」と規定しているところ、右「その他必要な事項」とは、昭和四〇年の国公法改正に伴い昭和四一年二月一八日まで実施されていた旧人規一〇―二第一一条二項で規定されていた「報告書には、前項の記録の外、評定期間中における職員の指導に関する事項その他の職員の人事を行う上に必要と認められる事項を記録するものとする」と同趣旨であり、勤務評定の実際においては、単に職務の遂行実績のみならず、法令、規則等の違反行為やその他の服務規律違反行為等についても、人事管理上必要な場合は、評定者は、それらの事項をも考慮して各職員の勤務成績の評価を行うものであり、控訴人らの非違行為については勤務評定の対象となる事項であることが認められる。

(二) また、控訴人らは、本件係争期間中、非違行為がないか非違行為がごく僅かあるだけの時期に昇任等をせず、非違行為を多数重ねた時期の直後に昇任等をしている例が多数あり、控訴人らの非違行為と処遇の格差との間には関連性がないと主張する。しかし、昇任、昇格についての適格性の評価期間は入関以降の全期間であるし、非違行為は昇任等について考慮すべき経歴、学歴、知識、能力、適性及び勤務成績等評価の一要素に過ぎないから、非違行為の時期と昇任等の時期が関連していないことがあるからといって、非違行為が昇任等の評価に無関係であるとは到底いえない。換言すれば、非違行為等の影響により昇任等について劣位に処遇されてきたといえる職員についても、長年の勤務の中で経験年数を増加させ、能力等を向上させてきたと認められ、あるいは在級年数が長期に及ぶような場合には、当該査定時期における定数枠の複数の候補者の中から昇任、昇格についての選考上相対的に優位性が認められる結果、昇任、昇格の対象者に選定されることも十分考えられるし、非違行為がないかあるいはごく少ないからといって当然に昇任等に直結するというわけではないことは成績主義の原則からいって当然のことであって、この点の控訴人らの主張は理由がないといわなければならない。

3  出勤状況と勤務成績との関係について

(一) <証拠略>によれば、横浜税関では本件係争期間中、職員が遅刻した場合であっても、直前にあるいは事後にでも電話などで連絡があったものについては始業時休暇として処理していたことが認められる。しかし、年次休暇はやむを得ないものを除いてあらかじめ所属長の承認を得なければならず(人規一五―六第五項)、このような直前又は事後の連絡は、所属長としては業務の繁閑を考慮しての承認の可否を検討することが事実上困難となり、業務の執行に支障が生ずる恐れがあるから相当ではなく(因みに昭和六一年一月一日から施行された人規一五―一一では、明確に、休暇を受けようとする職員はあらかじめ休暇簿に記入することにより各庁の長に請求しなければならないとされている。)、このような始業時休暇には、その実質においてはいわゆる遅刻と同視すべきものが含まれているというべきであって、これを多数回重ねることは、勤務成績の評価において不利に考慮されても不合理ではない。また、交通機関の遅れによる特別休暇はやむを得ないものとしても、それがたび重なればある程度の交通機関の遅れを予測しそれに対しての一定の対策(例えば少し早目に家を出るなど)を講じることができないわけではないのにそうした対策を何ら講じた形跡がないと認められるような場合は、勤務成績評価上不利に扱われてもやむを得ないというべきである。

(二) 次に病気になること自体はやむを得ない面があるが、病気により休暇を取得することは民間企業における労働契約上の債務不履行と同視でき、職務の内容、責任のより高い上位の官職、等級への昇任、昇格においてその適格性を判断する重要な一要素とされることは当然であって、病気休暇の取得日数が平均以上という場合には勤務成績評価上不利に扱われてもやむを得ないというべきである。

(三) ところで、<証拠略>によれば、昭和四五年の横浜税関の職員(但し、横須賀税関支署等支署・出張所等に勤務していて現段階で調査不能の職員を除く。)一一二九人について調査したところによると、始業時休暇の回数は、年間九回以下が一〇八三人(九五・九パーセント)、一〇回以上が四六人(四・一パーセント)で、年平均回数は二・二二回であったこと、病気休暇の日数の平均は二日と六時間一九分(八時間を一日に換算)であったこと(このうち、個人控訴人らの平均は六日と四時間四五分、非組合員の平均は二日と三時間四〇分。)であったことがそれぞれ認められる。そして、昭和四五年は本件係争期間中の中間の時期であり、これら始業時休暇や病気休暇の状況について本件係争期間中特段の変化があったことは窮知し難いから、本件係争期間中始業時休暇を年一〇回以上、病気休暇を年一〇日以上取得している場合には、その年はいわゆる遅刻や病気休暇が平均よりかなり多くその面で出勤状況が良好とはいえず、昇任等の評価に当たり不利に評価されることもやむを得ない事情となるというべきである。

そして、以下の個人控訴人別の処遇の評価に当たり、特に出勤状況について触れた控訴人は、明らかに始業時休暇や病気休暇の回数、日数が平均以上であると認められる者であり、昇任、昇格等に影響を及ぼし得る事情として掲出したものである。

第九個人控訴人ごとの状況(各個人別の状況)<略>

第一〇個人控訴人の昇任等の格差と不法行為の成否についてのまとめ

個人控訴人の昇任、昇格、昇給の差別に関する認定判断の方法及びその資料と、非違行為及び出勤状況等の勤務成績に及ぼす影響について第八に説示したところに基づき、各個人控訴人ごとに検討した結果は、以上の第九記載のとおりである。

これを通観すれば、各個人控訴人らは、その入関年次別に、また個人別にみて、格差の内容及び格差の程度に差はあるものの(本件係争期間中の主任昇任の遅速、本件比較期間の初めと終りにおける等級号俸の格差の大小、その格差の主たる原因が昇任、昇格の遅速にあったか、特別昇給の有無ないし回数の差にあったか等。一部個人控訴人については、非組合員との格差がほとんどないか、極めて小さい者も存在する。)、控訴人らが主張する標準対象者はもとより、同年同資格で入関した非組合員中最も処遇の遅れた者と同程度かそれより低位の処遇を受けていることが認められ、また個人控訴人の大部分については、職務の一般的能力に関する限り非組合員平均より劣るものではないと認められる。しかしながら、本件係争期間中、個人控訴人らの中には、控訴人組合の活動の一環として、正当な組合活動とは到底いえない無許可庁舎内集会、抗議行動、プレート着用、庁舎建物ビラ貼り等の非違行為を繰り返し行い、病気休暇日数や遅刻と目すべき始業時休暇取得回数が平均をかなり上回る者が少なからず存在することが認められるのである。これらの個人控訴人らの非違行為や出勤状況等から窺われる勤務成績等には、かなりの個人差が認められるものの、その非違行為や休暇等が個人控訴人らの間でも最も軽度の部類に属する者についても、その内容、程度に照らし勤務成績評価への悪影響は看過できないものがある。他方において、標準対象者を含む非組合員については、少なくとも控訴人組合から脱退後又は控訴人組合に属しない段階では個人控訴人らと同等の非違行為はなく、出勤状況についても消極に評価すべき事由があったと認めるべき証拠もないから、総じて、各個人控訴人の本件係争期間中の勤務成績は非組合員のそれより劣るといわざるを得ない。そうすると、先に判示したとおり(第四、一及び二)、昇任等に関しては任命権者の大幅な裁量を認めるべきである以上、個人控訴人らの本件係争期間中の処遇が、全体的又は個人的にみて非組合員より低いとしても、そして、横浜税関当局には控訴人組合員に対する前記昇任等に関する全体的、一般的差別意思が存在したとしても、その処遇の格差は、いずれも横浜税関長の昇任等に関する裁量の範囲内にとどまるものというべきであり、本件係争期間中の個人控訴人らに対する処遇がその勤務成績、能力、適性等に照らし著しく不相当であって裁量権の範囲を逸脱しているとまで認めるに足りない。横浜税関当局には、前記のとおり控訴人組合員をその昇任、昇格、昇給等においてなるべく低位に処遇しようとする意図があったことは否定できないのであるが、それにもかかわらず、前記の個別の検討による各個人控訴人の勤務成績等に照らし、結果においては、右の意味での差別意思が処遇の結果に一部なりとも反映したとみるのは困難といわざるを得ない。結局、個人控訴人らの処遇は、本件係争期間中の各評定時期において各人の勤務成績等に応じて横浜税関長がその裁量権の範囲内でした評定の結果であるといわざるを得ないのであって、このような見方を否定して、横浜税関長において、昇任等に関し、本来の趣旨を逸脱した目的や動機をもって裁量権限が行使されたり、考慮すべきでないところの控訴人組合に所属することに着目してこれを考慮し、その結果不当な不利益扱いがされたものであるとする控訴人らの主張は、これを認めるに足りる適確な証拠がないというほかはない。

なお、控訴人らの中には右のような非違行為が極めて少ない時期に昇任、昇格、特別昇給が行われず、非違行為が数多く行われてから間もない時期に昇任、昇格、特別昇給が行われた者もいることが認められる。しかし、非違行為は、それ自体が懲戒処分の原因となる場合はもちろん、それに至らない場合でも、勤務成績の一内容として他の事情とともに考慮されて昇任、昇格等をさせるがどうかの判断に影響を及ぼすものであり、昇任、昇格させるべき職員の選考については、昇任させようとする官職や昇格させようとする等級の定数枠、必要在級年数や必要経験年数を考慮した上、対象となる職員の学歴、資格、経歴、対象者の入関後の全期間を通じてみられる勤務成績、執務能力等を総合勘案してなされるものである。このような選考の仕方からすると、先に説示したとおり(前記第八、三、2)非違行為を数多く行うなど直前の勤務成績に問題がある場合であっても、現在の官職や等級に在籍後相当期間が経過しているような事情のある場合などには、他の昇任、昇格の対象候補となる職員に比較して、前記の諸事情を総合的に勘案すれば昇格させるのが適当な者として選考されることもあり得るのである。したがって、非違行為の存在と横浜税関長の昇任等に関する裁量権の行使に関連性がないということはできず、控訴人らの、控訴人組合員と非組合員との間に処遇の格差が生じたのは、横浜税関長において、もっぱら控訴人組合員が控訴人組合に所属していることを考慮して不当な不利益的扱いをしたものであり、非違行為が処遇に影響したというのは被控訴人の口実に過ぎないという主張も認めることはできない。

第一一控訴人組合の損害

一  慰謝料額

横浜税関長は、本件係争期間中、全税関の勢力や活動に対する嫌悪、警戒意思と本件第二組合の勢力伸長への期待をもって、職制上司等による控訴人組合からの脱退勧奨、本件第二組合からの脱退と控訴人組合への加入の諫止の働きかけ及び第二組合による新入職員に対する組合加入勧誘活動を含むバス旅行等の企画について、これを容認、助長するなどして関与し、控訴人組合員である新入職員の宿直勤務においてあえて非組合員と接触させないような組合せなどの控訴人組合に対する違法な支配介入を行ったものであるから、国公法上の登録団体である控訴人組合の団結権を違法に侵害したものとして、被控訴人は、国家賠償法一条一項により、控訴人組合に対し、これに対する慰謝料を支払うべき義務がある。

右慰謝料額については、職制上司による控訴人組合からの脱退勧奨等の容認、助長等関与を含む控訴人組合への支配介入行為が、控訴人組合の活動方針に基づく過激な非違行為の反復に対する対抗手段として行われた面があるにせよ、矯正措置、懲戒処分等違法行為に対して国の機関が採るべき正当な対応方法を超えて、本件係争期間中を含む長期間にわたりさまざまの態様によって行われたものであって、とりわけ右の職制上司による脱退勧奨が控訴人組合員らの大量脱退の大きな契機となったことは否定できず、そのため控訴人組合の存立、運営に重大な支障を及ぼしたことが窺えること、個人控訴人に対する各昇任等差別は結論において認められないものの、控訴人組合員であることを理由とする一定の昇任等差別の意思をもって人事査定を検討した事実は否定しがたいこと等本件に現れた一切の事情を考慮して金二〇〇万円をもって相当と認める。

二  弁護士費用

控訴人組合が控訴代理人らに本件の訴及び控訴の提起と訴訟の追行を委任したことは当裁判所に顕著な事実である。そして、本件の訴及び控訴の提起、訴訟の追行に弁護士の関与を必要とすることは明らかであるから、右委任に伴う相当程度の弁護士費用の出捐は、税関長の違法行為と相当因果関係のある損害と認められ、前記認容額のほか、本件訴訟の難易度、審理期間等を考慮して、右弁護士費用は、金五〇万円をもって相当と認める。

三  時効の主張について

なお、前記の被控訴人の控訴人組合に対する不法行為(違法な支配介入)は、具体的には、職制上司等による控訴人組合員に対する控訴人組合からの脱退勧奨、本件第二組合からの脱退と控訴人組合への加入の諫止等の働きかけ及び第二組合の新入職員に対する加入勧誘活動についてこれを容認、助長するなどして関与し、控訴人組合員である新入職員を宿直勤務においてあえて非組合員と接触させないような組合せを行うなどの態様で現れているものであるが、これらは、事柄の性質上、全税関の勢力や活動に対する一般的な嫌悪、警戒意思の下で組織的になされたものとみるのが相当であり、なおかつ、前記第六の東京税関文書や関税局文書の内容等によれば、当局の全税関に対する一般的な嫌悪、警戒に基づく諸方策の検討は、(その具体的な行為内容までは明らかではないとしても)昭和四二年ころから本件係争期間の全部又は一部を含む一定期間継続されて行われたとみるのが相当であることからすると、一体的な控訴人組合に対する支配介入行為として把握するのが相当である。ところで、前記のとおり、例えば宍戸メモ中「旧勧誘解除」の記載がなされた会議が行われたのは昭和四七年六月八日であり(<証拠略>)、高野の宿直の問題が生じたのが昭和四七年三月三日から同年六月一日までの間であるから、被控訴人の控訴人組合に対する不法行為は、少なくとも控訴人組合が本訴訟を提起した昭和四九年六月一一日の三年間の昭和四六年六月一一日以降まで継続していたとみるのが相当であり、それまでには終了したと認めるべき適確な証拠もないから、結局被控訴人の主張の時効の抗弁は採用できない。

第一二結論

以上によれば、原判決中、控訴人組合に関する部分については、控訴人組合の請求を全部棄却した原判決は相当でないからこれを取り消し、控訴人組合の請求については主文第二のとおり、金二五〇万円及び内金二〇〇万円に対する昭和四九年六月一六日(訴状送達の翌日)から民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、控訴人組合のその余の請求を棄却し、個人控訴人らの請求はいずれも認容できず、個人控訴人らの本件控訴はいずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法六七条、六四条、六五条、六一条を適用して、主文のとおり判決する(なお、仮執行宣言は相当でないと認める。)。

(裁判官 荒井史男 大島崇志 豊田建夫)

当事者目録<略>

標準対象者一覧表<略>

入関年度別職員比較表<略>

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